目次
- はじめに
- 深刻化する高齢者のうつ病
- 系統的レビューが明らかにした知見
- 理学療法の効果――運動の種類による違い
- なぜ運動がうつ症状を改善するのか
- 日本における位置づけと実践への示唆
- 研究の限界と今後の課題
- まとめ
- 参考文献
はじめに
高齢者のうつ病は、認知症や自殺のリスクを高め、医療費増大の要因ともなる深刻な問題です。しかし、従来の薬物療法には副作用や薬剤相互作用といった課題があります。そうした中、運動を中心とした理学療法が新たな治療選択肢として注目されています。2025年に発表された系統的レビューは、8つの無作為化比較試験を分析し、理学療法の可能性と課題を明らかにしました。
深刻化する高齢者のうつ病
日本では65歳以上の高齢者が人口の約29%を占め、2036~2037年には33%台に達する見込みです。この人口構造の変化とともに、高齢者のうつ病が増加しています。
地域在住の高齢者では約5%がうつ病に罹患していますが、施設入所者ではより高い割合となります。国立長寿医療研究センターが実施した全国64市町村の調査では、65~74歳の前期高齢者におけるうつ傾向の割合が15.6%から32.4%まで、地域間で2.1倍の差がありました。この差は、環境要因が大きく影響している可能性を示しています。
高齢者のうつ病は若年者とは異なる特徴があります。典型的な抑うつ気分が目立たず、意欲低下や認知機能の低下が前面に出るため、認知症と誤解されることが少なくありません。また、うつ病は認知症発症のリスク要因でもあり、自殺率の上昇とも深く関連しています。
従来の治療は薬物療法と精神療法が中心ですが、高齢者では問題が生じやすくなります。抗うつ薬は眠気、吐き気、めまいといった副作用があり、高血圧や糖尿病など複数の疾患に対する薬剤との相互作用のリスクも高まります。厚生労働省の検討会資料でも、高齢者へのベンゾジアゼピン系薬剤の使用は認知機能低下や転倒・骨折のリスクがあるため、可能な限り控えるべきとされています。
こうした課題から、薬物に頼らない治療法の開発が求められてきました。
系統的レビューが明らかにした知見
2025年9月に『Frontiers in Public Health』誌に発表された研究は、高齢者のうつ症状に対する理学療法の有効性を評価した系統的レビューです。スペインのサン・ホルヘ大学の研究チームが、PRISMA(Preferred Reporting Items for Systematic Reviews and Meta-Analyses)ガイドラインに従って実施しました。
研究チームはPubMed、Web of Science、Scopus、Cochrane Libraryの4つのデータベースを検索し、2025年6月30日までに発表された論文を対象としました。最終的に8つの無作為化比較試験(RCT)が選定され、合計1,368名の高齢者が分析対象となりました。
対象者の平均年齢は60歳以上で、5つの研究では軽度から中等度のうつ病と診断された患者、残り3つの研究では評価尺度によってうつ症状が検出された患者が含まれていました。
うつ症状の評価には、高齢者うつ尺度(GDS-15)、ハミルトンうつ病評価尺度(HDRS)、病院不安抑うつ尺度(HADS)、疫学研究センターうつ病尺度(CES-D)などが使用されました。GDS-15は15項目の質問で構成され、5点以上でうつ傾向、10点以上でうつ状態と判定される、高齢者に特化した簡便な評価法です。
理学療法の効果――運動の種類による違い
分析対象となった研究の多くが運動療法を実施していました。運動の種類は多岐にわたり、有酸素運動(ウォーキング、自転車こぎ)、筋力トレーニング(ウェイト、レジスタンスバンド)、バランス運動、柔軟性運動(ストレッチング)などが組み合わされていました。
プログラムの実施期間や頻度は研究によって異なりましたが、多くは8週間から6カ月の期間で、週2~3回、1回30~60分程度のプログラムでした。多くの研究では理学療法士による監督のもとで実施され、一部は自宅でのプログラムに定期的なフォローアップを組み合わせていました。
研究チームは効果量を示すコーエンのdを算出しました。この指標では、0~0.2が小さい効果、0.2~0.5が中程度、0.5~0.8が大きい効果、0.8以上が非常に大きい効果とされます。うつ病評価尺度では点数が低いほど症状が軽いため、負の値が改善を示します。
一部の研究では大きな効果が報告されました。Singhらの研究では、HADS尺度およびGDS-15で非常に大きい効果が示され、介入群で顕著な改善がありました。Aibar-Almazánらの研究は大きい効果、GöksinとAsiretの研究は中程度の効果を報告しました。一方、Underwoodらの研究では効果は限定的でした。
1997年のSinghらの研究では、高強度の筋力トレーニング(最大筋力の80%)を週3回、10週間実施したところ、HDRSとGDS-15の両方で有意な改善が認められました。有酸素運動と筋力トレーニングを組み合わせたプログラムも効果を示しています。
実施環境による違いも観察されました。地域在住者を対象とした研究では、効果が報告される傾向がありました。一方、施設入所者を対象としたOPERA研究では、運動介入による抑うつ症状の改善は限定的でした。
興味深いことに、運動とリラクゼーション技法を組み合わせた研究も有効性を示しました。Göksinらの研究では、漸進的筋弛緩法を週3回、8週間実施し、GDS-15スコアの有意な改善が報告されています。
なぜ運動がうつ症状を改善するのか
運動がうつ症状を改善するメカニズムは複数の経路で説明されています。最も注目されているのが、脳由来神経栄養因子(BDNF)の役割です。