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27歳で病院を辞めてフリーターになったワケ|近藤 竜輝

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海外は遠いところ。数ヶ月前まで私はそう思っていました。しかし27歳で大学病院を退職し、海外に飛び出して生活している今は海外を遠いところだとは感じていません。世界を身近に。これが私の目標でもあり、皆さんに伝えたい内容です。世界を身近に感じるために必要なこと。それはすごく簡単なことで誰にでもできることなんです。なぜならば特に何の取り柄もない私でもできたからです。皆さんもこの記事を読んで少しだけ世界を身近に感じてみませんか?

 

はじめまして!近藤 竜輝と申します。

 

この連載記事を通して、私と同世代の療法士の皆さん、若い世代の人たち、そして現状の生活に何か物足りなさや、現状の生活に悩みを抱えている人たちが目の前の壁を乗り越える何かキッカケのようなものを伝えられたらと思います。

 

さて私が何者かと言いますと、私はつい半年ほど前までは普通の理学療法士をしておりました。理学療法士として急性期病院で2年半、回復期病院で1年半勤務し現在に至ります。そして今はワーキングホリデービザを取得してカナダで生活しております。現在は語学学校を卒業し、Vancouverのダウンタウンにあるスターバックスで働いたり、知人達と留学支援サイトを運営したりしながらお金を稼ぎつつ、英語の学習をしています。

 

まずはじめに、普通の理学療法士であった私がなぜ海外に飛びだして今のような生活を送っているのかをお話したいと思います。

 

バランスロボットの開発に携わる

 

私が元々勤務していた病院は現在世界中から注目されているような大きな病院でした。そこに就職し、主に急性期病院ではICUでの臨床業務、呼吸器、循環器疾患に関する研究を行っていました。また、僕が勤めていた病院で1番特徴的であったことは世界に誇る大企業と一緒に共同研究を行っていたことでした。私もその研究班の一員としてバランスロボットの開発に携わっていました。

その後は人事異動で同じ法人の回復期病院に異動になり、回復期病院で主に脳卒中片麻痺患者に対する臨床、また引き続きバランスロボットの開発に携わりながら、介護予防、訪問リハビリまで経験させてもらいました。

 

私の理学療法士としてのキャリアは4年ですが、その短い月日の中でICUという超急性期から、在宅や介護予防、またリハビリテーションロボットの開発まで経験できたことは本当に運が良かったと思いますし、最高の環境で理学療法士としての最初のキャリアを過ごすことができたのではないかと思います。

 

眩しい世界を知らずして生きていけるのか

 

ただ今は何を隠そう立派なフリーターです。いやなぜそうなるの?と誰もがそう思うと思います。私の両親は私を産んだだけあってかなりクレイジーなので今の生活を選ぶことに全く反対はしてきませんでしたし、全く驚く素振りもみせずに「どうせやるんでしょ?好きにしたら?」と言ってきました。逆にこっちが驚きです。笑

 

そんな満足していた環境を飛び出して今の生活を送っている理由。それは外の世界を眩しいと思ってしまったからです。

眩しい世界を知らないまま生涯を終えて、最期を迎えたときに私は本当に自分の人生に満足できているのか。周りの人たちを羨んで、自分がしらない世界があることを自覚したまま、一生劣等感と戦って生きていくのか。そんなことを考えていたら気づいた時にはここにいました。そして私に外の世界をみせてくれたのは友人であり、先輩であり、患者さんでした。

 

大学在学中は本当に不真面目な学生で常に留年ギリギリの成績でした。それを変えてくれたのが病院での実習でした。そこで出会った指導者や患者さんのおかげで本気で理学療法士になりたいと心から思うことができて、そのために勉強も頑張ろうと思えるようになりました。友人達も不真面目だった僕をいろんな面で助けてくれて、励ましてくれました。本当にひどく不真面目だったんです。笑 そのおかげで無事にずっと働きたかった病院へ就職が決まり理学療法士としてのキャリアがはじまりました。

 

就職してすぐにお世話になっていた先輩と話をしている中で、アメリカへリハビリ研修にいくことができるツアーがあることを知りました。主に神戸大学と畿央大学の生徒さんを中心に企画されたツアーでしたが、既卒のPTも参加可能とのことであったので無理を行って参加させていただくことになりました。そしてそこでロサンゼルス空気触れ、英語で徒手療法の講義を受け、一緒にいた仲間とディスカッションしている中で僕はとてつもない高揚感を感じました。約4日間の研修期間のうち2日間は丸々整形クリニックにこもりっきりで朝から夕方まで実技研修や基礎の講義を受けました。残りの2日は自由時間なのですが、自由時間よりも最初の2日間が楽しくて仕方ありませんでした。そしてその時に必ずまたここに来ようと決めました。そして次は必ず長期で滞在しようと思いました。

 

そこからは海外に関する情報を集めたり、留学から帰ってきた後に日本で留学経験を生かして働く方法を見つけるためにいろんな人に会いました。そしてそれと同時に留学への本格的な準備も進めました。ただ、留学の準備をしているからといって目の前の仕事が疎かになってはいけないと思ったのでもちろん目の前の臨床や研究も全力で取り組みました。それが後に留学から帰ってきた後にまた理学療法士として働く際にどんな形であれ必ず活きると思ったからです。

 

とまあ少しカッコつけましたが、本当のことを言うとただそれが楽しかったからやっていました。臨床で患者さんと関わることも、研究でいろんな方とディスカッションしたり、最先端の技術や知見に触れる事も、自分の目指す海外の情報を集める事も楽しかったです。ただそれだけの理由でガムシャラにやっていました。

 

そしていろんなことにガムシャラにぶつかっていったらここに行き着きました。今もそのスタイルは変わりません。良いか悪いかはわかりませんが、自分が必ず来たいと思える場所までたどり着く事ができました。ここはまだゴールではなくスタート地点ですが、まずスタート地点までたどり着くまでにも色んなことを乗り越えなくてはなりませんでした。そしてそれらを乗り越えるために必要なこと、目標のスタート地点に立つまでに必要なこと、それは自分が達成したら心から楽しいと感じる目標を設定し、それに対してガムシャラに取り組み続ける事だったのかもしれません。

 

【目次】

#1 27歳で病院を辞めてフリーターになったワケ

#2 いざ渡米。語学学校では得られなかった財産

#3 スターバックスで乗り越えた心のハードル

#4 世界は思ったよりも自分の身近にある

 

27歳で病院を辞めてフリーターになったワケ|近藤 竜輝

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