作業療法士を目指したきっかけ
※もともとのきっかけは母親の病気です。私が小学生の時に頚髄の手術を受け、術後にリハビリテーションに取り組んでいました。小中学生3人を育てている真っ最中だったので、母は初期評価の時に「包丁が持てて自転車に乗られるようになったら退院します!」と言ったそうです。
母は郊外の病院に入院していたので、家族でローカル線に乗ってお見舞いに通っていました。自分は覚えていませんが、歩行訓練をする母に私が肩を貸していたこともあったそうです。その後、母は生活するには支障ない程度まで回復し、この経験が「人の援助をする仕事をしたい」という気持ちに繋がったように思います。
大学では心理学を専攻し、臨床心理士を目指していましたが、4年生の頃には様々な理由から心理職として働くことに疑問をもち始めていました。そんな中、卒論に関する資料から作業療法士を詳しく知る機会があり「母がやっていた、アレ」を思い出して関心を持ち、作業療法士として働きたいと具体的に考えるようになりました。大学院受験から専門学校受験に切り替えましたが、大学4年生の時点では準備不足で失敗。大学卒業後に1年間受験勉強をした末、希望の養成校に入学しました。
現在の仕事
整形外科クリニックで外来患者さん(整形外科疾患、脳血管疾患、神経難病)のリハビリテーションと、訪問リハビリテーションを行なっています。また、リハビリテーション科の責任者として、物品管理、職員との相談業務、就職説明会への出席、患者さんからのクレーム対応なども行なっています。
専門学校卒業後は中規模のケアミックスの病院に就職し、整形疾患、脳血管疾患の急性期から慢性期まで一通り経験を積み、5年後に経営譲渡に伴い退職。転職活動をしていた際に、元同僚に誘われてクリニックの立ち上げに関わり、開院から約7年半に至ります。整形外科クリニックでは、作業療法士として働いていても、内容はほぼ理学療法です。疾患別リハビリテーション料の導入後、両者の境界は曖昧になりつつありますが、養成校では学科として未だ明確に分かれています。「理学療法士と何が違うのか?」と悩むことも度々ありましたが、多くの患者さんを治療するうちに「作業療法士には生活動作を細かく分析する視点があり、そこを活かした提案ができるのではないか?」と、徐々に考えるようになりました。
例えば、腱鞘炎などの蓄積外傷疾患の主婦の方に対しては、通常の治療を行なう他に、工程の少ない料理のレシピを考案・提案し、上肢への負荷を軽減することも可能です。出来ることはまだまだ少ないですが、せっかく作業療法士がいる整形クリニックなので、患者さんの日常生活を細かく分析し、出来る限り「作業」からもアプローチするように意識しています。
キャリアアップとは? そのために”今”行っていること
「キャリアアップした!」と思うポイントは、昇給、昇格、患者さんからの指名の多さ、新たな手技の習得、など人それぞれだと思いますが、私は、本人が外的・内的な要因から自分自身の成長の手応えを得て、自信をつけていくことではないかと思います。患者さんの症状を改善させるには、もちろん技術の勉強が不可欠です。今では様々な手技が考案され、効率の良い治療も可能になっていますが、その基礎は解剖学、運動学、生理学です。難解な症例を前にして困った時には、基本に立ち返り、自分の治療を見直すようにしています。また、患者さんとのコミュニケーションでは、大学で学んだゲシュタルト心理学や交流分析が役立っています。誤解のない対応をするためにも、語彙を増やし、自分のコミュニケーションの癖を把握するように意識しています。英語圏の患者さんを担当した時は、手持ちの英語力で何とか対応しましたが、不安を取り除くには不十分だったと痛感したため、それ以来、語学学校に通って英語を学んでいます。
プライベートでは、作業療法以外での経験も積むようにしています。私の場合は、趣味の音楽を通じて中学生からベテラン社会人まで幅広く接する機会があり、多くの刺激を受けています。「この世代はどのような環境で育ったのか?」「あの人だったらどう考えて、どう行動するだろうか?」と考えることが、視野を広げることに繋がっているようです。そして何より、相手は人間ですので「人間の本質はどのようなものか」を学ぶことを重視しています。先人達が人間をどう捉えてきたかを知るために、文学、哲学、宗教学、心理学、史学、漫画、神話や民間伝承などに積極的に触れています。学生の頃は読書が嫌いでしたが、就職してからは読むのが苦にならなくなりました。作業療法という切り口から、人間とは何かを考え、いつか自分なりの答えを見つけることが、私にとって理想のキャリアアップだと考えています。