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第一号 作業療法士国会議員の誕生【堀越啓仁さん】 

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第320回目のインタビューは、日本初の作業療法士議員である堀越啓仁(けいにん)さん。実は、群馬県甘楽郡下仁田町にある常光寺の副住職でもある。僧侶、作業療法士、政治家という3つのキャリアの柱を持つ堀越さんに、その柱を繋ぐリハビリテーション思考について伺った。 

 

お坊さん→OT 

  

ー 堀越さんは大正大学の仏教学科を卒業後、作業療法の専門学校に通われていますが、お坊さんとして生きていくのでははなく、リハビテーションの学校に進学しようと思ったのはなぜなのでしょうか? 

  

堀越 通常、お寺というのはお檀家さんからお布施をいただくおかげで成り立っているわけですが、実家の寺(常光寺)はそこまで多くのお檀家さんを抱えているわけではないので、自分も何か他の仕事を持たなくてはいけないというのは前提にありました。 

  

リハビリテーションの学校に進もうと思ったきっかけは、お坊さんになるために通っていた大正大学の在学中にケガをしたことですね。交通事故で膝蓋骨骨折をしてしまって。在学中に総本山である比叡山に2ヶ月間篭って修行するのですが、このままじゃ仲間と一緒に参加できないかもと不安になっていたところを、理学療法士の方に救っていただきました。 

  

だから最初はPTになろうと思ったんですよ。東京や千葉にある理学療法士の養成校を、だいたい10校くらいまわったかな。その時に、作業療法士という資格もあるということを知って、漠然と自分にあってると思いました。 

  

リハビリテーションに興味を持ったもう一つの大きな理由というのは、祖母がラクナ梗塞になった時に、お世話してあげられなかったこともあります。認知症症状にすごい困惑したことをよく覚えています。 

  

リハビリテーションの真の目的は「その人らしさ」の再獲得だ

  

堀越 なので、お坊さんだったのと作業療法士になったこととは直接な関係はないんだけど。でも蓋を開けてみると、自分の根底にあるのは人権であったり、その人らしさの再獲得というのはベースにあると感じています。 

  

僕は作業療法士として12年間、回復期や急性期、訪問リハの臨床で携わってきたんだけど、一貫して「死生観」というのを大切にしてきました。人は誰しもいつかは必ず死にますが、日本では「死」というものをタブー視しやすい。仏教では、「生死一如」という言葉がありますが、死を見つめることが生が輝くことに繫がります。死を見ないようにして、ごまかす必要はありません。 

  

その概念というのはリハビリテーションにとっても重要だと思っています。リハビリの語源は、英語の”Rehabilitate”で、Re(再び)habilitate(獲得する)という意味です。その真の目的は、「その人らしさの再獲得」だと思います。病気を持っても、怪我をしても、障害を持ったとしても、その人らしさを守っていくことと援助するのがリハビリテーション職の役目です。 

  

とするのであれば、その人らしく生きていくその先には、その人らしく死んでいくということがあります。今は地域包括ケアシステムが盛んに言われているように、自宅で最後を迎えられるようにということがあるので、そこには必ず「死」というものがくるので、もう少し向き合っていかないといけない課題だと思います。 

  

それは医療者だけでなく、家族や患者さん自身も当たり前に持っていかなきゃいけない時代が来ると思います。 

  

足るを知る 

  

ー 堀越さんは好きな言葉として「知足者富(老子)」という言葉を挙げていますね。満足することを知っている者は、心豊かに生きることができるという考え方は、ある意味リハビリテーションにも応用できる考え方だと感じました。 

  

堀越 知足者富というのは、今おかれている状況で一定満足することができる、「これで十分なんだ」という仏教的視点です。足るを知るということがないと、あれも欲しいこれも欲しい、あれもしなきゃこれもしなきゃと、欲望が次から次と溢れ出てきて幸せにはなりません。 

  

リハビリテーションの現場に当てはめるとすれば、患者さんの一つ一つの欲求を満たしてあげて、その人のニーズやホープを聞きながら、現状でも満たしてあげることは一定必要なんじゃないかなと思います。 

  

ただ知足者富というのはあくまで自分自身の心に向かって言うべきものであって、人に言う言葉ではないのかなと思うんですよね。 

  

確かにリハビリテーションの目指していく「自分らしさの獲得」のために、心をそう切り替えると言うことは必要だとは思うんだけれども。でもそれは、人によって時間がかかるものだし、セラピストが「あなたは十分足りているんだよ」と言うことではないのかなとは思います。 

  

 

地域コミュニティーがなければ地域包括ケアは成り立たない 

  

ー 堀越さんが、もともと国政に関わろうと思った理由はどういったキッカケだったのでしょうか? 

  

堀越 もともと、国会議員になろうと思っていたわけではなく、今住んでいる玉村町の町内議員になりたいと思っていました。それは、地域包括ケアシステムを分かっている人が必要だと思ったからです。 

  

セラピストは、地域で障害を持っている方や地域で暮らしている高齢者、あるいは先天性疾患の方たちを支えるのをアテンドする役割ができると思ったんですよね。 

  

これだけ地域コミュニティーがない状況の中で、行政から一方的に地域包括ケアをやりなさいと言われてもなかなか難しい。実効性があって、一人一人の生活や周りの物理的環境・人的環境に入り混んでコーディネートできる制度設計が必要だと思いました。 

  

国民の意見を吸い上げて国はやっているのかという疑問は、もとから漠然と持っていて。というのも、医療保険から介護保険へ移行するためのリハビリ日数制限ができた時、現場はものすごく混乱しました。 

  

制度の影響でリハビリを受けることができない”リハビリ難民”と呼ばれる方々も現れました。現場がただ上から降ってくるだけの押し付けられる制度・政策で本当にいいのだろうかと。 

  

戦争がまず始めに失うもの 

  

堀越 その疑問が大きくなったのは、安全保障関連法案(安保法案)の強行採決の模様を見た時です。安保法制というのは憲法違反の集団的自衛権の行使が含まれています。これが可能になる事によって、いわゆる戦争や紛争、テロが起きる、有事の状況を引き起こす可能性が極めて高くなると考えます。その際に、一番先に何が置き去りにされるか考えた時に”その人らしさ”だと思ったのです。 

  

それは、かつての戦争がそれを教えてくれていて、もう戦後七十年以上経っていますが、障害を持っている人、高齢者、子供達など、社会的な弱者と呼ばれてしまう方の人権は、有事の際に守られていなかったわけですよ。それどころじゃない。 

 ただでさえ医療や福祉、介護といった社会保障費に対する予算が削減されてきているのに、そこに拍車がかかることになります。これは如何ぞと。 

  

政治状況を見ていると、圧倒的に与党の力が強いので、なんでも勧められてしまう議席配分になっています。与党に対して野党の議員を増やし、チェック機能を強化しないといけない、そう考えました。 

  

それでまず、かたつむりの会という市民団体を立ち上げて、野党のまとまりを強化する活動が出来ないかと考え、活動を始めたんだけども、今度は実際に国政に参加する候補者がいない。神輿の上に乗る人がいないわけです。そこから紆余曲折ありながら最終的に政党サイドから「堀越しかいない」と頼まれるようになって。ずっと断り続けていたんですけどね。私は政党を応援する側の人間であって、政治家になりたいわけでも、選挙出たいわけでもなかった。 

  

でも、いよいよ断れなくなったのは、一緒に活動していた仲間から「堀越君しかいない」と背中を押されたことですね。妻とも何度も相談しながら、かなり悩みましたけど、最終的にやるしかないと腹を決めて、民進党から2016年の第24回参議院議員通常選挙に出馬させていただきました。 

  

結婚記念日に沖縄からとんぼ返り 

  

その選挙は負けてはしまったのですが、24万8000票というかなりの得票数をいただきました。自分が日頃から思っていることを、多くの方に聞いてもらって支持が得られたということをすごく感じて、その後も政治活動は続けていました。 

  

ただ、仕事や子育て、市民活動をしながら政治活動もするのはやっぱり大変で。民進党も、安保法制を容認しているように思える政党と合流したりで、国会議員になるのを諦めようと思ったこともあります。 

  

ただ2017年に衆議院の解散は立憲民主党という政党ができて、代表として枝野さんが立った時は、鳥肌が立つくらいカッコいいと思いましたね。そこから福山幹事長から「立候補してくれないか」と電話をいただき、5時間で決断をしなければいけなかったのですが、すぐに心はきまり、出馬表明を行い、第48回衆議院議員総選挙にて初当選させていただいたという流れです。 

  

実は、その電話をいただいたのが家族旅行で沖縄に向かうバスの中だったんです。「この条件をクリアしていただけたら出ます」と話したら、沖縄についてから枝野さんから再度電話いただき、全部クリアできると。 

  

すぐに準備をしないといけないと、すぐにチケットを手配して、沖縄に家族をおいて群馬へとんぼ帰りです。それが10月8日。僕と妻の結婚記念日です。その時の妻の顔は今でも忘れられません。怒るというよりは呆れていました。(笑) 

【目次】

第一回:第一号 作業療法士国会議員の誕生

第二回:障害者雇用・医療的ケア児・認知症。その根幹にある制度の問題

 

堀越啓仁さん プロフィール

1980年(昭和55年) 下仁田町 天台宗の寺に生まれる

現在玉村町在住(妻・娘3人・猫の梅)

12年間天台宗僧侶として家業を手伝いながら脳神経外科 (急性期、回復期、訪問リハ)作業療法士としてリハビリに従事

2017年衆議院議員選挙に比例北関東ブロックから出馬し当選

 

第一号 作業療法士国会議員の誕生【堀越啓仁さん】 

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