理学療法士に特別な思い入れはなかった
― 理学療法士になられた理由を教えてもらってもいいですか?
農端先生 たまたまと言ったほうが良い程の理由ですが、最初別の大学希望だったのですが、受験に失敗し、「どうしようか」と悩んでいた時、飛び込んで来たのが新聞に書かれた学校案内でした。
いろいろ調べて行くと、私の好きな物理分野のことが書かれており、理系が好きだからという理由で、理学療法を選びました。学校は、国立療養所近畿中央病院附属リハビリテーション学院で、受験対策は試験前に一生懸命パンフレットを読み込んで合格しましたが、今だったら滑っていると思います。笑
― 学校の授業の内容としては物理的な内容もありますが、実際受けてみてどうでしたか?
農端先生 入学し、授業を受けていると「思っていたより高尚なこと学ぶんだ」と、入学後、関心や興味が出てきたと思います。昭和49年入学ですが、まだあの頃は、日本語の教科書が少なく、教員も外国の理学療法士が行なっていました。内容的には、基礎医学が充実し、専門分野は実学的で、少しずつ学習意欲が出てきました。
当時は、実習も多く、1年生は、夏期と冬期に2カ所、2年生で3週間を2カ所、最終学年になると、4月から12月頃までずっと実習だったと思います。期間はバラバラで、受け入れ先の都合もあり、4週間のこともあれば、8週間行く所もありました。
卒後は、大阪鉄道病院に勤め、切断や脊髄損傷の患者さんを多く担当しました。1年半ほど勤務してから、国立大阪南病院に移りました。
― 最初の職場を選んだ理由は何かあったのでしょうか?
農端先生 それも安易な理由です。笑 就職が決まったのも3月31日で、「明日から来てください」という状況です。私たちの時代は、理学療法士が少ないので売り手市場でした。特に就職先を決めずにフラフラしていました。もうすぐ4月になりそうな時期に就職先を決めなければと思っていたところに、大阪鉄道病院の先生が声かけてくださり、入職しました。そういう時代だったのだと思います。
博田先生のもとで鍛えられた臨床力
― 理学療法士になられて、いつ頃にAKA-博田法(以下AKA)に出会ったのですか?
農端先生 国立大阪南病院に移り5ヶ月目の頃、昭和54年4月からです。パリスの関節モビライゼーションのことを知り、運動療法の基本的な技術であると考えました。しかし、この技術には問題が多く、関節リウマチの患者さんに対しても使用できる技術に改良する必要があるということで、考え出されました。
関節に脆弱性がある患者さん対して、スラストテクニックを使うのは危険も伴います。そこで当時、大阪南病院に勤務されていた博田先生を中心に、試行錯誤しながら作りあげていきました。
― 博田先生はもともと、AKA的な思考を持たれていたということでしょうか?
農端先生 具体的にAKA的な思考を持たれていたかは不明です。しかし、博田先生は、米国で物理医学専門医試験に合格した物理医学専門医で、物理医学を基にして、疾病の診断と治療を行う医師です。
しかも、英語を母国語としない人種がこの試験を最高点で合格した医師として新聞報告された方です。
さらに、米国で臨床経験を積みPT・OT・STに処方をされていた、日本で唯一の医師です。しかし、物理医学で実施する治療方法に対して限界と改善の必要性を痛感されていました。そこで、関節運動学を運動療法に導入することで、物理医学の限界を超えることが出来ると直観されたと思います。
物理医学専門医ですので理学療法のことをよくご存じで、理学療法士に具体的な処方を出されていました。物理医学の知識に基づいて処方されますので、処方通りに治療すれば、結果も予想通りになります。予定通りにならない場合は、その理由について、よく議論していたことを、覚えています。
博田先生の処方は非常に的確でかつ具体的で、治療対象の障害が明確で機能障害に対して、運動の種類、運動方向、強度や頻度が指示されました。
さらに能力障害に対しても、具体的な目標が提示されていました。例えば、博田先生の処方は、障害の予後診断の基に目標達成に必要な期間を加味されたものです。
従って坐れていないとか歩行出来ていない場合、なぜ処方通りにならないか、何が問題なのかについて議論します。結果が出ていなければ理学療法士の技術に問題があるのか、そのほかに特別な問題があるのかを議論します。
このような日本の理学療法士では経験できない環境で臨床を行なっていたわけです。
そんな中、関節リウマチの患者さんに対して、従来の運動療法では良くならないことを経験しました。
その経験をもとに、関節運動学を導入し、症例を一つずつ積み重ねていきました。博田先生と試行錯誤を繰り返しながら、10年ほどかけAKAの原型を作っていきました。
続くー。
【目次】
第一回:AKA-博田法との出会い
第三回:運動療法の補完としてのAKA
最終回:臨床研究から培われたAKA
「AKA」は、関節包内運動の治療技術として紹介されてきたが、海外ではarthrokinematic approachは一般に、関節包内運動を治療する技術の総称で、joint mobilizationなど全てを含む呼称である。それ故、我々の使ってきたAKAが、他と違った特殊な術であることを示すため、日本語は関節運動学アプローチ-博田法、英語はarthrokinematic approach-Hakata methodという名称を用いることとした(2003年4月)。なお、省略形としてそれぞれAKA-博田法またはAKA-Hakata methodと呼ぶこととする。」
書籍紹介
農端芳之先生のプロフィール
昭和52年国立療養所近畿中央病院附属リハビリテーション学院理学療法学科卒業
昭和52年4月大阪鉄道病院入職
昭和53年12月国立大阪南病院入職
昭和58年4月米国出張
平成5年近畿中央病院附属リハビリテーション学院
平成13年大阪医療センター
平成22年京都医療センター
平成26年大阪南医療センター
平成28年大阪医療センター
趣味:草ラグビー