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筋膜リリース・マニュピレーションの考え方|竹井仁先生

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月100万円稼ぐ!?

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ーー なぜ理学療法士を目指されたのですか?

 

竹井 仁先生 もともと医療に興味がありました。高校は県内屈指の進学校で、当時は専門学校に行く人はまずいない時代。 そんな時代でしたが、私自身マッサージ系の職業に興味があり、調べていて、理学療法士という職業を知りました。

 

私の同級生の父が医者で、理学療法士について聞いてもらうと「男の看護婦さんだよ」と説明をされるような、そんな時代です。高校の先生にも理学療法士になった先輩がいると言われ、なんでも月100万位稼いでいるという話も聞きました。

 

結局それは、当時の保険点数が100点で、それを100万円だと勘違いしていたようですけどね(笑)もっと詳しく知りたくなり、父にお願いして7つの病院を見学しました。当時、理学療法士は3000人程と少ない時代でしたので、各病院に1人か2人ぐらいしかいませんでした。

 

見学していく中で、「新しい職業である」「西洋医学である」「これからの仕事」という事を知りました。ただ一方で、私は理系心理学も勉強したいと思っていたので悩んだこともありました。しかし、まだ数が少なかったということ、これからの可能性を考えて、理学療法士にチャレンジしてみようと決意しました。

 

 

当時養成校は、10校程しかない時代、いろいろ調べていく中で、東京都立府中リハビリテーション専門学校(以下府中リハ)がありました。当時の府中リハは、受験費用・入学金・授業料が無料で、実習ではケーシーと靴が支給されるなど、実質の出費は、教科書代や昼飯代くらいでした。府中リハには、学生寮もあり、最初1年間は寮に入ってから、それ以降は出ようと考えていましたが、寮の費用も月300円と恵まれていました。

 

結局は、寮生活も楽しかったため、卒業までいました。今のようにインターネットもない時代で、情報がない中、非常に冒険した気持ちです。府中リハはとても倍率が高かったため、河合塾も同時に応募し、もし駄目だったら医学部に入ろうと思っていました。府中リハには結局合格し、入学したものの、「こんなにも勉強することがあるのか」と。カルチャーショックを受けましたね。

 

 

府中リハ時代はかなりハードに勉強もしましたが、スポーツも楽しみ、障害児とのキャンプなども経験しました。就職を考えるときには、将来、愛媛に帰る気満々だったので都立病院や日赤病院、大学病院に勤務しようと考えていました。これらの病院で経験を積んでおいておけば、田舎に帰っても給料面で安定して良いな、という考えです。結局、都職の共済病院に就職しました。

 

働きながら夜間の大学へ、理由は?

 

ーー その後、青山学院大学(以下青学)の教育学部に入られたようですが、その頃から教員を目指していたんですか?

 

竹井仁先生:実は心理学専攻なんですよ。その当時は患者心理というものを知りたくて。

 

患者さんのことを診ていてどうしても難しい部分がある。「人の心はどこまで分かるのか」と言うことを勉強したかったんです。それで臨床3年目の時に青学に行きました。結果、「心理学は難しいな」ということがわかったくらいでしたね。でも夜間4年間通って、友人もできてそれはそれで楽しかったです

 

「徒手療法をやろう」と思ったわけではない

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ーー アメリカへ徒手療法の勉強に行かれたとお聞きしました。

 

竹井 仁先生 1995年にアメリカへ3ヶ月間の短期留学をしました。その当時は東京都の予算で各学科から1名留学に行けたんです。1名しか行けないので何回も待って1995年に順番が回ってきました。その時、日本でも関節モビライゼーションやクライン・フォーゲルバッハ、中枢・整形関係なく講習を受けていました。せっかくアメリカに行くので、「日本では聞いたことない方法学ぼう」と思っていました。

 

当時はインターネットがなく、海外の学術誌の後ろに講習会の広告が載っていて、国際ファックスを送って、その返信を待って申し込む、という方法でした。アメリカの講習会は、日本のように閉鎖的ではなくオープンマインドだったのを覚えています。

 

アメリカに行ってからも、現地のインストラクターや一緒に受講している方から、別の講習会を教えてもらい、そこで予約しながら勉強していく3ヶ月間でした。もともとは「徒手療法やろう」と思っていたわけではなく、いろいろ学びたいと思ったものの大半が、徒手療法だったという感じです。

 

当時も今も、日本では、閉鎖的な考え方、つまり他の方法を批判する・非難することが多いです。「これだけやってればいい」「あんな手技はやらなくてもいい」みたいな声が今でもあります。一方アメリカはというと、全く批判的なものはありません。

 

「この患者さんにはこの方法を使えばいいよね」というディスカッションになります。日本とアメリカの考え方が、根本的に違うということにカルチャーショックを受けましたね。日本に帰ってきて、これは日本にも広めなくてはいけないという思いで、“系統別治療手技の展開”と言う本を最初に書いたのが始まりです。

 

それから徒手療法(現在は徒手理学療法と言いますが)を学ぶようになり、講習会も開催するようになり、結果的には1995年がターニングポイントとなって今の自分がいる、と言っても過言ではありません。

 

周りからの支援あっての今

 

ーー 帰国されたあと、筑波大学の大学院にも行かれた理由は?

 

竹井 仁先生 その前から実は、東邦大学の解剖学教室にしばらく行っていました。当時は、理学療法学の修士・博士はまだない時代で、大学院という選択肢がありませんでした。理学療法学の修士はまだなかったので、リハビリテーションで通える筑波大学の大学院に進学したという経緯です。

 

卒業後、都医短の講師になり、修士を取得してから5年で博士を取得しました。結局、東邦大学には13年半通いましたけどね。周りの方々のご支援によってレールが引かれたのだと思いますね。色々と感謝しながら今に至っています。理学療法学で修士も博士も取れる今の子たちは幸せだと思います。

 

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竹井 仁先生経歴

 

首都大学東京 健康福祉学部 理学療法学科 教授。

医学博士 理学療法士 OMT

首都大学東京健康福祉学部理学療法学科などの教育機関で学生教育を実践するかたわら病院と整形外科クリニックにおいて臨床も実践。

各種講習会も全国で展開中。

専門は運動学・神経筋骨関節系理学療法・徒手療法。解剖学にて医学博士取得。

Kaltenborn-Evjenth InternationalのDiploma取得(OMT)。

 

【著書】

 

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