#2 "Mugon" Drive【宮崎 喬平】

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言語能力の習得①~アメリカへ向けて~

日本でアメリカ留学を決めた当初、おそらく周りのすべての人がまともではないと考えていたと思います。最初にも書きましたが、私は英語というものが大嫌いでした。

 

文系の教科が特に不得意だった自分には新しい言語を習得する才能も、モチベーションも、一切無かったんです。クラスではいつも英語の赤点をひけらかして、自分の無能さを自虐的に笑っていたのを覚えています。

 

高校2年生の時に受験したセンター模試では、なんと200点満点中たった30点。全国にいた何万人の受験者の中で、下からちょうど100番目の成績でした(汗)。

 

「何をバカなことを考えているんだ」

「そんなこと言っている暇があったら、単語の一つでも覚えなさい」

「君がアメリカ行っても、英語力の基準を突破するだけで3年はかかるよ」

 

今までの自分の姿を考えれば、ごもっともな意見です。同級生にも、高校の先生にも、そんな風に思われていました。

 

しかし、そう言ってくれる人がいて良かったと、自分は考えています。反対してくれた人も、本気で自分を心配してくれていたのだし、「そういう人達を説得するぐらい頑張らなければいけない!」という決心と覚悟をこの時期に固めさせてもらえました。

 

もし、私の周りの人が「好きなようにしたら良いよー」と軽い感じで私に言っていたとしたら。。。想像すると、ゾッとさえします。覚悟無き留学など、色んな意味で成功しない。

 

 

外国人が、海外の教育機関でディプロマを取得するのは容易くありません。強い気持ちを持たずして海を渡っても、待ち構えている数々の困難に打ち負け、お金と時間を無駄にして帰ってしまいます。自分が留学している間に出会った他の留学生達が、何人そういう経験をしていったか。。。

 

話を戻します。

 

渡米した当初の私の英語力はS+V+Oをなんとか振り絞って話すくらいでした。海外へ行った事も無かった為、空港の歩き方から入念に予習をして向かったのを覚えています。入国審査では、定型文「What's the purpose of your visit?」に対して定型文「for study-abroad」で返すので精一杯。

 

無駄に恐怖心にかられ、靴や下着の内側など色んなところに現金を隠して飛行機に乗っていましたね(笑)。19歳の私は、震える子羊のように怯えながらアメリカの地に足をつけました。

 

 

空港に出迎えに来てくれた大学関係者を見つけた時は、ヒーローに会えたくらい嬉しかったです。

 

ただ、このころは発音が酷すぎて、何とか会話をしようと思い、「今日は寒いですね(It is very cold)」と喋れない英語を振り絞りましたが、見事にシカトされてしまいました。・・・アメリカで味わった、最初の挫折。

 

知らない国で、車内で知らない黒人と二人きり、無言のドライブ。結構、心細いし、色んな意味で怖いですよ(苦笑)

 

 

ちなみに、この頃の私のTOEFLスコアはPBTで400程度(英検3級に毛が生えたくらい)でした。

 

言語能力の習得②~語学学校~

無言のドライブののち、到着した学生寮。

 

 

☑Troy Universityの学生寮Pace Hall

 

実際、到着したのは20時頃でしたでしょうか。「This is your room.」と放り込まれたのは、二人で共同部屋となっている部屋でした。

 

その他何も告げずに、仕事を終えて立ち去る送迎役のスタッフ。既に部屋にいたルームメイトは、耳・鼻・舌にピアスをした黒人。目線があったのにここでも無視をされたかと思えば、机が揺れるような爆音でヒップホップを再生し始めました。「話しかけるな、外国人。」という心の声が聞こえていました。

 

入寮のこの日は初冬。置いてあるのは、裸のマットレスと、勉強用机。

 

マジかよ・・・って感じです。

 

渡米初日から、激しいカルチャーショックと、英語が早く使えるようにならないとヤバいというリアルな危機感。そこに「語学学校の学費に毎日4万円費やしている」という事実が加わり、この瞬間から机を離れる事が怖くなりました。あまりここで、どんな風に勉強していたかを晒すのは恥ずかしいのですが・・・自分の語学学校での勉強法の特徴は以下の3つです。

 

①アメリカ人とコミュニケーションをとることを優先しない

②語学学校で学ぶ事もあまり優先しない

③とにかく、自分で正しいと信じる事を頭に叩き込む為に、机に向かう時間を一分一秒でも確保

 

①と②に関しては、「それじゃアメリカに行った意味も、語学学校の意味もないじゃん」と思われることが多いですが、自分は通常の留学生よりも語学レベルが低く、人と同じやり方ではやっていけないという自覚がありました。

 

そんな自分にとって語学学校は語学を楽しく学ぶ為にプログラミングされた場所にしか思えなかったんです。「英語でコミュニケーションを楽しむのは、英語のテスト(TOEFL)をクリアしてから」と決めていました。

 

③に関しては、如何に勉強以外の時間を削るかという事がポイントとなっていました。賛否があると思いますが、睡眠は2時間、食事は1食、食料を買いに行くのは1週間に1回。それでもやってくる集中力の低下や睡魔に打ち勝つために、学習用の椅子はベッドの上に常に置かれ、ルームメイトの爆音で揺れる机の上で、立ったままペンを走らせる私の勉強スタイルが完成されました。

 

「単語」「文法」「長文読解」の毎日。兎に角・・・がんばりました(汗)

 

「語学学校卒業には3年かかる」と言われていた私が、周囲の予想を大きく裏切り、3ヶ月でTOEFLの合格点をクリアしたのが、その成果です。

 

合格した事がわかり、テスト会場から学生寮の道のりを涙しながら踏みしめた一歩一歩は一生忘れないでしょうね。

 

言語能力の習得③ ~学部生活~

TOEFL基準をクリアし、語学学校を卒業したからといって、もちろん大学の授業が余裕で受けられるというわけではありません。クラスメイトに話しかけても「お前、何言ってるかわけわからん」と言われて友達もなかなか作れないんです。学校の授業を受けるといっても、聴覚から入ってくる情報なんてほぼ意味なし。

 

次回テストの日程とか、授業をする教室の変更があったとき、その正確な情報を掴む事さえ苦労していました。自分の所属する学部長には「お前は無理だから、国へ帰れ!」って言われた日は、辛さを通り越して開いた口が塞がらなかったですね(苦笑)。

 

☑今は仲の良い学部長

 

結局講義で何を教えてもらってるのか聞き取れない自分がとった解決策は”丸暗記”でした。厚みが10cm前後の教科書。一般教養の教科なんて、興味もないのに、よく覚えたものだと自分でも感心します。(特に文学とか歴史の講義が辛かったです 涙)。

 

授業が終わった後、各教科の先生のオフィスに通って、毎回個別指導も仰ぎにいきました。中々、話をしてもらえない教授には、日本のお菓子や扇子など、賄賂的にプレゼントを持って行ったりもしました(賄賂はアメリカの文化です)。

 

☑アメリカの分厚いText Book

 

でも、そうやって必死にやっていると、徐々に助けてくれる人が増えていき、クラスメイトも認めてくれるようになりました。ノートの取り方、勉強の仕方、自分が聞き逃している可能性が高いポイントについて、積極的に教えてくれる人達が現れるようになりました。

 

「努力している奴には、最大限に優しく、手助けの労を惜しまない」それもアメリカンドリームの国ならではだと感じました。

 

☑休日に別荘に呼んで交流してくれた大学教授たち

 

☑苦楽を共にしたクラスメイト達

 

 

 

☑卒業・国家資格証明書

 

色々と苦労はしましたが、卒業も予定通りできました。アメリカの国家資格である医療トレーナーの試験も一発で通りました。

 

そんなこんなでやっていると、少しずつではありますが英語力も結果的に順調に上達したように思います。私の英語力の変遷が以下となります。

 

  • 高校2年、センター試験 英語200点満点中30点で、全国下から100番目。
  • 高校3年、必死こいて実際のセンター試験で164点まで取ったけれど、それでも実用英語は英検3級+α Lv.。
  • 渡米直後、「主語+動詞+目的語」をゆっくり喋るので精一杯。

 

↓↓↓量にものを言わす勉強で、必死にアメリカ社会に食らいつく↓↓↓

 

  • 1年以内には、何とか英語で夢を見るようになる。
  • 1年半で、S+V+Oに関係代名詞をくっつけた文章で会話できるようになる。
  • 2年で、アメリカ人をジョークで笑わせることができるようになる。
  • 3年後には、アメリカ人と英語で喧嘩ができるようになる。
  • 4年後には、異国の病院で、わりとコミュニケーション能力や人との信頼関係を問われる現場の専門職として給料を貰いながら仕事をする。

 

――――――――人間の適応能力は凄い。

 

【目次】

第一回:Go to USA

第二回:"MUGON" DRIVE

第三回:I have a dream

 

プロフィール

<SNS>

Facebook: https://www.facebook.com/kyohei.miyazaki.14

Website: https://think-outside-to-mumble.amebaownd.com/

Twitter: https://twitter.com/k3y_y0

Instagram: https://www.instagram.com/k3y_yo/?utm_source=ig_embed&utm_medium=loading

 

<保有資格>

  • スポーツ/脳卒中/運動器 認定理学療法士
  • 米国公認アスレティックトレーナー (NATA BOC-ATC: Certified Athletic Trainer )
  • 米国公認ストレングス・ コンディショニング スペシャリスト

(NSCA-CSCS: Certified Strengthening & Conditioning Specialist )

  • ヨガ・ピラティス インストラクター
  • アメリカ心臓協会公認 一次救命措置講習会 インストラクター(AHA-BLS Instructor)

<学歴>

2008年 米国 アラバマ州 Troy University アスレティックトレーニング学部 卒業

2013年 平成リハビリテーション専門学校 卒業

<経歴>

2008~2009年 米国 アラバマ州 Champion Sports Medicine 就業

– NFL Europa 専属リハビリトレーナー(アメリカンフットボール)

– University of Alabama アスレティックトレーナー (アイスホッケー)

– Pensacola High school アスレティックトレーナー (野球・サッカー・陸上・バスケ・バレー)

2010~2013年 パーソナルトレーナーとしてフィットネスクラブ勤務

2013年~ 互恵会 大阪回生病院 リハビリテーションセンター 理学療法士

2015年~ 大阪府理学療法士会 生涯学習センター 研修部 部員

2018年~ 一般社団法人 MSEP(医療介護スポーツ医学教育センター) Senior Leader

https://physioneer.amebaownd.com/

2019年~ 日本スポーツ理学療法学会 運営幹事

2019年~ 日本理学療法士協会 アジア教育支援委員会 委員長

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