スポーツから地域リハへ
― 理学療法士を目指そうと思ったきっかけを教えてください。
山口先生 良くある話ですが、小学生の時に通っていたスイミングスクールで怪我をして、接骨院に通っていたことが初めのきっかけです。熱心な先生だったこともあり、柔道整復師に憧れたのですが、高校生になり、自分の将来についてその先生に相談したところ、「理学療法士の方がいいのでは」とお話しいただきました。当時はバスケをしていたこともあり、「トレーナーの仕事にも憧れを持っていた」というのが、理学療法士になる決め手になりました。
― 学校はどちらに入学されたのですか?
山口先生 初めは、河崎医療技術専門学校(3年制)に入学し、卒後はスポーツ整形外科で有名な総合病院に入職しました。その病院では、大阪産業大学と提携している病院で、念願のバスケ部のトレーナーに1年目の途中から関わらせていただけるようになりました。
ただ、当時の業務は激務で、1日に30名くらい担当して、業務後に30名のカルテを書かなければなりませんから、トレーナー業務に集中できていない自分に気がつきました。同時に向学心も芽生えはじめ、トレーナー業務や臨床業務の消化不良感もあいまって、大学に入りなおそうと考えました。
当時は、海外留学にも興味があり、調べていくと理系の大学を出ていると、海外でも単位を認められるということがわかりました。卒業生向けの編入制度を使って3年次編入の学部生として、神戸大学に入学しました。それが理学療法士になって5年目の時です。
神戸大学医学部保健学科では、解剖学実習に力を入れており、これを5年目の時に受けることができたのは大きかったです。また、自分より若い子たちと一緒に勉強できたというのもすごく面白かったです。
私は大阪出身ですので、神戸には縁もゆかりもありません。そんな中で、出会えた先生や同級生との繋がりは、徐々に愛着が湧いてくる存在でした。学部生として2年間通い、大学院にもそのまま進学しました。
大学4年の頃だったと思いますが、勉強しながら「独立して、パーソナルトレーナーになりたい」という思いが漠然と芽生えはじめていました。天狗になっていたのでしょうね。笑
ただ、臨床と研究を天秤にかけた時に、どちらも重要で、知っていなければ文句も言えないと思っていましたので、大学院へ行くことを決めました。
大学院では、整形外科医であり地域での活動にも精力的であった平田総一郎先生に師事しました。先輩には山田実先生(現筑波大学)がいて、同期の土井剛彦(現国立長寿医療研究センター)君と一緒に、加速度センサーを用いた高齢者の歩行解析をしていました。
地域高齢者に関する歩行の解析をしていたこともあり、このころにはスポーツトレーナーという気持ちよりも、理学療法士の可能性や価値をもっと多くの方々に届けたいという思いが高まり、株式会社アールイーコンセプトの創業を考えました。
修士課程が終わったらと考えていましたが、いろいろなご縁をいただき、博士課程に通いながら大学病院に勤め、その後会社を設立しました。31歳の時に、博士課程に進みながら大学病院で4年間勤務しています。
はじめは大阪でやるつもりでしたが、大学院に通う中で色々な出会いがあり、神戸の方が長くなったということもあって、神戸に腰を据えています。
神戸大学の整形外科医の先生方とよく一緒に仕事をさせてもらっていましたので、患者さんをご紹介いただくこともあります。現在でも、神戸大学といろいろ連携しながら、仕事を続けています。
― 大学の教員になろうとは思いませんでしたか?
山口先生 教育者としての教員には最初は興味がありましたが、研究者としての実力を考えたら、自分の役割は違うかなっと。むしろ優秀な研究者の研究成果を活かして地域に還元する、橋渡しのような役割のほうが向いてるかなと思っています。
素晴らしい論文もエンドユーザーに届かなければ意味がありません。かといって、その論文内容を一般の方が理解できるかといえば難しいわけです。それを上手く伝えることができれば、本当の意味で価値のあるものになるのではないかと思っています。
続くー。
【目次】
第一回:素晴らしい論文をエンドユーザーへ
第二回:兵庫県士会の理事へ
第三回:地域の”かかりつけ理学療法士“
最終回:アールイーコンセプトのコンセプト
山口先生のオススメ書籍
山口良太先生のプロフィール
■ 資格等
博士(保健学)・専門理学療法士(運動器)・呼吸療法認定士
作業管理士、腰痛予防労働衛生教育インストラクター(介護・福祉分野)
■ 経 歴
神戸大学医学部保健学科 卒業・神戸大学大学院保健学研究科 修了・
神戸大学医学部附属病院 勤務・神戸大学医学部保健学科 非常勤講師
株式会社アールイーコンセプト 代表取締役
一般社団法人兵庫県理学療法士会 理事
【Dr.Ryo-Tのカラダデザインラジオ】