OTではなくPTになりたかった
POSTインタビュアー:OTになろうと思ったきっかけは何ですか?
勝田先生:実は、OTになろうとは思ってはいませんでした。理学療法士になりたかったんです。中学生の時に靭帯損傷して、整形外科に受診したのですが、そこではリハビリテーションがありませんでした。
ギブスが外れた際に、医師からは徐々に運動開始していいよと言われたんですが…「徐々にってどのくらい?」という風に思ったのがきっかけです。その説明をできる仕事を調べたら理学療法士であると知り、理学療法士になりたいと思いました。
だけど…実際は大学受験で失敗して、作業療法学科が受かったので、結局そこに入学したんです。
POSTインタビュアー:そのようにして作業療法学科に進む学生は少なくはないですよね。実際大きな葛藤があったのでは?
勝田先生:葛藤はかなりありました(笑)。理学療法に必要な講義を受けるための交渉や学科変更の交渉を散々しました。
毎年交渉に行っていたので、学科長にはあきれられましたね。「どうしても理学療法士になりたいのであれば、入学し直すしかない」と言われて、学科の変更はあきらめました。
それでも、どうしてもスポーツ選手のリハビリテーションに関わりたかったので、それが勉強できる大学院に行くことを決めました。
POSTインタビュアー:大学院に進むということで目的を果たされたんですね。どのような研究をされていたのですか?
勝田先生:大学院はスポーツリハビリテーションに関わるための一つの手段であったので、何かを研究したいという気持ちは強くありませんでした。
ですので、研究が学生生活の主体である院での生活は大変でした(笑)。
研究は膝に関する内容で、国際学会でも発表しました。研究手法などを学んだことは今後の臨床で大きく活きましたし、そこで出会った人たちには本当に感謝しています。
壁にぶつかり、ドイツ行きを決意
インタビュアー:実際、スポーツに関わってみて、どうでしたか?
勝田先生:実際にスポーツリハビリテーションに関わってみて、自分の経験とリンクしてくるところがありました。
過去に「徐々に復帰していいよ」、って言われたことに疑問と不満を持っていたはずなのに、自分もいつしかそうしていたのですね。はっきり答えられない自分に情けなさを感じました。スポーツはタイミングが難しい。
次の試合に出ることが大事なのか、良いコンディションを創り上げるのが大事なのか…。1回の機会の重みを凄く感じます。一度の失敗が、その選手のその後の機会を奪いかねませんから…。
スポーツリハビリテーションの壁に当たってしまいました。奥の深さと難しさ、それに対して乗り越えたいというよりは恐怖の方が大きかったのかもしれません。
インタビュアー:なるほど。スポーツリハビリテーションを追求したのち、なぜドイツで働こうかと決めたのでしょうか?
勝田先生:スポーツを行う人たちのリハビリと並行して、病棟に入院されている患者さんたちとの関わりもありました。その中で、学生時代に描いていたものと異なるリハビリテーションに興味、楽しみを感じている自分がいました。
しかし、退院支援の難しさを非常に感じていました。退院後に困っている患者さんの声を聞き、「家に帰る」って難しいなぁ…と思っていたんです。
そんなときに『世界ウルルン滞在記』で、ドイツの国際平和村の放送があり、「国に帰る」ってどういうことだろうと疑問が生まれました。
実は以前にも同番組でドイツ国際平和村が取り上げられていたことも見たことがあり、当時から「いつかいってみたいな」という気持ちはありました。放送で日本からのボランティアも活動していると知り、さっそく調べました。
ドイツ国際平和村に問い合わせてみると、ドイツ語が必須…との返事がきたので、ワーホリを利用してドイツへ行くことを決めました