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充実したPT時代
―就職を決めるにあたってはどういったところを見て決めたんでしょうか?
細川さん 就職先を探そうとなったときに実習で川鉄に行っていたということもあって、整形外科がいいなと思っていました。そんな時に船橋整形にいる大学のゼミの先輩が「うち来たら?」と軽く誘ってくれたんです。船橋整形外科には一度見学に行って、雑談のような面接をして就職できたという感じです。笑 今は船橋整形に就職するのは大変みたいですね。
私が入った当時、土屋先生や菅谷先生が川鉄から移ってきました。そこから、船橋整形が専門医を集めはじめました。それがはじまりで、「PTも専門性を」ということで、土屋先生発端で膝チームを作ることになりました。その時、私も声をかけて頂いて一緒にやることになったんです。それからずっと下肢を専門として研究とかするようになりましたね。自分としての大きな武器ができて本当に良かったと思ってます。
ACL、半月板、アキレス腱断裂などを中心に研究をよくしていました。当時はよく院長先生や副院長先生に「臨床だけじゃなく、学術もちゃんとやらないとダメだ」と言われていたこともあって、当時はリハだけで年間80本くらい発表していましたね。(スタッフは100人くらい)なので、私もほぼ毎年発表していましたし、後輩のサポートも多く携わらせて頂きました。
自分が課長になってからは、特に多くの部下の研究を見なければならなかったのと、自分の要領が悪いこともあってか、日をまたいで帰宅することも週の半分以上はありました。当時は要領の良い優秀な同期をいつも尊敬していましたね。
理学療法士→ライフプランナー
―船橋整形時代は転職を考えたことはなかったんでしょうか?
細川さん 全く思いませんでしたね。自分が昔からやりたかった仕事ですし、理学療法士という仕事に誇りをもっていました。人の人生を変えることだってできる仕事ですし、凄くやりがいがありますね。私の患者さんでPTになった人も10人以上はいます。ま、私の影響かは分かりませんけど・・・。笑
あとは、何処の病院でも良くならなかった人が船橋整形にきて、良くなった時に「細川先生に出会えて良かった」とか患者さんに言われた時は非常に嬉しかったですね。昔から、僕自身は「人の役に立てる仕事がしたい」と親によく言っていました。ですから、理学療法士という仕事は非常に楽しかったですし自分に向いている仕事だと思ってました。辛いこともありましたが、辞めたいと思ったことは全くなかったですね。
―転職されたきっかけはなんだったんでしょうか?
細川さん きっかけは、自分で転職しようと思ったわけではなくて、たまたま今の所長から連絡があって、共通の知り合いが僕のことをアピールしてくれていたようでした。それで会うことになりました。
最初は保険会社に興味はなかったんですが、社会勉強になると思って話だけ聞きに行くつもりでした。ですが、話を聴くとかなり衝撃的でした。というのも自分の想像していた保険のイメージと、全然違っていたからです。ライフプランナーという職業を知っていく中で、すごく興味を持ちました。
ライフプランナーもPTも本当に人の役に立つ仕事なんですが、PTの場合は人(患者さん)との関わりとしては、リハビリが終わるまでのお付き合いですよね。一方でライフプランナーとお客さんは基本的には一生のお付き合いなんですよね。そして、その家族と長い間お付き合いが出来るんです。それが私の性格にも合っていたし良かったのかなと思います。
今では住宅ローンアドバイザー、相続診断士、ソニー銀行代理業取扱資格者、ソニー損保販売資格者など色々と資格を持っています。年々変わっていく社会保障制度や年金や経済の話しなど、多方面からサポートできる本当におせっかいな職業です。笑
【目次】
第一回:私の担当理学療法士は脇元幸一先生
第二回:船橋整形外科→ソニー生命
第三回:ライフプランニングと理学療法評価
最終回:遠い約束を果たすために
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細川智也さんのプロフィール
1979年2月 千葉県船橋市生まれ
1998年4月 国際医療福祉大学(大田原)入学
2002年4月 船橋整形外科病院 就職(理学療法士)
2017年4月 ソニー生命保険株式会社 転職(ライフプランナー)
船橋整形外科病院では、下肢部門の課長として自分のグループを受け持つ。 研究報告や論文は、主にACLやアキレス腱断裂に関するもの多数。 その他、Spine Dynamics、筋膜マニピュレーション(level2まで)、DNS、クラインフォーゲルバッハ、MSIなどを駆使し、老若男女からアスリートまでの治療に従事するも、ヘッドハンティングにより2017年4月からライフプランナーへと転職し、初年度は新人賞にも入賞し今に至る。