-理学療法士になったきっかけを教えてください。
宮内さん:高校は商業科だったのですが、きっかけとしては父が介護施設で働いていたことで、中学生の頃から職場に遊びに行っていた経験からです。そこでは、父から勧められていた歌謡曲などを歌っていたりしましたので、自然と高齢者や障害者に接する仕事につくのではないかと思っていました。きっかけは父だったと思いますが、たまたま受験シーズン前に近隣の学校が理学療法学科を新設する情報が耳に入りまして、受験することになりました。
最初は整形クリニックに入職しまして、普通に理学療法士として業務していました。入職する直前に診療報酬が変わり、以前の単純・複雑という点数から、日数制限や疾患別リハが始まりました。その変更から、今後医療の中では“効率化”という点がポイントになり、それに対応できない病院や施設は淘汰される時代になるのではないかと思うようになりました。
—それが公認会計士を目指すきっかけになったということですね。
宮内さん:ちょうど同時期に、夕張市の市立病院が閉鎖して患者が困惑しているという報道が流れて、よりその思いが加速したという感じです。それから、医療というものを俯瞰してみるようになって、根本的な解決のためには、経営や運営の方からアプローチしなければいけないのではないかと考えるようになりました。そう考えた時に、選択肢のひとつが公認会計士でした。
-あえて公認会計士を目指した理由はなんでしょうか。
宮内さん:いろいろなビジネスモデルを見たかったというのが大きな理由です。公認会計士の独占業務に監査業務というものがあります。公認会計士になれば様々な企業や病院の会計監査を通して、数字を通して、病院の経営状況を見ることができると考えました。会計監査というのは、基本的に一定基準の企業に法律的に義務付けられているものです。そのため、機密書類であっても会計監査に必要な場合は閲覧することができます。これは大変貴重な経験だと感じました。企業のトップが日々どのように経営判断を行っているのかを知ることができるのです。また、「現場経験がある」ということも病院の業務内容を理解する上ではアドバンテージになると考えていました。
クローン病の発症
―公認会計士への転職は大きな決断でしたね。
宮内さん:実は、決断を後押ししたのは、理学療法士として就職してから半年後に指定難病であるクローン病を発症したことが大きいです。クローン病は主に小腸や大腸に、炎症や潰瘍を引き起こす病気で、発症すると、腹痛、下痢、体重の減少といった症状が出ます。症状が悪化すると腸閉塞になったり、手術が必要になります。治療方法としては、栄養療法(食事制限と成分栄養剤の服用)や薬物療法が用いられます。
私自身現在も食事制限をしています。例えば脂ものやコンビニの商品はほとんど食べられません。それに加え、栄養剤の摂取(経口又は鼻から胃まで挿入する細いチューブを介して栄養剤を摂取する経腸栄養の併用)、自己注射により症状の安定を図っています。過去に小腸切除手術も経験しており、医師からは「今度小腸切除をすると小腸で十分な消化ができなくなるため、食事をすることはできずIVH(中心静脈栄養)で生活することになる」と言われています。昨年は、ストーマ(人工肛門)を増設しました。未だに、ストーマ装具の装着に慣れないため、朝起きると装具が外れて布団が便まみれになっていることもあります。そんな状況でもいつも前を向いていられるのは、周りの方たちに恵まれているからだと思います。
-突然、難病を発症したことで人生観が変わったと。
そうです。とはいえ、すぐに病気を受け入れることはできませんでした。病室で母親から「丈夫に生んであげられなくてごめんなさい」と言われたことが一番辛かったです。発症の原因が不明であるが故に母は自分を責めたのだと思います。発症してから1年間は消化に負担になる肉や脂ものは一切食べませんでした。それも、母が病気のために料理を勉強してくれたおかげでした。しかし、発症当時は自分の症状よりも他人に迷惑をかけていることが気になり、自分を責める日々が続きました。
その矢先に難病を受け入れる転機が訪れました。地元の番組で視覚障害者の生活に密着するという特集がありました。その番組に当事者として出演していたのが、当時パラリンピックの選手を目指して活動していた浦田理恵さん(パラリンピック/ゴールボール金メダリスト)でした。浦田さんはほとんど視力がありませんが、普段の生活はとてもアクティブでした。浦田さんはヒールの高い靴を好んで履いており、リポーターが「どうしてヒールの高い靴を履くのですか?目が見えないと転んで危ないですよね」と聞くと、「だってヒールの高い靴を履くと足が細く見えるんですよ」と明るく笑顔で答えたのです。
その時、私は頭をカナヅチで思っきり殴られた気持ちになりました。いつまで悩んでいるんだ、一度きりの人生、病気に負けていいのかと。それと同時に「病気を理由にして人生を後悔したくない」という気持ちが芽生えました。公認会計士という新たな夢に本気で取り組む難病患者がいてもいいのではないか。また、同病患者に前向きになってもらえるのではないかと考えました。その頃の私は「クローン病の星になる」という根拠のない自信がありました。
また、当時私が実践していたことが、将来をイメージする時に制約を外して考えるという方法でした。もし、自分が健康体で経済的に豊かであったら何をしたいか。同時に最悪のケースも想定しました。私の中でその頃の最悪なケースはクローン病が重症化して食事ができなくなるという状態でした。自分がその状態であってもやりたいことは何かと考えました。その時の私の答えはどちらのケースでも公認会計士になりたいというものでした。私がとても困難な道のりを選択したと思います。
しかし、病気の有無に関わらず人生には多くのは困難が待ち受けるもので、それを乗り切るには、最悪の状態でもやり続けることができることを仕事にすることが大切なのではないかと考えました。この辺りは理学療法士を目指した時の想いと通じるものがあります。目の前に困っている人がいる。でも、その時は助けることができなかった。だから、同じようなことがあった時にはその人の役に立てる自分でありたい。
-病気が理学療法士の業務に影響することはありましたか。
宮内さん:クローン病は内部障害なので、見た目は普通の人と変わらないため、症状を説明してもなかなか理解されないことが多いです。症状のひとつとして特にトイレが頻回になる傾向があります。リハビリは基本1単位20分ですが、症状がひどいときには20分の間に何回もトイレに行ってしまい、患者さんから怒られたときもあります。しかし、職場の人たちの配慮もありましたので、特段働きにくいということは感じませんでした。
結局、クリニックには3年間勤めた後に退職しました。公認会計士になるためには受験に専念する必要があると考えました。都会に住む人であれば、資格学校に通学して試験勉強をする人が多いですが、当時私の地元である鹿児島には公認会計士の講座はありませんでした。そのため、webで通信教育を受講することにしました。もちろん、親には難病を発症したということもあり転職には猛反対されました。しかし、何回も説得を続けたので最後は諦めてくれました。
どうせ勉強も長くは続かないと思ったのかもしれません。退職後、私は自室でひとり勉強する日々が3年ほど続き、その結果なんとか合格することがきました。
続くー。
第二回:難病のレジリエンス
第三回:公認会計士から見た理学療法士
最終回:コンサルティング会社の設立
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宮内謙一さんのプロフィール
公認会計士・理学療法士
会計・税務のほか情報セキュリティやシステム構築にも強みを持つ。
現在は、代表取締役として社会的課題に取り組む企業に対してコンサルティングを提供している。
また、仕事の傍ら持病のクローン病啓発のための活動も行っている。
会社webサイト:http://hilo-sc.com
TED形式のイベント CPA TALKs2017動画:
https://jicpa-tokyo-cpa-youth.jp/movie/miyauchi/
<最終学歴>
神村学園専修学校 理学療法学科
<職歴>
2005年-2008年 医療法人厚徳会 日高内科クリニック 理学療法士
2010年-2011年 医療法人トウスイ会 稲津病院 理学療法士
2012年-2013年 介護老人保健施設 長生園ナーシングセンター 理学療法士
2013年-2015年 オーチアス株式会社 経理責任者
2015年-2017年 新日本有限責任監査法人 公認会計士
2017年-現在 河野公認会計士事務所 公認会計士
2018年5月-現在 株式会社HiLOソーシャルクリエイト 代表取締役