ー PTになろうと思ったキッカケを教えてください
塙先生 子供の頃から、プロサッカー選手を夢見ていました。しかし、高校生の頃、横浜F・マリノスユースの選手と試合をして「これがプロになる人達のレベルか」と痛感しました。そこでプロの道を諦めました。
そこで、将来について考えていた時、ちょうど試合中にケガをした選手の元に駆け寄って行く人物に目が止まり、これになろうと決めました。これがきっかけで、いろいろと調べ、理学療法士を目指そうと決断しました。
ー 理学療法士になって最初からスポーツ選手を診ていたのですか?
塙先生 いえ、最初は療養型の病院に勤めていました。実際、臨床実習で高齢者に関わっているとそれに必死で、自分が理学療法士を目指したキッカケなんて忘れていました。就職活動のときにも、スポーツ選手に携わりたいとは考えてもいませんでしたね。
個人的な事情もあり、実家に近い病院ということで、最初の就職先を決めました。
そこでは、ガンの末期患者さんや、交通事故後に引き取り手がいない方などに携わっているうちに「私たちのできることってなんだろう」と考えるようになりました。
生きることや死ぬことについて考えるうちに、「相手が望んでいることをできるようにすればいい」と、シンプルに考えるようになりました。そんなことを思っているうちに「自分の幸せって何?」と振り返ったときに、”サッカー”が思い浮かびました。
鹿島アントラーズで働き始めたキッカケ
塙先生 そのあとは、パソコンで「日本代表 サッカー トレーナー」で検索して、偶然にも日本サッカー協会からトレーナーの求人の公募を見つけました。ザッケローニ監督のときです。
ただ、そこには「理学療法士や柔道整復師、鍼灸師などの他に”アスレティックトレーナー”の資格を持っていることが必要」と明記されていました。 そこでアスレティックトレーナーの学校に通うことを決めます。ちょうど臨床3年目になる頃ですね。
それからは近くのクリニックや訪問リハビリでアルバイトをしながら、夜間の学校に通いました。土日は高校のサッカー部の練習を手伝い、そんな学生生活を2年間過ごしました。
ー PTの学校はATの学校とどのように違いましたか?
塙先生 ATの学校は、テーピングの授業がだいたい週に一回二時間と、PTの学校よりも多く時間が設けてあります。また、トレーニングの授業では実際にベンチプレスやマシーントレーニングを行ったりします。リハビリに関しては各競技別のアスレティックリハビリテーションについてまで学びます.
あとは、応急処置。救急処置という授業があって、AEDの使い方など、傷病者に対してどのようにに対応するかを学びます。どのように現場で連携をして対応するかまで学びます。
ー 鹿島アントラーズで働くことになったのはなぜですか?
塙先生 本当に運が良かったからです。
ATの専門学校の先生が鹿島アントラーズの育成部長と知り合いで、卒業のタイミングでちょうど育成部のトレーナー枠に空きがでたということで紹介していただきました。
鹿島アントラーズに入って1年目は育成部で働かせて頂いたのですが、2年目になるときにトップチームの理学療法士の話しを頂いたので、今はトップチームで働いています。
鹿島アントラーズのメディカルチームについて
ー 今は理学療法士枠としてどのような業務をされているのですか?
塙先生 チームの為になれば、基本何でもやります。私もそれでいいと思っています。ただ、一番のメインは、怪我人の管理です。これは確実に理学療法士に任せられている感じですね。
ー 鹿島アントラーズのメディカルスタッフのメンバー構成を教えてください。
塙先生 ドクターが6人、理学療法士は私とブラジル人の方の計二人。
あとは「トレーナー」という役職でアスレチックトレーナーと鍼灸・按摩マッサージの資格を持っている人が二人います。鍼灸・按摩マッサージの資格だけの方も一人います。
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塙 敬裕先生プロフィール
【学歴】
平成22年3月 文京学院大学 保健医療技術学部 理学療法学科 卒業
平成27年3月 東京リゾート&スポーツ専門学校 アスレティックトレーナー科 夜間部 卒業
【職歴】
平成22年4月 医療法人 博生会 本牧病院 リハビリテーション科 入職
平成25年3月 ひぐらし整形外科内科 リハビリテーション科 入職(非常勤)
平成26年5月 ナースステーション東京・池袋 訪問リハビリテーション 入職(非常勤)
平成27年4月 鹿島アントラーズFC 育成部トレーナー 契約
平成28年2月 鹿島アントラーズFC トップチーム フィジオセラピスト 契約
現在に至る