運命の出会い
ー 半田会長が理学療法士になられたきっかけを教えてください。
半田会長:高校生の頃、私の目標は勉強とスポーツの両立でした。私は福岡の生まれですから、医学の最高峰は九州大学医学部です。九州一の中学校バスケットボールチームを率いたキャプテンでもありましたから、その二つを両立したいと思っていました。
スポーツでも一流。勉強でも一流。これを目指していましたが、大学入試で失敗して浪人中、色々悩んでいました。その時、友人が予備校に通っていて、九州リハビリテーション大学校(以下、九州リハ大)を受けるという話を聞き、学費がタダだというので一緒に受けてみることにしました。
受験会場について、ちょうど私の右斜め前に、私の好きなタイプの女性がいて、何と無なく、その子の名前が頭に残っていたんですね。
受験が終わり、九州大学医学部は不合格。そのほか、歯学部を受けていて合格し、九州リハ大も合格していました。周りからは、「もう一度浪人して医学部を目指せ」と言われましたが、どうしてもまた“浪人”になるのが嫌でね。
九州リハ大の合格発表の時、あいうえお順に20名ほど合格者が張り出されていて、自分の名前の横に、その子の名前が書いてありました。
「あの子も受かったんだなー」と。当時、リハビリテーションがなんなのか、理学療法士がどういう仕事なのかも知らず、気になる女性ただ一人だけを求めて、入学したのがきっかけです。
この話を、今まで取材で話してきましたが、誰も記事にしてくれたことはありません。笑
ー 気になる女性を追いかけて入学されたとのことですが、当時の倍率でどのくらいだったのですか?
半田会長:28倍です。私が受験したときの国家試験の合格率は、9.7%でした。ですから、地獄のような時代ですよ。28倍の難関をくぐり抜けてきても、その10%しか国家試験に合格できませんからね。今のように90%というのは、夢みたいな話ですよ。
そんな背景と相まって、昔の理学療法士は、医師とコメディカルの間に立って、マネジメントをする立ち位置としても期待されていたんです。
当時、1次試験の合格後、2次試験として実技試験が設けられていました。当日の実技試験は、台の上に様々な装具が置かれていて、試験官がパッと手に取った装具の名前や部品の名前を口頭で答えるというものでした。
私の試験官は、なぜかスプリントを手に取ったので、すかさず「スプリントなんて習ってないからわかりません。大腿義足に変えてください」と説得しました。
当時、スプリントなんて理学療法士の分野ではありませんから、当然授業でも習いません。そんなこと言ったものですから、試験官も「大腿義足ならなんでもわかるんだな?一個でも間違えたら不合格だからな」と。
当時の実技試験はとにかく難しかった。でも、とても大事な試験だったように思います。今、会長をしていて時折「実技試験を再度行うべきではないか」と思うこともあります。
というのも、現在は筆記試験のみの国家試験であるため、国家試験に合格することが先行して、技術を伴っていないという課題があります。それは患者さんに対して、失礼なことではないかなと思うんです。
4月1日に入職して、5月には免許をもらい、仕事(治療)の対価としてお金を取りはじめるわけです。もしも自分や自分の親が、技術が未熟な理学療法士が担当となると聞いたらどう思いますか?ということです。
人は誰しも、提供者側と消費者側に別れます。スーパーに行けば、なるべく安くていいものを自分で選びたいでしょう。自分がいち理学療法士として、サービスを提供する側に回った時、それを忘れてはいけないような気がします。
ー ずっと臨床一筋で来られて、なお協会運営の方も長年されてきたと思いますが、そのきっかけはなんだったのでしょうか?
半田会長:私は、昭和46年に就職しましたが、その就職先には当時の福岡県理学療法士会(以下、福岡県士会)の会長がいました。それもあってか、就職してすぐに福岡県士会の財務を担当して欲しいと打診がありました。
私は自分のお小遣いすら計算できない人間でしたので、お断りしたのですが、「いや、大丈夫だ。だいたいでやっておけばいいからやれ」というので、だいたいでやりました。
そして1年後。実際に計算してみると…。
続くー。
【目次】
第二回:聖域なき構造改革
第四回:世界の中心で理学療法と叫ぶ
第五回:開業権の話をしよう
第七回:競争社会を作る
第八回:理学療法士ライセンスの希少性
最終回:リハビリテーションの概念改革
半田一登会長のプロフィール
1971年、九州リハビリテーション大学校卒業 後、労働福祉事業団(現・独立行政法人労働者健康福祉機構)九州労災病院に入職。
1987年、社団法人日本理学療法士協会理事に就任し、2007 年より同協会会長を務める。
日本健康会議 実行委員、チーム医療推進協議会 代表、一般財団法人訪問リハビリテーション振興財団 理事長 等