第1章:なぜSTの国家資格化は遅れたのか【三鷹高次脳機能障害研究所所長|関 啓子先生】

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WAB失語症検査の日本語版を開発

ー 今ではセラピストが当たり前のように用いている「WAB失語症検査」や「BIT行動性無視検査」ですが、その日本語版の作成に先生が携わってきたと聞きました。

 

関 啓子先生(以下、関) そうですね。WAB失語症検査の日本語版作成は1979年12月に開始されました。杉下守弘先生が作製委員会を立ち上げ、私もそれに参加させていただきました。

 

我が国では、失語症状を捉えるための標準検査として標準失語症検査(SLTA)がよく用いられてきました。

 

標準検査は、単に検査項目が決まっているだけではなく、①検査実施の条件や方法が規定されていること、②検査の対象となる被験者の母集団を代表する標本が適切に選択されていること、③検査の採点法が規定されていること、④信頼性や妥当性が高い検査であることという4つの条件が必要です。

 

その点で、WABは条件全てを満たしている標準検査です。しかも、①国際性、②失語症状の数量的処理が可能、③自発話の尺度化が可能、④タイプ分類が可能、⑤被検者の失語症以外の能力の総合的評価が可能、という優れた特徴を備えています。

 

また、WABは英語圏で広く使用されている検査であったことから、日本語版を作成することによって、それを用いて研究を行い、日本の失語症患者の症状を英語圏に紹介し共通理解を得るという狙いもありました。

 

しかし、実際に外国語から日本語に置き換えるのは非常に大変な作業でしたね。整形外科的な身体の検査は、和訳してほとんどそのまま用いることができますが、WABは言語の検査ですから、日本語に特有な漢字の構造などの言語特性を考慮する必要があります。たくさんの人にテストして、意図と検査項目の難易度が原版と同じのものを選び、3回の改訂を経て、最終案の作製まで約5年かかりました。

 

最終案を使用して行われた標準化を含めて、1985年の9月に作業が完成しました。


 

大学卒業後、東京銀行へ

 

ー 先生が失語症に興味を持ったきっかけを教えてください。

 

 国際基督教大学(ICU)で言語学を専攻していて、ある特別授業の一コマで柏木敏宏先生が失語症のお話をされたんですね。

 

当時はビデオも音声もない時代ですから、それを聞いてもあまりイメージが湧きませんでした。そして、「病院を見学させてください」とお願いして、先生の臨床を見せていただきました。その時にウェルニッケ失語の患者さんと柏木先生が会話をしていたのですが、その患者さんはすごくジャーゴンが激しくて、言っている形式は日本語らしいのだけれど、聞いてみると話の内容がチグハグ。大変失礼な話ですが、それが面白いと思ってしまったんですね。ちょうどその頃、人の役に立つ仕事に就きたいと思って就職先を探していたところでしたから、その夜に言語聴覚士になろうと決めました。

 

ー でも、先生の経歴を拝見すると、大学卒業後に東京銀行に入行していますね。

 

 STとして働くとなると高齢の方に接する機会が多いので、人間性を高めるためには社会を経験した方がいいと思いました。銀行で働いてるときは輸出業務を担う乙仲業者から国際政治経済状況や外国貿易の知識を得る機会もあり、とても勉強になりました。中には身の上話をする方もおられ、そういう方とお話することで、その方の人生を垣間見ることができて人生経験を積むことができたと思っています。その頃の経験は、いろんな患者さんとお話をするときの役にも立っています。

 

東京銀行に5年間勤めた後、1981年に国立障害者リハビリテーションセンター学院のST養成コースに一年間通い、卒業後は東京都神経科学総合研究所に入職しました。初年度からMIT (Melodic Intonation Therapy)というブローカ失語症の非流暢性を高める技法の日本語版の開発・効果測定研究に携わりました。

 

その後、主人の転勤に伴って、札幌のN病院にSTとして勤務したのですが、その頃には国家資格ではないので肩身の狭い思いをしました。認めてもらうために、必死に論文を書き、学会発表もし、翻訳も出版して業績を積みました。WAB失語症検査法の日本語版開発に携わったのもちょうどその頃です。

 

その差33年 国家資格化に立ちはだかる壁

 

ー 先生は1999年の第一回の国家試験でSTになられていますね。理学療法士・作業療法士の第一回国家試験は1966年ですから、約33年遅れということになります。

 

 私は若いSTに自分たちの仕事について先人たちが取り組んできた歴史や先人自身の業績を知ってほしいと思っています。たとえば、現在ではリハセラピストとしてPT・OTと同列で括られることが多いSTですが、なぜ国家資格化がPT・OTより遅れたのかという経緯を知ることは、私たちの職務をより深く理解し、誇りをもって従事することにつながるはずだと考えているのです。

 

実は、1960年代のにWHO(世界保健機関)から、早期にSTの国家資格を制定するよう勧告を受けていました。しかし、ここまで遅れてしまった背景には医師会・厚労省と折り合いがつかなかったという歴史があります。争点は大きく「STの職種としての位置づけ」および「養成」の2点にありました。

 

医師会は、「STはあくまでも医療における診療の補助行為を行なう職種。高卒3年以上の専門課程で、医療系の科目を中心とした養成を基本とする」と主張していました。しかし、STはその頃から、福祉や教育の分野でもすでに活躍しており、執行部は医療という枠組みに収まらない独立した専門職として資格化されることを望んでいました。こういう状況でしたから、当時の職能団体の1つ目の主張として「STはそもそも診療の補助職なのか」という点が争点となりました。

 

第2点の「養成」に関しては、検査や訓練だけといった医療的なもの以外にも、家族や周囲とのコミュニケーションの調整や、職場復帰についての相談、心理カウンセリング、福祉サービスの情報提供などが必要な職種でありますので、教育に関しても人文科学系、社会科学系の科目を配置したカリキュラムで行なわれるよう求めてきました。

 

PTOTの資格が作られた戦後間もないころ、医療業務は、医師と看護婦で独占・分担されていました。それ以降新しい職種は、保助看法(保健婦・助産婦法・看護婦法)の一部解除という形で立法化されました。つまり、医師が行う行為を看護婦が補助し、そうした行為を診療の補助業務として看護婦が業務を独占しており、「看護婦の独占業務である診療の補助を他の職種が行ってもよい」という形で作られてきたわけです。


しかし、その後STや医療ソーシャルーカーなどの従来の医療という概念に収まりきらない業務が医療現場に進出してくるにつれて、その方法では矛盾が生じてきました。

 

すなわち、本来の意味で医療行為とは言えないこのような職種の業務を「医師の指示の下で」診療の補助として従事させようとする従来のやり方では、当事者からも世論からも支持は得られませんでした。STだけでなく医療ソーシャルワーカーや臨床心理士の資格化が長期間実現しなかったのには、こうした理由が大きかったと言えます。 

 

【目次】

第1章:なぜSTの国家資格化は遅れたのか

第2章:半側空間無視の当事者になって

 

関 啓子先生おすすめ書籍

死ぬ瞬間―死とその過程について (中公文庫)
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医者が心をひらくとき-A Piece of My Mind (上)
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関 啓子先生プロフィール

 

1976年 国際基督教大学(ICU)教養学部語学科卒業。
1976年 東京銀行(当時)本店営業部輸出課。
1982年 国立障害者リハビリテーションセンター学院聴能言語専門職員養成課程卒業。1982年 東京都神経科学総合研究所(当時)リハビリテーション研究部門。1983年 中村記念病院(札幌市)言語室。
1989年 東京都神経科学総合研究所リハビリテーション研究部門。
1995年 東邦大学大学院医学研究科から医学博士号授与(主査:岩村吉晃教授)1999年 神戸大学医学部助教授。第1回言語聴覚士国家試験合格。
2002年 同大学医学部教授。
2008年 同大学大学院保健学研究科教授。
2009年7月 脳梗塞発症。
2010年5月 現職復帰。
2011年3月 同大退職。同大学客員教授。
2013年4月 「三鷹高次脳機能障害研究所」開設

 

主な著書

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第1章:なぜSTの国家資格化は遅れたのか【三鷹高次脳機能障害研究所所長|関 啓子先生】
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