日本には一回しか帰れないというルール
遂にこれから待ちに待った現地での活動が始まる…この時の気持ちの高ぶりは今でも忘れられません。
余談になりますが、協力隊の特徴の1つとして、派遣後は例外(病気や怪我等)を除き、日本への帰国は1度しか認められていません。
アジア圏の場合、途中で1度だけ帰国する隊員も多いのですが、アフリカや中南米のような国に派遣されると、2年間日本へ帰国しないという隊員も多くいます。
ネイティブの現地語が聞き取れない
話を戻しますが、そんなモチベーションが非常に高い状態で現地へ到着したのですが、すぐに私は愕然としました。
あれだけ語学訓練をしたのにネイティブの現地語が全く聞き取れなかったのです。
派遣後すぐに現地でも1ヶ月程語学訓練が行われたのですが、本当に聞き取れず、こんな状況で活動などできるのか?と言う程のレベルでした。
また、文化や習慣の違いにも慣れるのに時間を要し、生活していくのが精いっぱいという期間が最初は続きます。
みそ汁が飲みたい
最初の難関としては語学以外では、食習慣に慣れることでした。
モンゴルの場合はとにかく主食が肉、肉、肉…。肉ばかりで、日によって羊肉か牛肉の違い位なもので、正直これをずっと食べていたら体がもたないと思ったほどでした。
結局、現地で数少ない日本の調味料を集めたり、中国や韓国の調味料を使用し自炊するようにしていました。
ただこれは国によって違いますので、あくまで私のモンゴルの経験談として話をしております。
経験したことのない寒さ
次に慣れないのが気候でした。
モンゴルの冬は非常に寒く、首都のウランバートルは世界一寒い首都と言われており、9月には初雪を認め、冬は-30℃を切るようなこともしばしば。
また、冬を凌ぐために暖房設備のない家々は、まきを焚き、その煙で大気汚染が深刻な状況でした。
モンゴルは寒さが大変でしたが、アフリカなどでは暑さが大変かもしれません。日本と違う気候であると、それにともなって様々な状況が変わってきます。
もしかして日本が異常?
これは協力隊に派遣された隊員ほぼ全員が思うことの1つだと思います。
おそらく、誰もが1度は約束をすっぽかされたことがあるかと思います。
私も最終的には待ち合わせ場所に人がいたらラッキー位な感覚になっていました。
日本では時間を守る、借りたものは返す、上司への報告、連絡、相談は当然のこと、そんな感覚で生活してきたので、最初のギャップは大変なものでした。
良い意味でも悪い意味でも自分の考え方を改めざるを得ない状況になるのですが、この慣れる期間は人によって大きく異なってくるようです。
しかし、他の協力隊員に話を聞くと、この手のことはどの国でも同じように経験するそうで、日本が特殊なのでは?と思うようにもなります。
言い方が悪いですが、何でそんな適当なのか?何で時間通りにできないのか?何で約束を守らないのか?と思うことは多々あるのですが、その基準は日本で育った自分の中のルールなだけで、現地の方にとっては意外な理由があることも多いです。
現地生活では様々なギャップを味わないがら生活に慣れていきますが、慣れていく過程で現地の人々を理解していくことにも繋がっていきます。
日本で育まれた価値観を大事にしつつ、現地の方々の行動や考え尊重できるようなバランス感覚を養うことが重要になるのかもしれません。
小泉裕一先生経歴
経歴 専門学校卒業後、埼玉県内の大学病院で勤務。3年間勤務し、青年海外協力隊員として2012年6月~2014年6月までモンゴル国立第三病院へ派遣された。派遣中から開発途上国リハビリレポーターというweb企画を立ち上げ運営している。(30ヵ国からのリハビリレポートを日替わりで配信するもの)帰国後は訪問看護ステーションで勤務している。