バドミントン元世界ランク19位 選手引退後PTに【片山卓哉】

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第356回のインタビューはバドミントン全日本総合優勝など、元トップ選手で現理学療法士の片山卓哉さん。コンディショニングルーム「KATAYAMA 」を運営し、数多くのバドミントン日本代表選手のトレーナー担当をしている。

"V字回復"ではなく、"怪我後の状態"で勝てただけ

 

ー まず、片山さんのバドミントン選手としての実績を簡単に教えていただけますか?

 

片山 中学で全国ベスト8、高校で日本一になってからは、大学、社会人、全日本と、それぞれ優勝して、国内のタイトルは全て取りました。世界ランクは、19位が最高です。

 

ー 一度ACL断裂を経験したそうですが、それはどのタイミングだったんですか?

 

片山 2007年の7月7日で、社会人1年目の頃です。選手として上り調子にきていた矢先のことでした。ちょうどバルセロナオリンピックのタイミングで、出場できず、その時に初めて理学療法士さんにお世話になりました。

 

ー その頃に、「引退後は理学療法士になろう」と思ったんですか?

 

片山 いえ、まだその頃は、考えてなかったですね。某企業の所属選手だったので、将来もそのまま働けるという保証付きでバドミントンをやっていましたから。実際、引退後にNTTで働かない選手なんてほぼいないですよ。大企業で満足度も給料も良くて、安泰ですからね。

 

ー それで、一度、靭帯断裂をしてから、全日本優勝しているってことですよね。怪我の影響はさほど大きくなかったのでしょうか?

 

片山 いえ、ずっと不具合で「動きづらい」という感覚はずっとありました。自分の中で納得した動きというのは、最後まで出来ずじまいでした。

 

ー 動きづらいっていうのは、プレイの最中に痛みが出るということですか?

 

片山 いや。バドミントンは特に瞬時に反応できるかが重要なスポーツですが、脚がスッと前に出ないんですよね。

 

ー でもその不具合がありながらも、トップ選手になったと。

 

片山 そうですね。怪我する前はスピードを武器にしていたのですが、怪我後はそれだと厳しいというので、守りのプレーやスキルを身に付けたりして、なんとか優勝することができた感じです。

 

でも、世界ではボロクソやられていましたし、「俺がトップだ!」なんて思ったことはないですよ。仮に、あの怪我の前のポテンシャルでそのままいけたら…と少し思ったことはあります。

 

なぜその一歩が出なかったのか

 

ー 今は理学療法士としての視点があると思うので、「あの時もっとやれることがあったんじゃないのか」とか何か考えられることはありますか?

 

片山 動く時に1回、後方重心に落ちてしまっていたんですよ。踵側に1回ワンクッション落ちてしまって、動きのエネルギーが一瞬伝達できなくって、羽根が落ちてしまう。

 

その動きのきっかけ作りは、行きたい方向に力を伝達できればよいのですがそれに必要な足首の可動性や、骨盤の前傾保持などもうまくできず、とにかく動きづらかったです。

 

筋トレや走り込みなどもその状態で行っているため効果が薄く、怪我も多くなってしまいました。

 

うち(コンディショニングルーム KATAYAMA)にくる選手達も、疼痛回避歩行によってバランスを崩し、いくらトレーニングをしても動けるようにならないという人が非常に多いです。

 

ー それで、話を戻すと、その会社で働くのではなく、理学療法士の道を選んだんですか?

 

片山 ここで「自分の怪我でお世話になったから」とか「スポーツ選手のために恩返しをしたかったから」とか言えば綺麗なんでしょうけど、実際はそうではなく…。

 

勿論、理学療法士になりたい気持ちもゼロではありませんでしたが、結婚をしていましたし、わざわざ給料を下げて飛び込むほどの気持ちはありませんでした。

 

キッカケはちょうどその頃にあった交通事故です。手が折れてしまって、実家の家族から「仕事も用意するから、うちに帰ってこないか」みたいな話が出たんです。「福祉やスポーツみたいな事業を身内でやるから」と。

 

でも再び、自分はやるからには本気でやりたい性格なので、理学療法士という資格を取りたいという気持ちが湧いてきて、それで上尾医療専門学校に通いました。

 

今は理学療法士になって良かったと思っていますよ。僕がやりたい方向に導いてくれた、神様に感謝しています。

 

コンディショニングルームを開業

 

ー それから、理学療法士になって、ここ「KATAYAMA」を開業するまでの経緯を教えてください。

 

片山 まず総合病院に3年間勤めて、そのあと整形外科クリニックで5年間、そしてリオオリンピックのタイミングで開業したという感じです。自分がトレーニング担当をしている選手もオリンピックに出て、良いタイミングかなと。

 

もともと、人生設計で開業していくという決定はしていたので、あとはやるしかないって感じです。

 

ー 選手をみていたというのは、バドミントン選手としての色んな繋がりがあったからのご縁でですか?

 

片山 そうですね。病院やクリニックでは、自分がバドミントン選手だったことは誰にも話していませんでした。

 

それは、選手の実績だけを見て選手がくるようになっても困るし、バドミントン選手ばかりをみている人にもなりたくなかったんですよ。視野が狭まるので。

 

時々、HPで偶然見つけてバレることはありましたけどね。その子の場合は、高校の恩師が一緒でお願いされて、それで初めは自宅でやっていました。

 

その流れで、段々と増えてきて、トレーナーとしても色々分かってきたのもあって、場所を借りてオープンしたという感じです。

 

ー 視野が狭くなるという話がありましたが、バドミントン選手以外もここを利用されているのでしょうか?

 

片山 いや、今はバトミントン選手がほとんどですね。ここの前の道を通っても、中でバトミントン選手が素振りをしたりしているので、一見、バドミントンジムにしか見えないですよね。

 

近くに整体・マッサージの店があるのですが、そこからも競合だと思われてないと思いますよ。(苦笑)

 

*目次

第一回:バドミントン元世界ランク19位 選手引退後PTに

第二回:元トップ選手だからこそ知っている身体や現場のこと

 

 

バドミントン元世界ランク19位 選手引退後PTに【片山卓哉】

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