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酒向正春先生−世田谷記念病院副院長 回復期リハビリテーションセンター長−

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私がリハ医になった理由

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POSTインタビュアー今井:先生にとってのセラピストとはどういう存在ですか?


酒向先生:私にとってセラピストの皆さんは仲間であり同士ですね。患者さんを良くするという意味で、私一人ではなにもできませんから。そういう意味でチームの仲間であり同じ方向をめざしている「同士」ではないかと思います。


インタビュアー今井:先生にはリハ医のお医者さんのお知り合いがいらっしゃると思うのですが、先生同士の共通認識はあるものなのですか?


酒向先生:セラピストに対する考え方は、医師の中でも大きな相違があると思います。私と同じ考えのリハ医師は少数派かもしれません。


もともと私は脳神経外科医です。脳卒中の治療を専門とする脳神経外科医であって、リハだけを学んできた医者ではないのです。ですから、脳の外傷や脳卒中や脳腫瘍で障害を負った方を治療してきました。


その時に、手術でよくなる方もいれば手術ができない方もいる、よくならない方もいる、悪くなる方もいらっしゃるという現状があったわけです。そういう時に軽症の患者さんを治してくれる病院はありましたけども、中等症以上、重症の方を治療しようという先生、リハ病院が2000年以前はありませんでした。


だけど、私たちはやはり自分たちが治療した患者さんですから、中等症、重症の方もよくしたいと思っていまして、お願いする先生がいなかったので自分がリハ医になったわけです。


POSTインタビュアー今井:お医者さんとして率直な意見として、リハビリの先生に思うところはありますか?


酒向先生:やはりみんなにプロになってほしいですよね。プロになるためには、その患者様を診た時にその患者さんがどこまで良くなるのかを予測・診断して、スタッフと一緒に病態を理解して、可能な限り機能障害を向上することが第一歩です。


機能障害が落ち着いてからは、能力をさらに挙げていくという段階に入ります。能力をできるとこまであげて、その後社会環境を整えることによってハンディキャップを減らしてお家に帰るという流れになります。


そこまでを入院当日に情報共有して、「退院時はここを目指そう」ということを話し合います。退院がゴールではなく、退院したあとに患者さんが生活を継続できることが私たちの目的です。


ということをいつもスタッッフに対して説明しながらやっているので、スタッフは理解してくれていると信じています。他のリハ医も同じように現場でリーダーシップをとって頂けると嬉しいですね。


地域に関わること

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POSTインタビュアー今井:先生が取り組むことの中で、「地域」という部分がポイントになっているのではないかと思っているのですが、先生の「地域」に対するヴィジョンをお聞かせください。


酒向先生:私はなんのためにリハをやっているかというと、この病院の中で患者さんをよくしたいということ以上に、患者さん自身の生活を取り戻してほしい。


そのためには、病院を退院後、病院に頼らない社会にしなくてはいけない。例えば当院を退院してお家に帰った、病院に行けばリハ訓練できるというのではなく、その人の一日の生活の中で、その暮らし自体がリハの流れになることが必要です。


時々病院に来られてそれを修正していく。それが難しく、悪くなりやすい方であれば週2回〜3回は外来リハを継続して、徐々に週1回に減量していきます。徐々に安定して半年くらい経つと、月に2回や1回に減量できる方もおられます。その代わり、継続して長い年月サポートしていくことが重要です。


そこで、「健康医療福祉都市構想」という概念で、コンパクトなユニバーサル環境(場所)を作って、「そこに行けば、気持ちよく活動できて元気になりますよ」という社会環境を作ろうとしています。この二子玉川でも大規模地域開発が来年のゴールデンウィークにオープンします。


駅からあの大きなビル、公園が一体となったユニバーサルデザインの環境が生まれます。退院した後は、病院に頼らずに毎日でも散歩や買物に外出し、屋外活動で身体を元気にして、社会参加による人との交流で刺激を受けながら高次脳機能も向上させる場所にしたいと思っています。


あくまで我々は一番後で見守っているという立場であって、患者さまの重症度によっては、セラピストやヘルパーさんの協力が必要になります。基本は家や施設にこもらずに、そういう屋外環境に出て行って、元気を継続して頂きたい。地域のありとあらゆる資源や手段を活用しようというのが私たちの考えです


POSTインタビュアー今井:そういう地域づくりを全国に広めていく中で、今の医療制度があることでの壁などありますか?


酒向先生:特にないです。医療だけでは何も解決しません。医療的発想だけで活動をするのではなく、私は国土交通省に委員会を作って、健康医療福祉のまちづくりの委員会とコミュニティの再生によるまちづくりの委員会という活動を2つ行いました。


2008年から2013年の6年間で、いろいろ研究・検討して、やっと本年8月1日に国土交通省から「健康医療福祉のまちづくりの推進ガイドライン」を出すことができました。まちづくりというのはハードは国土交通省だし、そこを支援していく経済活動は経済産業省、それに必要な文化は文化庁、教育は文部科学省、すなわち多くの官庁全体で支援、まとまっていくことが大事と思います。


POSTインタビュアー今井:そのような全体での関わりをつくるために先生は自ら行動されて、つくりあげたものですか?


酒向先生:そうですね。医療の現場で一生懸命やっている方、かつ良質な医療をされている方には良い連携ができます。


医師は自分の腕を磨く、そして信頼される医療をするというのがまず基本であるわけです。その上で、病院外での活動が必要な時は、異業種の方たちと交流する機会が必要になります。


私がたまたま推薦されて参加した活動に、東京大学医療政策人材養成講座がありました。それは医療従事者、政策立案者、患者支援者、マスコミの4つのステックホルダーが集まって、医療政策・人材をどう育成していくかということを話し合います。私が発信したのは「医療崩壊の解決策としての健康医療福祉構想」でした。


今は、「健康医療福祉都市構想による超高齢化問題の解決策」という形に進化しています。その時の私のプロジェクトは優秀賞に選ばれました。これにより、有識者から認知され、国土交通省の委員にも声がかかり、人脈を広げていく一つのスタートになったと思います。


ビックマウスじゃ何も解決できない

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POSTインタビュアー今井:先生の現在の環境は医療以外の関係者の方との接点の方が多いですか?


酒向先生:基本的に私は、朝8時から21時までこの病院(世田谷記念病院)に週5日勤務していますので、医療者との接点が多くなります。


18時に病棟業務が終わったら、その後は論文を書いたり、講演スライドを作成したり、または、ライフワークとしてのまちづくりの活動を準備したりしています。週末には医療かライフワークの活動が入ってきますので、去年1年間で休みは5日でした。


 

何かするために重要なことは本業がしっかりしていることです。そうでないと、誰も相手にしてくれません。ビックマウスだけじゃ何も解決できない。


大事なことは、その方が何を解決できてどういう成果をだせるか、そういう力を持っている人間かどうかですよね。


現場で結果を出している私が、患者さんを元気にする社会環境が必要だということを言えば、多くの皆さんに説得力があり、信用してくれるわけです。そうして、次のプロジェクトが始まります。


POSTインタビュアー今井:私たちの業界では、その辺りが弱点だということを言われます。


酒向先生:これからだと思いますよ、活躍するのは。この日本国においてハンディキャップを持つ方、お年をとって弱くなる方、脳卒中とか手術をして弱くなる方、色んな方いらっしゃいますから。そういった方を元気にするという役目はセラピストの皆さんの仕事です。まだまだセラピストの数は足りないです、全然。回復期の病院ですら足りていないわけです。

POSTインタビュアー今井:私たちの業界だと、セラピストが増えすぎて、需要と供給のバランスが崩れてしまったといわれていますが、実は違うのですか?


酒向先生:知っている病院の中に既にセラピストがいるからということなんじゃないですか?日本に名だたる急性期病院いっぱいあります。

しかし、急性期リハをしっかりできるだけのスタッフの数はまったく足りていません。急性期病院でも、慢性期病院でも、回復期病院でも足りない現状です。私は、「セラピストの活動場所が医療保険・介護保険だけに留まるというのが本当にいいのだろうか?」と思います。


私がさきほど言ったようなリハ医療を訪問リハという介護保険でやるのもいいですが、ビジネスとして医療保険を使わないで成り立つようにしていくというのも大事なプロフェッショナルとしての方向性だと思います。保険だけに頼っていたらダメだと思います。


POSTインタビュアー今井:先生の考え方が私たちの業界にも広まると、よりよい連携が沢山生まれてきそうです。


酒向先生:そう思います。まずなんのために自分たちがやっているかということを、それを見失わないようにするということです。


やはり患者さんをよくして患者さんがその人らしく生きるために何をしなければいけないかということを考える。最初は障害が起こっているところをどこまでよくなるかということを、麻痺を治すことを考えるわけです。


治れば治したほうがいいわけです。一生懸命やる、でも治らない。でも最初診たときよりは麻痺が治った、ある程度は麻痺が残った。そこで「残った麻痺で、残った機能で、どこまでパフォーマンスが出せるか」という最大限の能力を発揮するためにリハが継続されるわけです。


だいたいゴールまでまで能力が向上したというところまでいけば、あとはその人のお家とかその人の生活環境で困るものをいかに解決するかですね。


回復期を卒業後に社会参加できる社会環境が不足しているため、私は、「ヘルシーロード」という道を中心としたまちづくりをすすめています。


東京都とは「山手通り整備事業」で連携して、8.8キロの道を24時間365日安全安心快適に歩けるように実現しました。その中心が初台駅からに西新宿5丁目駅までの「初台ヘルシーロード」です。


その公園的歩道空間が8.8キロ続き、2020年の東京オリンピック・パラリンピックの時には、世界中が大都会の中心部に24時間安全安心快適に散歩できる空間があることを驚くことでしょう。


これが東京で私が最初に関わった環境事業です。渋谷区や新宿区とは裏通りに裏ヘルシーロードも検討しています。次の事業がここ二子玉川の大規模地域開発事業です。こちらは東急と連携して進めています。


一方で、内閣府のオリンピック・パラリンピック関連の委員をしておりますので、パラリンピックの基盤となるまちづくりを進めたいと思います。


本業として医師をやっていて、それ以外の時間でライフワークとして生活関連事業を進める毎日です。

酒向正春先生経歴

1987年 愛媛大学医学部卒業 愛媛大学脳神経外科入局

1993-97年 十全総合病院 脳神経外科 部長

1997年 愛媛大学医学部 脳神経外科 助手

1997-2000年 デンマーク国立オーフス大学脳神経病態生理学研究所助教授

2000-03年 愛媛大学医学部 脳神経外科 講師

2004-11年 初台リハビリテーション病院 脳卒中診療科科長

2012年 世田谷記念病院 副院長・回復期リハビリテーションセンター長就任


【著書】

あきらめない力
酒向正春先生−世田谷記念病院副院長 回復期リハビリテーションセンター長−

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