ボバース批判の渦中に会長職へ【伊藤 克浩】

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画像提供:リハテックリンクス 株式会社

アウトロー列伝

— まず、伊藤先生が理学療法士になられたきっかけを教えてください。

伊藤 やはり、一番のきっかけは父親の影響です。当時、形成外科は美容整形などと混同されて混沌としていましたが、学問としての形成外科学を定着させた長崎大学医学部・難波教授の一番弟子が私の父でした。

 

父は形成外科医になった後、中国・九州地方で形成外科を標榜して医局を作って回り、我が家は長崎・大分・山口と移り住んでいったのです。結局、父は山口県中央病院の副院長になりましたが、私に「今から医者になってもしょうがない。これからはリハビリだ、理学療法士だ」とアドバイスをくれたので、長崎リハビリテーション学院へ進学しました。

 

自分が高校時代サッカーをしていた頃にリハビリのお世話になったというものありますが、やはり父親の影響の方が大きいでしょうね。

 

− 理学療法士がどのような職業か分かった上で進学されたと思いますが、実際入学されてみてお父様のお話や理想との乖離はなかったですか?

伊藤 三年生になって実習に行くまでは、あまり「理学療法士に絶対なるぞ。入学して良かった」という思いはありませんでした。

 

ただし臨床実習は厳しく、お茶の水の順天堂医院に行った際に指導教官の曽根先生の治療によって患者さんが劇的に変わった様子を目の当たりにして「この仕事面白い」と初めて実感しました。

 

私はアウトローなタイプだったので、同級生と意見交換することもあまりなく、現場に入ってから同僚と色々情報交換しましたね。なので、理想とのギャップなどに悩む時間はありませんでした。

 

− 先生は学校を卒業後、山梨温泉病院(現・山梨リハビリテーション病院)に就職されましたが、当時からボバースの概念が軸にあったのでしょうか?

伊藤 (最初から院内でボバースの概念が主流だったという訳ではなく)私が実習中に順天堂医院で学んだ時に運動療法とボバースが合わさったという感じです。

 

当時ボバースを学ぶことは主流で、皆がきちんとハンドリングを学ぶことで筋肉が柔らかくなるとか、機能的に動けるようになるとか、子供達が楽になることが立証されていたので、周りに反対意見を持つ人は少なく、理学療法士の世界では「運動療法=ボバース」でした。

 

− では、現在の方がボバースの概念は主流ではなくなったということでしょうか?

伊藤 そうですね。その後、エビデンスとは関係なく「無理に歩かせない」という批判が横行してきましたが、僕がボバース研究会の会長に就任している間に、他の先生とやりとりしながらエビデンスやガイドラインについても整えようとしていきました。

 

しかし批判を受けることも多かったので、その誤解を解くための活動を会長として10年ほど続けたのです。

 

ボバース批判の戦国時代

− ボバース批判は理学療法士の業界内部から起こったのでしょうか?

伊藤 (業界内部からというよりは)外部から「内部を統括できていない」という批判を受けました。3週間の講習を受けた人がボバースセラピストになって、その人が治療すればボバースアプローチになってしまう。

 

そういった人たちがPNFをやったとしてもボバースだと受け取られてしまうので、何かを一括りにして批判する人たちから批判を受けやすいのがボバースだったのです。

 

ボバースと言えば大阪のボバース記念病院や森ノ宮病院の印象が強いと思いますが、当時は外から見ると閉鎖的で何をしているか理解してもらえないという状況でした。

 

そこで、「外部の人たちと情報交換できてオープンな人こそ会長になるべきだ」という前・前大橋会長から次期会長になることを勧められました。その後10年間会長職をPT協会の理事と兼任で勤め、ボバースへ違う認識を持っていた先生たちの誤解を解いていきました。

 

− では、伊藤先生のお立場はボバースを広めるというよりは横との繋がりを持たせることが指名だったのでしょうか?

伊藤 そうですね。当時既にボバースは理学療法士の間では浸透していて、普通に運動療法をやっている人たちがボバースの教えを生かした治療法を実践している現場も多かったです。なので、「これがボバースだ」と言わなきゃいけない時代からは変わってきていました。

 

今はボバースだけではなくて運動療法をきちんと理解するように指導しています。最近では17LIVE(イチナナ)で情報発信したり、clubhouseで脳卒中の当事者の方と一緒にリハビリを語ったりという活動もしています。

 

私は、そういった活動を通して「理学療法士は機能障害を改善する仕事だ」と言い続ける人が必要だと思っています。Zoomなどを使っての遠隔地医療や物理療法・薬物療法をすることも重要なのですが、PTの根底には実際触って感じ取ったものを改善させる方法を続けられる人が必要だと思います。

 

そして、そのような人材の育成こそ私の定年までの仕事だと思っています。色々な人がいていいと思いますが、やはり「触って感じ取って動きにくいものを動きやすくできる」ような理学療法・運動療法の技術を残していくのが今の私の役割です。

 

− では、現場で活躍できる職人の育成に活動を切り替えたということでしょうか?

伊藤 宮大工といったところでしょうか。普通の家は道具を上手に使えなくても工場生産の材料を組み立てれば出来上がりますが、それには個別性を重視した運動療法の技術は必要ないんですよ。

 

だけど、寺社仏閣の美しいカーブを出すには、磨き上げた道具とそれを使いこなすための伝承された技術、コンセプトとなる設計図が大事になります。やはり、そういう理学療法士もいるべきだと思います。

 

ケガで苦しむ子供達のために

− 先生には脳血管疾患というイメージと同時に、スポーツ(理学療法)のイメージもあります。先生のお立場からすると脳血管疾患とスポーツ理学療法との関係はどのように捉えられているのでしょうか?

伊藤 話は遡りますが、山梨リハビリテーション病院が新築する際に、リハ室を病棟の5階に作ることになりました。それに伴い、それまで使っていた平屋のリハ室のスペースが空くので、そこを講習会専用棟とアスリートを診るために使うという方針になりました。それが、アスリートを呼び込むためのスタートでした。

 

その後の大きな転機はイギリスのボバースシニアチューターでメイトランド*の指導者でもあるパトリシア・シェリー先生がうちの病院で、上級講習会をしながら私の指導もしてくれたことです。

 

その時に私は事務局兼アシスタントとして関わっていたので、クイックチェンジと運動分析の技術を教わりました。そこから10数年ほど経った頃、ドイツのシニアチューターであるゲリンデ・ハッセ先生が来日し、うちの病院で上級講習会をしてくださったので、フェルデンクライスメソッドの考えも教わり、それをスポーツ選手の診断に取り入れています。

 

しかし一番根底にあるのは、ボバース夫妻が実践していたヒューマンムーブメント講習会など、正常運動を分析することです。

 

そこにメイトランドやフェルデンクライスの考え方も加わって、今は山梨の野球少年を無料で診ています。他のスポーツリハビリ外来がコロナの影響で閉まっているので、山梨県中のスポーツ少年が集まってきています。

 

*メイトランドコンセプトは、オーストラリアの理学療法士Geoffrey Douglas Maitland(1924-2010)が開発した治療体系。

 

− 先生は新卒から同じ病院に勤務し続けていらっしゃいますが、居続けた理由がありますか?

伊藤 何度か転機はあって父親の関係している病院等から誘われたこともありましたが、一番の理由は次々と「伊藤先生がいるから」と就職してきてくれる採用者が続いてきているからです。

 

私がボバースのインストラクターとして院外でも講義するようになってから、うちの病院に就職してくる子が増えました。今の職員の半数以上がそういう子たちです。その人たちに「じゃあね」とは言えませんよね。

 

過去に病院を去って起業することも考えなかった訳ではありませんが、私の活動をサポートしてくれた院長含め病院に恩を返す気持ちの方が少し大きかったということですね。

 

− 伊藤先生の後進となる先生は既にいらっしゃるのですか?

伊藤 既に、私が指導した子の中でボバースの指導者にもなっているし県士会で学術関係のトップをやっている人もいます。自分が育てた人がまた他の人を育ててくれるという意味では、やはり一人ではできないことを私の後進がやってくれていると実感します。

 

− 先の話ですが、伊藤先生の定年後の生き方は決めていらっしゃいますか?

伊藤 のんびり山奥で農家暮らしすることですね(笑)。ただ、結局定年までは働き続けて、その後も療法士の育成を続けていくことになりそうです。うちの病院(財団)にはPT・OT合わせると130人位いるので、その人たちの育成も含めて、やらなくてはいけないことを定年までは続けていくつもりです。

 

今は脳卒中の治療についても人に伝えていかなくてはいけないと思っていますが、スポーツ少年たちの競技を止められ悲しそうな顔を見ていると、無力感に打ちひしがれます。

 

私の残りの人生をそういった子たちのために理学療法士として貢献できないのかと模索中です。今は成長期の子供のオスグッド(病)や野球肘、肩の問題について、私が36年間で学んできた正常運動分析を生かせるか勉強しています。

 

この知識は脳卒中の方にも生かせるので、日々勉強です。10歳の子供の夢を治療で実現させてあげられたら、それってPT冥利につきますよね。

 

私が問題視しているのは、成長期のスポーツにおける指導者の理解が不十分だということです。まず理解をしてもらうために、clubhouseで野球指導者に「野球肘は早く見つかればなんとかなる。痛みが出てからでは遅い」と話して回っています。

 

− 先生はSNSを積極的に活用されていますが、色々なコンテンツを使うということは、情報発信に重きを置いていらっしゃるということですか?

伊藤 そうですね。SNS全体でフォロアーは1万人ほどいるので、どこにどのような情報を発信するかは使い分けています。イチナナは、無料で正確な情報を配信できる上に本当に聞きたい人が聞きに来てくれるというのが魅力ですね。

 

誰かと関わっていたいという思いもありつつ、イチナナは私が先輩から教わったことを無料で提供したいという気持ちが強いです。

 

根底にはやはり後進の育成というテーマがあります。今ではコロナで当たり前になりましたが、私がイチナナを始めた2年半前はオンライン教育コンテンツがほぼ無い時代だったので、病院でも協会でも教えないことを私が教えようと思ったのがきっかけでした。

 

− 公私ともに理学療法士の技術発展に寄与する姿勢には我々中堅も見習うべき姿だと思っています。最後に、このインタビューをご覧の方へメッセージをいただけますでしょうか?

伊藤 運動療法やPNF、そして通電治療もセラピストにとってはただの道具です。もちろん普段から研ぎ澄ませておかないと、いざというときに使えませんので手入れは必要ですが、それらの道具をどこにどう使うと最も効果的かというクリニカルリーズニングがボバースのコンセプトです。

 

これは私の師匠である紀伊克昌先生の言葉ですが、見た目が少し悪いから「おいしくないはずだ」と決めつけ、試してみようともしない「食わず嫌いの料理評論家」にならないで欲しいなと思います。のこぎりだけでは家は建ちませんので・・

 

伊藤 克浩先生プロフィール

略歴

昭和 60 年 3 月:長崎リハビリテーション学院卒業

昭和 60 年4月:山梨温泉病院(現山梨リハビリテーション病院)に理学療法士として就職

平成 13 年9月:IBITA(国際ボバースインストラクタートレーニング協会) 成人中枢神経疾患基礎講習会国際インストラクター承認

平成 22 年5月:IBITA(国際ボバースインストラクタートレーニング協会) 成人中枢神経疾患上級講習会国際インストラクター承認

現職

日本理学療法学会ガイドライン脳卒中頭部外傷作成班班長

回復期リハ協会総務委員会委員

活動分析研究会顧問

山梨リハビリテーション病院リハ部副部長

サッカーJ2ヴァンフォーレ甲府通院担当

twitter:https://twitter.com/beruo2k

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