第二回:聖域なき構造改革【半田一登先生】

  • Line
  • Hatena
2809 posts

前回の続き。

運命を変える第21回全国理学療法学術大会in福岡

ー ずっと臨床一筋で来られて、なお協会運営の方も長年されてきたと思いますが、そのきっかけはなんだったのでしょうか?

半田会長:私は、昭和46年に就職しましたが、その就職先には当時の福岡県理学療法士会(以下、福岡県士会)の会長がいました。それもあってか、就職してすぐに福岡県士会の財務を担当して欲しいと打診がありました。

 

私は自分のお小遣いすら計算できない人間でしたので、お断りしたのですが、「いや、大丈夫だ。だいたいでやっておけばいいからやれ」というので、だいたいでやりました。

 

そして1年後。実際に計算してみると、帳尻が合わないわけです。当時福岡県士会の会費は1人500円。全体で46名しかいませんから、23,000円しかありません。それでも決算で、千円ほど合わない。

 

そのまま会長のもとに報告したら、「合っていないじゃないか!」と。

 

だいたいでいいから、と引き受けた最初の仕事で、結局自腹をきるはめになりました。当然、財務はクビになり、総務を担当することになりました。笑 

 

それからは総務一筋で仕事をしてきて、私の運命を変える第21回全国日本理学療法士学会の福岡開催が決まりました。当時の士会長が学会長になり、準備委員長として私がご指名を受けました

 

当時の学会運営について、私はいくつかの問題点を感じていて「今回の学会からやり方を変えていいですか?それでもよければ、準備委員長を引き受けます」と提案しました。

 

その時、条件としてもう一つ、「福岡県の理事を若手に切り替えること」も出し、実際に理事を大きく切り替えました。そして、学会の運営をこれまでのやり方から大きく変えました。

 

その学会は、結果的に大盛況に終わり、これまでの課題も全てクリアしました。それがきっかけとなり、当時の日本理学療法士協会会長から「日本理学療法士協会の理事をやってもらえないか」というお話を頂きました。

 

時を同じくして、私にオーストラリアへ留学しないか?という話がありました。その前にも、イギリス留学の話がありましたが、女房の妊娠が重なり断念したことがありました。非常に悩みましたが協会の理事を務めさせていただく方を選びました。当時39歳でした。

 

家庭を顧みず働くことに

半田会長:当時の日本理学療法士協会執行部の現状をお伝えしますと、まだまだ、弱い団体であったにも関わらず、内部での争いが絶えない状態で、本来はまとまって、外に向けて戦いを挑む必要があるのではないか、と考えていました。

 

当時はまだ、日本政府も我々の団体を暖かく育ててくれている時期でしたが、その後自分たちの足で、大地を歩いていかなければいけないことは分かっていました。当然、その準備は早く始めなければならず、色々考えた上で、理事になることを決めました

 

理事になると担当部門を任されるのが通常で、基本的には一人の理事が受け持つ担当は一つですが、「学会担当理事」「士会担当理事」「ブロック担当理事」「事務局担当理事」と、私だけなぜか4つの担当を任されました

 

結果としては、非常に良い経験になりましたが、九州から通いながらこれらの任務を行うのは非常に大変でしたね。当然、家庭を顧みず働くこととなりました

 

今考えると、私は理学療法士になるように出来ていたのでしょうね。自分の意思とはちがう力が働いたと言いますか。まぁ、女性を追いかけてなったのですが。笑 理事もなりたくてなったというよりは、たまたま準備委員長になって、その功績を認めてもらって、なったわけですからね。

 

ー 理事として全国を飛び回られていたとのことですが、その分臨床の時間を削られたんですか?

半田会長:いえいえ、昔は土曜日も半日休みだったので、午後から出発して、日曜の夜まで協会の仕事をして、また月曜日から臨床をやっていました。ですから、うちの娘たちが小さい頃は何もしてあげてないですね。

 

よく女房に捨てられなかったなと思います。笑 さらにいうと、野球が好きだったもので、月曜日から金曜日の業務後は、職場の野球部の練習に行っていました。

 

練習の後は、飲み会があって、その後には麻雀がはじまるわけです。家帰るのは午前様。しかも土日は家にいない。という亭主でした。ちなみに、私の女房は九州リハ大の受験会場で出会った「あの子」です。笑

 

学生時代の目標だった、勉強とスポーツの両立同様、いい職業人といい亭主を両立させるとい…。

続くー。

 

【目次】

第一回:PT養成校に入学するに至った不純な動機

第二回:聖域なき構造改革

第三回:理学療法士になって良かったとつくづく思う

第四回:世界の中心で理学療法と叫ぶ

第五回:開業権の話をしよう

第六回:PTが介護士になれば介護士不足は解消する?

第七回:競争社会を作る

第八回:理学療法士ライセンスの希少性

第九回:会員を守るために“戦える集団”をつくる

最終回:リハビリテーションの概念改革

 

半田一登会長のプロフィール

1971年、九州リハビリテーション大学校卒業 後、労働福祉事業団(現・独立行政法人労働者健康福祉機構)九州労災病院に入職。

1987年、社団法人日本理学療法士協会理事に就任し、2007 年より同協会会長を務める。  

日本健康会議 実行委員、チーム医療推進協議会 代表、一般財団法人訪問リハビリテーション振興財団 理事長 等 

  • Line
  • Hatena
第二回:聖域なき構造改革【半田一登先生】