決して"職場に恵まれていた"とは言えない新人時代【株式会社TRAPE 代表取締役|作業療法士 | 鎌田大啓】

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― 作業療法士になろうと思ったきっかけを教えてください。

 

鎌田先生 実は、もともと新聞記者になろうと思い、大学は経済学部に通っていました。

 

しかし、就活シーズンになって調べていくうちに、新聞記者はなかなか家に帰れず、転勤も多いということが分かり、自分が目指すライフスタイルと違うなと思い、新聞記者になるのをやめようと思いました。

 

そこで、将来何がしたいか悩んでいるときに、友達がファイナンシャルプランナーという資格を取っていたので、資格という選択肢もあるのかと軽く考えるようになります。

 

ただ、調べていてもファイナンシャルプランナーには全然興味が湧かず、そのときに、たまたま医療関係のコーナーで作業療法士という資格を見つけました。

 

患者さんの人生やQOLに関わるというところが、「人間くさいな」と思い、興味を持ち始めました。調べていくと、夜間部があるということを知り、働きながら通学することを決めました。

 

地域でのリハビリに魅力を感じたわけ

 

― 働き初めてから、今の活動に至った経緯を教えてください。

 

鎌田先生 最初勤めた病院は回復期病院でしたが、最初の一年間で辞めてしまいました。

 

最初の半年間は患者さんに触れずに、ただ見学するような方針の病院で、よく分からないまま、時間だけが過ぎていきましたね。

 

結婚という転機や、回復期の前の段階にはどんなことが起きているのかとても興味を持ったということ、またちょうど結婚をして自分の人生を考えた時その法人の待遇面に納得がいかなったということもあり転職に至りました。


結局2年目に、回復期病院から同期が作業療法部門を立ち上げた急性期病院に転職することになりました。

 

そこでは患者様という主役をいかに元気にするかということに医師、看護師、その他コメディカルと強い連携をもつことができており、楽しく働かせていただいていました。

 

しかし、大きな壁が徐々に出てきて、その頃から自分も地域に出て訪問リハビリがやりたいと思うようになったのです。

Photo by Visual hunt

 

― どのようなだったのですか?

 

鎌田先生 リハビリテーション科の理学療法士のトップの方針が「一つの手技の考え方を結構押し付けてきた」というのがありました。

 

決定打は、作業療法士にもそれを強いてきたということ、そして「お前は生活とか人生とかいいすぎ」と言われたことにあります。

 

作業療法には作業療法の先人が作り上げてきた考え方やり方があり、さらにどんどんそれも進化していっていますので「お互いの良い所を共有しましょう」という提案もしましたが、それは通りませんでした。

 

もともと、私も手技的なアプローチをしていたこともあり手技自体はとても重要なことだと思っています。

 

しかし、それだけでは患者さんがよくならないことも経験し、包括的に患者さんを診ていく必要性を感じていました。

 

― 訪問リハビリをやりたいと思うようになったのは、学生時代に勉強させてもらっていた先生の影響が大きかったのですか?

 

鎌田先生 そうですね。わたしは学生の時訪問リハビリ、通所介護(デイサービス)を行ってらっしゃった先生の元で修行させていただいたことが作業療法のキャリアのスタートでした。

 

急性期病院から在宅復帰される方もいらっしゃるのですが退院された患者様より「地域に出ると病院のように自分にあったリハビリを考えてくれるところがあまりない」との声を聞き、自分でも在宅で満足度の高いリハビリテーションを提供したいと思いました。

 

しかし、いざその先生に相談すると、『地域=訪問看護ステーションではないのだから、”地域とは何か” をもっと学んでから起業した方がいい』とアドバイスをいただいて。

 

本当はすぐ起業して訪問看護ステーションをやろうと考えていたのですが、そのアドバイスを受けて、その先生の知り合いの介護施設を紹介されました。

 

3年間だけという約束で、働きながら学ぶことになります。

 

Photo by adobestock

 

目標は全部達成。売り上げを3倍に

鎌田先生 最初は通所リハビリの職員として入ったのですが、それから数ヶ月たったときに、そこの訪問看護ステーション部門の看護師が一気に辞めてしまうことがありました。

 

それによって、訪問看護ステーションの継続が困難になり、法人自体の経営も傾いてしまいました。

 

そこでそれまでも現場をよくし、利用者様によってよりよいサービスを提供するための課題、改善案を常に提案していた私に声がかかります。

 

一つ一つの部署がバラバラなことをやっていたら地域はよくならないと思っていたので、「訪問看護ステーションも通所リハビリも、ケアプランセンターも全部を統合してできるようにさせてください」とお願いをしました。

 

その約束のもと「地域事業部」を立ち上げ、そこの部長として働き始めました。その後に「地域事業センター」と格上げとなります。

 

立ち上げ当初に立てた目標は、その後全て達成し、売り上げも最初の2倍強ほどを生み出す「地域事業センター」に成長していきました。

 

― いきなり部長、そしてセンター長になって、そこまでの成果を残すために先生は何をされたのですか?

 

鎌田先生 もともと地域のデザインをやらないと変えられないと思っていたので、医療介護のビジネスセミナーに参加したり、徹底的にビジネスの本を読みあさりましたね。

 

そこで学んだことが活きたこともありましたが、実際には、どうしても分からないこともたくさん出てきます。

 

そういうときは既に訪問看護ステーションを立ち上げていて、なおかつ成功している社長さんに、頭を下げて色々と教えていただきにいっていました。

 

大阪には素晴らしい心の広い大先輩の方々が多くいるんです。

 

*目次

第一回:決して"職場に恵まれていた"とは言えない新人時代

第二回:組織における問題点。多くの解決の糸口は…

 

鎌田大啓先生 プロフィール

2005年 作業療法士免許取得

病院勤務を経て、医療法人が展開する介護事業所にセンター長として就任し、介護保険の原点である「自立支援」を軸とした介護サービスを展開する。

 

吹田市介護保険事業者連絡会会長としても多くの介護事業者、行政、住民と交わり、業界の課題を痛感する。2015年に株式会社TRAPEを設立。

 

現在、『ReDesignで価値の最大化を生み出す』という企業信念に基づき、介護事業所(者)を元気にするための自立支援型コンサルティング(ひとづくり、しくみづくり、自立支援サービスづくり)を展開中。

 

またCommunity Healthcare Designerとして、『社会参加』『ちょこっとヘルスリテラシーup』が自然に生まれる地域づくりを積極的に展開中。

 

街を!大阪を!日本を!世界を!元気に、おもしろくしていくために邁進します!

決して"職場に恵まれていた"とは言えない新人時代【株式会社TRAPE 代表取締役|作業療法士 | 鎌田大啓】

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