一色史章先生ーアメリカで働く日本人理学療法士(PT)ー

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私が理学療法士を目指したきっかけ

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私が理学療法士になったきっかけは、小学生の頃から野球をやっていて、中学のときに関節唇損傷、脱臼、靭帯断裂を経験したことがきっかけでした。

足首に対しては、人工靭帯のOpeを受け、肩に関しては保存でした。しかし、理学療法を受けることができなかった。

今でこそ、草野球程度であればできますが、あのころにしっかりとしたリハビリテーションを受けることができれば、こんなことにはなっていなかったのではないかと思っています。

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その経験もあり、最初は医者になり、スポーツ復帰を目指す施設を作ろうと考えていました。大学受験の直になり、滑り止めの学校を調べていたところ「理学療法士」という資格を知りました。

このとき初めてリハビリテーションの専門家がいることを知り「自分がリハを受けられなかったのは、医者のせいではなく理学療法士の知名度が低いせいなのではないか」と思い、医学部ではなく理学療法士の養成校に進学しました。

これまでの歩み

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養成校に入学して、一年生の頃から「スポーツをやる」と宣言し続け、色々と先生に相談していました。自分の中で「スポーツ領域に携わるならアメリカだろう」と漠然と思っていたので、アメリカに行ってトレーナーの資格をとるということも言っていました。

あと、野球の本場の国ですからね。 反対はされましたけどね。二年生になって、阪神と楽天のトレーナーに出会って、インターンをさせてもらっていました。

その方々は、アメリカでトレーナーの資格を取っていた人たちだったので色々と聞いていると「アメリカでも理学療法士の資格取れば?」とお話しいただきました。

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それをきっかけに、アメリカの大学院を調べていて、論文を書かずとも臨床能力を高めることができる授業内容が興味深く、その調べていた大学が整形においてアメリカNo.1の大学院だったのでその頃、留学を決意しました。

実際に留学したのは、日本で資格を取得して数ヶ月間働いた後に、アメリカの大学院合格が決まってすぐに行きました。

通常一年の修士課程で必要な知識技術を身につけるのですが、英語力もなかったので、一年で学ぶカリキュラムを二年に分割してもらい卒業しました。

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留学して修士課程が終わった後に、MLBのシアトルマリナーズのインターンやアメフト選手のトレーナー、PNFのカイザー病院のプログラムなどをしていました。さまざまな経験を積んでいるときに、ビザの期限が切れそうになってしまって「このまま日本に帰るのもなんだな」と思って博士課程に進みました。今思えば過酷な時期で、1日バナナ一本で生活していた時期もありましたね(笑)

「日本とアメリカの教育の違い」

「アメリカの理学療法最新情報」

一色史章先生経歴

【所有資格】

DPT,MS、PHI Pilates Master インストラクター

【経歴】

徒手療法と運動療法を専門とするスポーツ理学療法士。

インターンでは日本プロ野球3球団、アメリカンフットボールピッツバーグスティーラーズ、シアトルマリナーズを経験。

日本国内整形外科勤務を経て、米国へ渡米しピッツバーグ大学大学院修了。

Kaiser 病院でPNFレジデントの勤務を終えて、Loma Linda University にてPost Professional Doctor of Physical Therapy Program卒業(博士課程)

【所属】

Seal Beach PHYSICAL THERAPYにて外来整形外科勤務

【講習会情報】

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キーワード

♯アメリカPT  ♯留学 ♯MLB

♯ピラティス ♯スポーツ理学療法士

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