第一回:ベトナム戦争で苦しむ子供に心が痛んだ【森之宮病院 名誉副院長|理学療法士 紀伊克昌先生】

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特例措置で理学療法士の道へ

ー 理学療法士になろうと思ったきっかけを教えてください。

紀伊先生 理学療法士の免許を取得したのは昭和43年で、専門学校に通う前は大手商社で働いていました。鉄関係の部署に配属されましたが、当時はちょうどベトナム戦争の最中で戦争に必要とされる物の需要が高く、武器や銃弾の原材料を売っていました。私自身も間接的に戦争に加担しているのではないかと思い悩んでいました。「誰にも殺されたくないのと同じく、誰をも殺さない、どんなに切羽詰まっても」というのが、私の生き方基準でした。

 

戦争で子供達が巻き添えで死んでいく、それを思うと心が痛みました。対極的な世界、つまり少ない言葉の中でキラキラ光るような童話の世界に憧れを覚え、美しい言葉が並ぶ本を読み漁り、自分でも童話や絵を描いたりしていました。

 

いつしか子供に関連した仕事をしたいと思うようになり小児科医をしていた伯父や伯父の医学部同級生であった行岡忠雄先生(当時の行岡医療技術専門学校の学院長)に相談をして理学療法士という仕事を知りました。行岡先生もリハビリ専門学校の建設準備中でした。当時は理学療法士の養成校がまだ東京と九州しか学校がなく、しかも入学するのはなかなか難しいらしい。行岡医療専門学園に入学して、特例措置で理学療法士の国家試験が受けられる道を、歩みなさいと、教えられました。

 

臨床経験は大阪大学病院で積んでいたのですが、そこは日本リハビリテーション医学会の初代会長を務められた水野祥太郎教授が在籍されて、日本のリハビリテーション医学の先駆けとなった場所でした。

 

リハビリテーション医学の歴史を辿ると、戦前から東京大学の高木憲次先生を代表としたグループが※療育という言葉を提唱しており、それは西洋のリハビリテーション概念と全く同義語のものでした。

 

西洋からリハビリテーション概念が日本に入ってきたのは、まだ整形外科が確立される前の広い外科の中の一部だった頃で、「orthopedic(オルソペディック)」という学問の中に、「術後関節運動や筋力増強しなさい」といったものがありました。

 

その後、高木憲次先生の仕事を引き継いだ小池文英先生は、厚生労働省での会合で理学療法・作業療法を日本に確立しようと主張し、大阪大学の水野先生とタッグを組んで理学療法士・作業療法士の誕生に力を注いでいました。

 

※「療育とは現代の科学を総動員して不自由な肢体をできるだけ克服し、それによって幸いにも快復したら肢体の復活能力そのものをできるだけ有効に活用させ、もっと自活の途の立つように育成すること」

 

 当時は理学療法の技術も確立していない時代ですから、臨床に出ても子供に苦痛を与えてしまう事もありました。

 

Dr.や先輩 PT からも「自分で考えなさい」という指導を受けていました。日本語で読めるリハビリ関係の専門書は殆どありませんでした。外国の文献を必死に読んだりして、先駆的な知識を増やしました。時として、文献の著者に手紙を送って質問をしたりしていました。

 

疑問だけでなく、感動したとか「私にとってこういうところが有益だった」とか、何か感じたことを書いて著者に送るのを習慣にしていました。中でも印象に残っているエピソードは、マーティン・ルーサー・キング牧師にお手紙を書いた時です。アフリカ系アメリカ人で「肌の色で差別してはいけない」と公民権運動した方です。

 

電化製品などができて、これからどんどん便利になった時に、その余った時間を何に使うのか。「家電のおかげで、便利になった先に何か人間の深さ追及を考えるのか」といったことなどに感動して「これからの人生を決めていくときの指針にしたい」と手紙を書いたら、とても丁寧な返事をいただきました。

 

ボバースとの出会い

 

ー今となっては貴重なお手紙ですね。

紀伊先生 今でも何か文献を読んだ際には、コメントを送ったり、その論文をfacebookで紹介したりしています。話を戻すと、中でも非常に熱心にアドバイスをくれたのがボバース夫人でした。

 

肢体不自由児に対して、本当に何をすればいいのかわからなかったため、「処方箋が欲しい」と思い、連絡を取るようになりました。

 

航空便で送っていたので、一通送って返ってくるのに3週間くらいかかります。しかも、欲しい答えが思うように返ってこなくて、私もボバース先生も手紙には限界を感じていました。

 

そこで「こちらに来てボバースのコースを受けてみてはどうか」と提案をいただきました。恥ずかしくもその時はじめてボバース講習会があることを知りました。昭和44年に4ヶ月間ロンドンに行き、講習会を受けに行きました。

 

紀伊先紀伊先生とボバース夫妻

 

イギリスはすでに卒後教育が確立していて、実践的なものはロンドンで学べました。いろんなプロフェッショナルなコースがあって夜間や週末を利用して、ボバースに限らず、様々な治療法を同時進行的に学ぶことができました。

 

例えば今でいうラガーツ法という、水中PNF法とも呼ばれるプールの中で浮き輪をつけて浮力や水圧の力を使ったリハビリテーションがありました。マクミランという人が創始者です。ロンドンのマクミラン水治療コースでは、理路整然としていまして、私は聞き入るばかりでした。

 

当時の日本には、まだ入ってきてなかったのですね。

紀伊先生 なかったです。名前を聞いたこともありませんでした。日本でも子供の施設だとプールが敷設していたのですが、レクリエーション的に、バシャバシャして「楽しい」というものでした。いわゆるセラピーとして、筋力増強になったりバランス練習になったり、理論が確立されているものは、日本に入っていませんでした。

 

もちろん、ボバース概念や治療はたくさん勉強したのですが、そこには当然イギリスの理学療法士もいますし、オランダやドイツといったヨーロッパの理学療法士も受講していたので、話を聞いていると「日本は理学療法士制度が本当に発足したばかりだな」と思いました。

 

卒後教育のメニューもたくさんあって、どれも魅力的なものばかりでした。

 

今では日本も引けを取らないようになりましたね。

紀伊先生 私が日本理学療法士協会本部の学術局長理事で「卒後教育のお膳立てをしなさい」と言われた時に、アメリカではなくイギリスモデルにして、メニューを用意し、近づけようとしましたが、やはり教える指導者がいないので苦労しました。

 

今では、認定までシステマティックに結びつけられるようになったということは指導者が揃ったということでしょうね。黎明期の時に私らが苦労していたことが、ようやく実を結ばれました。

続くー。

 

【目次】

第一回:ベトナム戦争で苦しむ子供に心が痛んだ

第二回:何のために学ぶのか

第三回:伝承するフィロソフィ

最終回:ボバースやRood、PNFにしても創始者は女性

 

紀伊先生オススメ書籍

 

星の王子さま―オリジナル版
Posted with Amakuri at 2018.3.27
サン=テグジュペリ
岩波書店

 

加藤まさを抒情詩画集
Posted with Amakuri at 2018.3.27
加藤まさを
月の沙漠記念館

 

失われたドーナツの穴を求めて
Posted with Amakuri at 2018.3.27
芝垣 亮介, 奥田 太郎, 北尾崇: デザイン
さいはて社

 

感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ
Posted with Amakuri at 2018.3.27
アントニオ・R・ダマシオ
ダイヤモンド社

 

カンデル神経科学
Posted with Amakuri at 2018.3.27
金澤一郎, 宮下保司, Eric R. Kandel, James H. Schwartz, Steven A. Siegelbaum, Thomas M.Jessell, A. J. Hudspeth
メディカルサイエンスインターナショナル

 

 

神経学の源流〈第2〉カハールとともに (1969年)
Posted with Amakuri at 2018.3.27
万年 甫
東京大学出版会

 

おすすめWebサイト

Neuroscience News:http://neurosciencenews.com/

Latest Science News:https://www.sciencedaily.com/

無料サイトWeb 閲覧をお勧めします。

 

紀伊克昌先生のプロフィール

学歴・職歴

昭和42 行岡保健衛生学園日本医学技術学校 卒業  
昭和45 英国留学 ロンドンボバースセンター12週間ボバース講習会受講終了
昭和43 国立療養所刀根山病院 整形外科・筋ジストロフィー病棟に理学療法技術員
昭和44  大阪大学医学部整形外科教室リハビリテーション部に研修
昭和45 肢体不自由児施設聖母整肢園に主任理学療法士として勤務
昭和57 肢体不自由児施設聖母整肢園 訓練科長(管理職)に昇格
昭和57 特定医療法人大道会ボバース記念病院 リハビリテーション部部長
平成9 特定医療法人大道会ボバース記念病院 副院長に昇格
平成16 特定医療法人大道会ボバース記念病院 名誉副院長に昇格
平成17 社会医療法人大道会森之宮病院 名誉副院長  現在に至る

役員歴

昭和46  大阪府理学療法士会 理事
平成3 大阪府理学療法士会 会長
平成9
昭和51-平成16 日本ボバース研究会 会長
平成16 日本ボバース研究会 名誉会長 (現職)
昭和58-昭和61年 社団法人日本理学療法士協会 理事
昭和61-平成元年 社団法人日本理学療法士協会 協会副会長
平成12 第13回 WCPT学会 副学会長   
平成24 公益社団法人 日本理学療法士協会名誉会員

委嘱歴


昭和47   大阪府母子保健センター設立準備委員会小委員会
平成 2 6 大阪府脳卒中地域ケアシステム推進委員会
平成 4 4 大阪府衛生対策審議委員会
平成 7 4 大阪市介護保険策定委員会

 

免許・資格


昭和44 理学療法士免許 第770号
昭和48 ボバースアプローチ国際公認指導者
昭和62 ボバースアプローチ国際公認シニアインストラクター
昭和63 アジアボバース小児インストラクター講師会議シニアインストラクター

研修歴


昭和45 人間の発生起源学 短期講習会(米国 南カリフォルニア大学医学部)
昭和45 シグネ・ブルンストロームによる成人片麻痺運動療法技術講習会(米国 南カリフォルニア大学医学部)
昭和45 ボバースアプローチ認定12週間講習会(英国 西部脳性麻痺センター)
昭和45 PNF(神経筋促通法)研修(米国 バレーフォー・カイザー協会病院)
昭和48 ボバースアプローチ上級8週間講習会(英国 ボバースセンター)
昭和48 マクミラン水治療法講習会(英国 王立ロンドン水泳センター)
昭和48 ジーン・エアーズによる感覚統合訓練法講習会(ロスアンゼルス市)
昭和52 ボバースアプローチ上級再講習会(英国 ロンドンボバースセンター)
昭和53 ヘレン・ミューラー女史によるプレ・スピーチ講習会
昭和58 ブライス所長(ボバースセンター)による成人片麻痺治療講習会     

表彰歴


平成7 厚生大臣表彰
平成9 第25回医療功労賞 受賞
平成12 厚生労働大臣表彰  

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