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第三回:長野オリンピックから変わった障害者スポーツの認識【秋田 裕先生】

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工学と一緒になれば解決できる

 

秋田先生 横浜市総合リハビリテーションセンターに転職したときも、リハビリテーション工学部門がありました。エンジニアの方々に「頸髄損傷の方が自分でカメラを持って写真を撮りたいといってるんだけど」という要望を伝えると、「カメラを固定する台を作って、ピントやシャッターはスイッチ一つでできるようにしました」。「釣り堀に行って釣りがしたいんだ」というジストロフィーの方には、釣り竿を電動車いすに設置して、にスイッチを操作すれば竿が動いて釣りを楽しむことができました。

 

医学的な手段ではこれ以上できることが無いのだけど、工学的な手段を使えば解決の糸口がある。そこが面白いところだと思います。

 

でも障害を持っている側からすると、「まずは体の機能を元通りに回復したい」という希望があると思うのですが、その状態で「これ以上体の機能の回復は望めないからこの道具を使いましょうか」という誘導はとても難しいと感じます。

 

自分ももし、交通事故にあって首から下が動かなくなりましたってなったらどう思うだろう?

 

― ショックですよね。

 

秋田先生 一生歩けませんって言われたらショックでものも言えない。

 

加害者に向かって「この野郎!今までまじめに仕事してきたのにこんなにしやがって!どうしてくれるんだ!」と、受け入れがたいことですよね。

 

「病院で歩くことはできないけど、車椅子を使えば社会復帰はできるよ」とか「今までのような生活はできないけど、バスケットボールだってスキーだってできるよ」という話を、同じ病室の先輩から聞いたりするかもしれません。

 

車椅子バスケをやっている人が、嬉しそうに話すのを聴いてるうちに、そういうことが仲間同士でのカウンセリングになって、悩みの解決になったりするわけです。

 

チェアスキーの仲間に、四戸龍英(しのへりゅうえい)さんという方がいます。学生時代のスキーの試合で転倒して脊髄損傷になり、リハビリをしていく中で、チェアスキーを知る機会があり、パラリンピックにも出場しました。

 

このように、チェアスキーがあることで、人の人生を変えたりすることもあります。あるきっかけで違う人生を送ることができる。自分がオリンピックに出るなんて思ってもみなかった人が、パラリンピックに出たりすることだってできるんです。

 

―その情報ってどういう風にしたらキャッチできるんですか?

 

秋田先生 昔は、障害者スポーツをリハビリの一環としてやっていましたが、長野パラリンピックから、障害者スポーツに対する見方が少し変わったように思います。長野パラリンピックの前には「四戸選手が海外の競技会でメダル取って帰ってきました」という記事が、スポーツ面ではなく社会面に出ていたのです。「障害者なのに頑張ってスキーをやってメダルを取ってきました」と、言わんばかりですよね。彼にはそれが全然面白くなかったのです。

 

そんな状況だったのですが、長野パラリンピックではNHKがその様子を放映されたりしたことがきっかけで(その時、解説をしたのは、神奈川リハセンターで一緒に仕事をしたカメラマンの清水一二さんでした)。

 

リハビリのためのスポーツではなく、競技スポーツとしても認知されるようになりましたね。障害者スポーツの記事は、ちゃんとスポーツ欄に掲載されるようにもなりました。

 

【目次】

第一回:教育は4年制で行うべき 

第二回:チェアスキーの発展

第三回:長野オリンピックから変わった障害者スポーツの認識

第四回:Assistive Technology

最終回:リハビリテーションは分業ではなく協業

 

日本支援工学理学療法学会の情報

設立の趣旨

義肢装具、車いすや福祉用具による急性期、回復期、維持期(生活期)、終末期の各病期での介入効果の検証や開発等を基盤とする臨床研究の推進とEBMの構築を図り、障がい者の生活自立支援を促進するための住環境整備への関わり、ロボティクス技術による運動療法機器や。福祉工学的支援としての介護機器の活用、新たな開発や効果検証など幅広い領域を網羅しています。さらに運動器、脳血管障害や脊髄損傷を始めとする中枢性神経障害、内部障害や虚弱高齢者等を対象として、関連する領域との横断的臨床研究活動の実践、障がい者(児)、高齢者の活動・参加とノーマライゼーションの促進、さらに隣接する理学療法学会との積極的連携を図りながら、包括的理学療法サービスの展開とQOL向上に寄与することを設立目的としています。

引用:日本支援工学理学療法学会HPより

 

日本理学療法士学会 動物に対する理学療法部門の情報

設立の趣旨

動物に対する理学療法部門は、動物を対象とし、動物自身と動物と生活する人を包括的に支援していくために、日本動物理学療法研究会や関連学会と連携し、獣医療におけるリハビリテーションおよび理学療法に関する臨床研究・基礎研究を行い、人材の育成に努め、動物理学療法の普及と獣医療の発展に寄与することを目的とします。
 また、世界理学療法連名のサブグループの連携窓口になります。

引用:動物に対する理学療法部門HPより

 

秋田裕先生 プロフィール

【経歴】

1949年東京で生まれる。

1969年4月 高校卒業 後、2年間の浪人を経て国立療養所東京病院附属リハビリテーション学院理学療法学科入学。

1973年3月 4年かけて同校卒業。京都府立洛東病院、神奈川県総合リハビリテーションセンター、健康保健総合川崎中央病院(現 川崎社会保険病院)、を経て横浜市総合リハビリテーションセンター2009年の定年まで勤務。

 

2007年 日本理学療法士協会賞受賞

2011年 神奈川県知事表彰(保健衛生表彰)受賞

2015年 厚生働大臣表彰受賞

 

【役職等】

社団法人日本理学療法士協会代議員、生活環境支援系専門理学療法士。

日本支援工学理学療法学会運営幹事

動物に対する理学療法部門代表運営幹事

社団法人 神奈川県理学療法士会監事

日本身体障害者補助犬学会理事長

 

【その他】

 1978年より、車いす障害者のスキー用具である「チェアスキー」の開発と普及活動に参画。1980年の日本チェアスキー協会の設立以後、運営委員、強化部員、理事。日本障害者連盟の設立に携わり理事として障害者スキーの普及と競技選手の養成など、国内国外での活動にかかわる。1984年にはスイス・ドイツの障害者と共に開催したシットスキー国際ミーティング(スイス・サンモリッツ)の企画運営に携わり、1988年第4回冬季パラリンピック大会(オーストリア・インスブルック)、1992年第5回冬季パラリンピック大会(フランス・ティーニュ)にはサポーターとして参加した。1998年第7回長野パラリンピック冬季大会で女子選手として初めて金メダルを獲得した大日方邦子選手は横浜リハセンターででの担当理学療法士だった。

 2000年の上海万博では、万博史上初めて開設された障害者パビリオンで、補助犬(盲導犬、介助犬、聴導犬)5頭をユーザーとともに紹介。理学療法士の職域拡大の課題として、動物に対する理学療法の確立を目指して活動している。

第三回:長野オリンピックから変わった障害者スポーツの認識【秋田 裕先生】

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