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リハビリテーションに伴う「回復の谷」を克服する~計算論的メカニズムで迫る~

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脳卒中のリハビリテーション(以下リハビリ)で問題となるのが「学習性不使用」と呼ばれる現象です。例えば、利き手である右手が麻痺している場合、患者は左手を使って右手の機能を代償しがちです。その結果、右手を使う機会が減り、使用頻度に応じた麻痺手の回復が見込めなくなります。従来のリハビリでは、非麻痺手の使用をミトンやスリングで物理的に制限するCI療法(Constraint-Induced movement therapy)が効果を上げてきました。しかし、患者に身体的負担やストレスを強いることから、リハビリ用ロボットを用いた、より効率的な療法の開発が期待されています。 

本研究チームは、学習性不使用を解決するリハビリ用ロボット開発の設計論の開発に取り組んでいます。ヒントになったのは、理学療法の権威であるジェームズ・ゴードン博士(南カリフォルニア大学)の指摘です。リハビリでは、失った機能を代替する比較的簡単な運動スキルの訓練から精密な運動スキルの訓練に段階的に移行します。その際に観測される「タスクの成功率が一旦低下する現象」が精密な運動スキルへの移行を困難にしているというのです。 

本研究チームは、このような成功率の低下を「回復の谷」と名付け、背景に潜む数理メカニズムの解明を目指しました。具体的には、サルの脳卒中モデルが麻痺手でエサをつかむ運動スキルを回復する際に、どのようなつかみ方をしたのかと、その成功率のデータを解析しました。 

サルはトレーニング初期に、親指の背中と人差し指の間にエサを挟む(代償把握)ことでタスク成功率を上昇させましたが、本来使用していた親指と人差し指でエサをつまむ動作(精密把握)を選択し始めると、タスク成功率が低下しました。しかし、その後のトレーニングで「回復の谷」を克服し、精密把握の成功率を上昇させることが出来ます。このプロセスを二つの漸化式を使ってモデル化し、機能回復にかかわる構造を推定しました。その結果、代償把握と精密把握の学習動態には相互作用があり、この相互作用が「回復の谷」の克服にとって重要であることを突き止めました。そして、この相互作用の効果を高めるようにアシストロボットを設計すれば、「回復の谷」を克服し、学習性不使用を解決することにつながると考えられました。 

このような、リハビリの計算論的研究は、数理モデルに基づいたリハビリロボットの開発や、頭皮上から電流を流して非侵襲的に脳を刺激し治療につなげる技術開発にとって重要です。   

研究代表者   

筑波大学  システム情報系 

井澤  淳  准教授 

研究の背景

リハビリテーション用アシストロボットが販売され始めてからしばらく経過しますが、実際の治療成績の向上にまで結びついていないのが現状です。本研究チームは、リハビリテーション用アシストロボットに不足しているのは機械としてのロボットの開発研究ではなく、機能回復の数理モデルに基づいた設計論だと考えました。 

脳卒中のリハビリテーションで特に問題となるのが「学習性不使用」と呼ばれる現象です。例えば、利き手である右手が麻痺している場合、患者は左手を使うことで機能を代償する傾向があります。そうすると、麻痺手である右手の使用機会が減り、使用頻度に応じた麻痺手の回復が見込めなくなります。このような状態になると、麻痺手(右)を使って達成可能なタスクであっても、非麻痺手(左)を使うようになります。本来であれば麻痺手(右)の回復のために使われるはずだった神経リソースも非麻痺手(左手)が奪うことになり、これによってさらに麻痺手(右)が使われる負のスパイラルに陥ります。 

従来のリハビリテーションでは、非麻痺手の使用をミトンやスリングで物理的に固定するCI 療法(Constraint-Induced movement therapy)が効果を上げてきました。しかし、患者に身体的負担やストレスを強いるため、リハビリテーションロボットを用いたより効率的な療法の開発が期待されています。

本研究チームは、このような学習性不使用を解決するためのリハビリテーション用ロボット開発の設計論のヒントを、理学療法学の権威であるジェームズ・ゴードン博士(南カリフォルニア大学)が指摘した、リハビリテーション中のスキルの移行に伴う成功確率の落ち込み現象に求めました。そして、このような落ち込み現象を「回復の谷」と名付け、その背景にある数理メカニズムを明らかにすることで設計論に対するヒントを得ました。   

研究内容と成果 

「回復の谷」は、療法士の間で経験的に認識されていますが、臨床実験データとして明確に報告されてはいません。しかし、サルやマウスの脳卒中モデルによる実験例においては、「回復の谷」がエサの獲得確率の落ち込みデータとして明確に示されています。 

本研究では、サルの脳卒中モデルが麻痺した手でエサをつかむ運動スキルを回復する際の、どのようなつかみ方をしたのかと成功率のデータを解析しました。サルは、トレーニングの初期には親指の背中の部分と人差し指の間にエサを挟み込むようなつかみ方(代償的把握)を選択することで比較的早くタスク成功率を上昇させますが、本来使用していた親指と人差し指を対立させるつかみ方(精密把握)を選択し始めるとタスク成功率が大きく下降する「回復の谷」を示します。しかし、その後のトレーニングによって、この「回復の谷」を克服し、精密把握の成功率を上昇させることが出来ます。 

この「回復の谷」の克服の背景にあるメカニズムを明らかにするために、それぞれの把握スキルのレベルがスキルの使用によって更新すること(使用依存的可塑性:Use Dependent Plasticity(注1))を表現した状態空間モデル(注2)によってモデル化しました。さらに、日数の経過とともにスキルレベルが自発的に回復する要素(自発的回復:Spontaneous Recovery)も加え、これら要素の組み合わせの内、どの組み合わせが最も回復過程を説明するか情報量基準(注3)を用いて比較しました。 

その結果、代償把握と精密把握のそれぞれの使用依存的可塑性に加えて、一方の使用が他方に影響を与えるような相互作用項と、さらに自発的回復を組み合わせた状態空間モデルが最も良く計測データを説明できることを確認しました。さらに、それぞれの定数に外乱を加えて、その影響をシミュレーションする感度解析によって、相互作用を高めると回復の谷を比較的容易に克服できることを明らかにしました。

この結果は、アシストロボットによる感覚経験への介入や非侵襲神経モジュレーションを用いた相互作用項の強化をリハビリテーションに応用することによって「回復の谷」の克服を補助し、代償把握と精密把握の間の移行を促進させる可能性を示唆しています。 

このように、数理モデルを用いることで、どのような要因に対してどのタイミングで介入すればどのような効果が期待できるかに関して、数値シミュレーションを用いたリハビリテーションの設計が出来るようになり、個々の回復特性に合わせたテイラーメイド・リハビリテーションが可能になります。 

今後はこのような数理モデルに基づいた設計論を確立し計算論的神経リハビリテーション工学という新しい工学領域を開拓することを目標としています。   

今後の展開

少子高齢化社会における健康寿命の延伸には神経リハビリテーション科学の推進が重要です。本理論をロボットインターフェイスや VR(仮想現実)技術と統合し、効果的なリハビリテーション技術の開発へと展開する予定です。   

参考図   

図  実際の機能回復データから推定したパラメータに対する感度解析の結果(抜粋)

 左: 数理モデルがスキル移行に伴う成功確率の落ち込み「回復の谷」を再現している。

右: 推定した相互作用項の値を高めるような疑似的な介入を加えることによって、「回復の谷」が消失し、成功確率が安定するようなリハビリテーションが実現できることを予測している。 

用語解説   

注1) 使用依存的可塑性 

特定の運動によって運動機能を担う神経細胞が繰り返し活動すると,同じパターンの脳活動が次に生じやすくなり、運動機能が回復すること。神経細胞どうしの情報伝達を担うシナプスの結合変化が、使用頻度に依存して変化すること(Hebbʼs law)に関係している。

 注2) 状態空間モデル

時系列データを生成する特定のシステムには観測できない状態が内在し、入力と状態変化の因果関係に基づいて時系列データが生成されるというシステム科学の基本的な考え方に基づく数理モデル。ある時間の状態が次の時間に入力に従って更新されるような漸化式によって表される。気象予報や制御工学などあらゆる場面で使用される。 

注3) 情報量基準 

複数のモデルの中から適切なモデルを選択するために使われるモデルの良さを評価する基準。最も広範囲につかわれている赤池情報量基準(AIC)では、モデルの複雑さとデータとの適合度のバランスをとることで、予測するデータの分布が真の分布と近くなるようなモデルを選択することが出来る。   

研究資金   

本研究は、日本学術振興会科学研究費補助金(18H03304,  18H03135,  19H05729,  19H04977, 15H01674,15K21666,20H05490)の一環として実施されました。

掲載論文   

【題名】

Accounting for the valley of recovery during post-stroke rehabilitation training via a model based analysis of macaque manual dexterity (計算論的モデルに基づいたマカクザルの手指の巧緻性の解析によって脳卒中後リハビリテーション中の回復の谷を説明する) 

【著者名】

Jun Izawa1(井澤淳), Noriyuki Higo2(肥後範行), Yumi Murata2(村田弓) 1:筑波大学システム情報系 2:国立研究開発法人産業技術総合研究所 

【掲載誌】

Frontiers in Rehabilitation Sciences  

【掲載日】

2022 年 12 月 20 日 

【DOI】   

https://doi.org/10.3389/fresc.2022.1042912 

 

詳細▶︎https://www.tsukuba.ac.jp/journal/medicine-health/20221221140000.html

注)プレスリリースで紹介している論文の多くは、単純論文による最新の実験や分析等の成果報告に過ぎました。 、さらに研究や実験を進める必要があります。 、専門家の指導を受けるなど十分に配慮するようにしてください。

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