【特集】リハ診療報酬・半世紀の通史──7つの分岐点と、もうひとつの時間軸

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2026年6月施行の診療報酬改定(本体)で、リハ関連の3点が同時に動きました。土曜日・休日のリハ提供強化、ベースアップ評価料の拡張、入院初日〜3日目の早期リハを60点/1単位で評価する一方ベッド上リハには減算──の3点です。「働く側の事情」が改定の中心軸に立ったのは、近年の改定では特に異例な構成。本特集では1974年(昭和49年)のリハ料新設から2026年改定までを、現場の働き方と経営インパクトを軸に7つの転換点でたどります。PT・OTとは異なる時間軸のST史も番外コラムで併走させます。

目次

図表1

リハ診療報酬 半世紀年表(1965-2026)

クリックで各イベントの詳細が展開します

点数構造の大改定 場・体制の変化 職能・資格・新領域 政策・制度移行 社会・政治イシュー
1965年6月理学療法士及び作業療法士法成立──PT・OT国家資格化+

戦後のリハビリテーション医療の整備過程で、理学療法士及び作業療法士法が成立。PT・OTが国家資格として制度化された。

ただし保険診療上の独立した点数項目は、まだ存在しない。それまでは医師の指示下で「物療(物理療法)」として算定されるか、リハビリ室で訓練士・指導員などの呼称で動いていた。

1974年10月リハ料新設──簡単40点/複雑80点、PT・OT資格化から9年+

診療報酬で理学療法・作業療法のリハビリテーションが独立項目として新設された。点数構造は簡単(15分以上) 40点複雑(40分以上) 80点の2区分のみ。「簡単」は集団でも実施可、「複雑」は個別療法。

1単位や上限日数といった概念は、まだ存在しない。提供時間と「個別か集団か」の2軸だけで分類していた。リハ職という職能の経済的な存在を、初めて点数表に書き込んだ瞬間。

1981年言語療法の点数新設──ST国家資格化の16年前+

言語療法の点数が診療報酬に新設された。当時、言語療法を実施できる国家資格者は存在しない。実務は、言語療法士・言語聴覚療法士・言語訓練士など名称が一定しないまま、医療機関ごとの判断で動いていた。

「点数だけが先にあって、誰がやるかは後から決まった」というST史の起点。PT/OTの「資格→点数」の順序とは逆方向の制度形成だった。

1990年代前半摂食機能療法の点数化──STのもうひとつの臨床ルート+

嚥下障害領域の臨床実態を反映し、1990年代前半に摂食機能療法が診療報酬に位置づけられた。STが言語療法とは別ルートで臨床的存在感を確立する起点。

1995年に日本摂食・嚥下リハビリテーション研究会が発足し、1997年に学会化。これとあわせて、STの活動領域は「言語」と「嚥下」の二系統に広がっていく。

1997年12月言語聴覚士法成立──点数化から16年遅れての国家資格化+

言語聴覚士法が成立し、STがついに国家資格として制度化された。1981年の言語療法点数化から16年。1999年3月の第1回国家試験で約4,000名が初めて国家資格を手にする。

これでPT・OT・STの3職種すべてが国家資格化された。ただし制度形成のリズムは3職種で大きく異なる経緯をたどった。

2000年4月介護保険制度施行+回復期リハ病棟入院料 新設+

介護保険制度の施行で、通所リハビリテーション(デイケア)・訪問リハビリテーションが介護給付に分離。医療保険側に残ったのは「治療目的のリハ」、介護保険側に渡されたのは「生活機能維持のリハ」という線引きが入った。

同時に回復期リハ病棟入院料が新設。脳血管疾患・大腿骨頸部骨折・廃用症候群などを対象に、最大180日の入院期間でリハを集中提供する病棟。専従常勤のPT2名以上・OT1名以上などの配置を主な施設基準として、「リハをするための病棟」が日本の医療制度に初めて誕生した(1日1人6単位以上などが施設基準として整理されるのは、後の2010年改定の「リハビリテーション充実加算」から)。

2002年4月「簡単・複雑」廃止──1単位20分の現代型へ+

1974年以来の「簡単(15分以上)」「複雑(40分以上)」二分構造が廃止。代わりに登場したのが、個別療法(1単位20分)と集団療法という新区分。

「20分やったら1単位、40分なら2単位」という、現代の臨床ワークフローの原型がここで完成。療法士の働き方は「単位ワーク」に転換し、経営側は「PT◯名×8時間×単位数=部門売上」という人時生産性ベースの管理に置き換わった。

2006年4月疾患別リハ料 4分解+標準的算定日数(180/150/90日)新設+

それまで一括だった理学療法・作業療法を、心大血管疾患・脳血管疾患等・運動器・呼吸器の4疾患別に分解。各疾患別リハ料に標準的算定日数の上限を設定した。心大血管150日脳血管等180日運動器150日呼吸器90日のラインだ。

上限を超えた患者は、原則として疾患別リハ料を算定できない。施設基準も(I)(II)に区分化され、専従要員数・延床面積・設備要件で上下を分けた。リハ部門の経営は「どの疾患別リハで施設基準(I)を取れるか」という戦略課題になっていく。

2006年4月-夏「リハビリ難民」問題──多田富雄氏らの抗議運動と48万人署名+

算定日数上限導入直後から「180日を過ぎた途端に医療保険のリハが打ち切られる」事例が現場で頻発。介護保険の通所リハ・訪問リハ受け皿は当時まだ整っておらず、患者は「行き場のないリハ」に直面した。

抗議運動の旗手は、免疫学者で東京大学名誉教授の多田富雄氏。脳梗塞後にリハを受けていた当事者として、2006年4月8日の朝日新聞「私の視点」に「診療報酬改定、リハビリ中止は死の宣告」と題した寄稿を発表した。各紙への寄稿、緊急シンポジウム、48万人を超える署名運動と続き、社会面と政治面の両方を巻き込む論争に発展した。

厚労省は2006年3月31日付の疑義解釈(その3)で、失語症・高次脳機能障害・重度頸髄損傷など特定疾患を「算定日数上限の適用除外」とし、医師の判断で上限を超えても継続算定できる経路を整備した。ただし適用除外に該当しない脳血管後遺症などの患者は依然として打ち切り対象で、論争は続く(「1か月13単位まで」の弾力運用は後の2014年改定で導入)。

2010年4月がん患者リハビリテーション料 新設──5番目の疾患別領域+

がん医療の推進策の一環として、がん患者リハビリテーション料が新設された。手術・放射線治療・化学療法等で生じる合併症や機能障害に対し、治療前後のリハで機能低下を最小限に抑える取組を評価する。

導入時点の点数は200点。専従スタッフ2名という比較的緩やかな施設基準で、がん専門領域へのリハ職参入を促した。後の認知症患者リハビリテーション料(2016年新設)など、疾患別の細分化は以降も続く。

2014年4月地域包括ケア病棟 新設+急性期リハ専門職配置評価+

急性期からのポストアキュート、在宅・施設からのサブアキュート患者を受け入れる中間病棟として地域包括ケア病棟入院料が新設。リハ専従配置(PT/OT/STのいずれか1名以上)と1日平均2単位以上のリハ提供を施設基準とし、入院料は包括(出来高ではない)とした。

同時に急性期病棟へのリハ専門職配置評価が入る。後の「ADL維持向上等体制加算」(2016年)の前身で、看護師中心だった急性期病棟のADLケアにPT・OTが配置で関与するモデルが始まった。

2016年4月回リハ病棟FIM実績指数 導入+廃用症候群リハ料 独立化+

リハ点数史で「アウトカム評価」を確立した改定。回リハ病棟のリハ実績指数が一定水準を下回ると、1日6単位を超えるリハ料が入院料に包括されるルールが入った。判定は過去6か月の実績で行う。

同時に廃用症候群リハ料が脳血管リハ料から独立化。(I)180点(II)146点(III)77点で新設された。リハをたくさんやるほど病棟収益が上がる単純な構造に、初めてブレーキがかかった。

2018年4月早期離床・リハ加算 新設+摂食機能療法「30分未満」区分+

特定集中治療室における早期離床・リハビリテーション加算が新設。ICU入室後48時間以内の介入を要件として、急性期からのリハ介入を評価する仕組みが入った。多職種チームによる早期離床の流れが診療報酬上に位置づいた。

同時に摂食機能療法に「30分未満」区分が新設される。急性期での嚥下リハの実態に対応した動きで、STの臨床領域がさらに細分化されていく。

2019年3月維持期リハの介護保険移行 決着──14年越しの論争に終止符+

2006年改定で論点として浮上した維持期リハの介護保険移行が、最終的に2019年3月で決着。当初は2018年4月の完全移行を目指していたが、複数回の延期を経てこのタイミングまでずれ込んだ。

2014年改定で介護保険リハビリテーション移行支援料が新設されてから5年。この決着で「医療側でカバーするリハ」と「介護側でカバーするリハ」の境界が、ひとまず制度的に固まった。

2024年6月疾患別リハ料に「実施者区分(PT/OT/ST/医師/その他)」 創設+

疾患別リハ料すべてに、誰がリハを実施したかを職種別に分けて報告する区分が新設。例えば運動器リハ料(I)185点は、PT実施分・OT実施分・医師実施分すべてが同じ185点で算定するが、レセプトコードは別建てに分かれる。

運動器リハ料(III)では、研修を修了した看護師・准看護師・あん摩マッサージ指圧師・柔道整復師など(運動器リハビリテーションセラピスト等の認定資格保持者)がPTの代替として配置できる規定が以前から存在する。実施者区分の創設で、こうしたリハ専門職以外の関与も含めて、リハ実施実態を国がデータとして把握できる起点となった。

2026年6月土曜日・休日リハ提供強化+ベースアップ評価料 拡大+早期リハ要件の見直し+

近年の改定では特に「働く側の事情」が中心軸に立った改定。3つが同時に動いた。

第一に、回復期リハ病棟で土曜日・休日を含むリハ提供体制の評価・要件が強化。新設された「休日リハビリテーション加算」では、土曜日・休日に行った場合、起算日から30日目まで1単位につき25点が算定可能。あわせて、療法士の業務時間管理について、カンファレンス・医学管理関連業務・家族指導・介護施設等への助言など、リハ実施以外の業務時間の取り扱いも整理が進んでいる(実務解説では「みなし単位」と呼ばれる運用)。

第二に、ベースアップ評価料が大幅拡張。療法士もこの加算の対象に明確に位置づけられた。第三に、入院初日から3日目までの早期リハを60点/1単位、4〜14日目を25点/1単位でより高く評価する仕組みが入り、離床を伴わない他動的なベッド上リハには所定点数の90/100算定・1日2単位までの減算が走るようになった。日本病院団体協議会(日病協)は2026年2月、土曜日・休日のリハ提供強化に「リハ職の確保が非常に厳しい」と懸念を表明している。

出典:本特集記事および中央社会保険医療協議会総会資料(第322回・第328回・第584回ほか)、日本リハビリテーション医学会・日本理学療法士協会改定アーカイブ、厚生労働省 令和8年度診療報酬改定全体概要版、全日本民医連報告書別紙01(2021年)等から編集部作成

1. 50年を1枚で見る──リハ点数の地形図

リハビリテーション関連の診療報酬を1974年から2026年まで縦に並べると、いくつかの大きな地殻変動があります。

最初の地殻変動は1974〜1981年です。1974年に理学療法・作業療法、1981年に言語療法の点数が新設され、リハが「保険診療上の独立項目」として可視化されました。当時の単位は「簡単(15分以上)」「複雑(40分以上)」の二分構造で、点数は40点と80点。今の感覚から見れば、信じがたいほどシンプルな仕組みです。

二つ目の地殻変動は2000〜2002年。2000年に介護保険制度が施行され、通所リハ・訪問リハが介護給付へ分離しました。同年、回復期リハ病棟入院料も新設。続く2002年改定で「簡単・複雑」を廃止し、個別療法(20分1単位)と集団療法へ組み直しました。現代の臨床ワークフロー(20分×9単位/日)は、ここを起点にしています。

三つ目の地殻変動は2006年。心大血管・脳血管・運動器・呼吸器の4疾患別にリハ料が分解され、それぞれに標準的算定日数(180日/150日/90日)が設定されました。「上限を超えたら打ち切り」というフレームの誕生です。後に「リハ難民」と呼ばれる社会問題は、ここから始まります。

四つ目の地殻変動は2014〜2016年。地域包括ケア病棟の新設、回リハ病棟へのアウトカム評価(FIM実績指数)導入、廃用症候群リハ料の独立化──評価軸が「やった分」から「治した分」へ移った時期です。MTDLP・GLIMといった評価指標が臨床ルーチンに組み込まれていったのも、ちょうどこのころにあたります。

五つ目の地殻変動が、まさに2024〜2026年です。2024年改定で疾患別リハ料に「実施者区分(PT/OT/ST/医師/その他)」が創設されました。2026年改定では土曜日・休日を含むリハ提供体制の評価・要件が強化されます。リハの実施実態が国に「見える化」され、そのうえで労働環境の論点が表面化してきます。

50年の動きを整理すると、リハ点数の進化は4段階で来ています。(1)概念化(1970年代)、(2)構造化(2000年代)、(3)成果評価化(2010年代)、そして(4)実施者・労働条件の可視化(2020年代)。本特集は、この4段階のなかから読者の現場にとって決定的だった7つの分岐点を取り出して詳述します。

2. 1974年(昭和49年)──保険診療に「療法」が生まれた日

第1段階「概念化」の起点です。1974年(昭和49年)10月の診療報酬改定で、理学療法・作業療法のリハが診療報酬の独立項目として登場しました。

このときの点数構造は、今の臨床から見ると驚くほどシンプルです。

簡単な理学療法・作業療法:40点(15分以上)

複雑な理学療法・作業療法:80点(40分以上、個別)

「簡単(15分↑)」は集団でも実施可、「複雑(40分↑)」は個別療法。1単位や上限日数といった概念は、まだ存在しません。提供時間の長さと「個別か集団か」、たったこの2軸だけで分類していました。

PT・OT国家資格化(1965年制定の理学療法士及び作業療法士法)から9年。資格化が先、点数化が後、という順序で制度ができています。

新設前のリハは、医師が「物療(物理療法)」として実施するか、リハビリ室で訓練士・指導員などの呼称で実務を動かしていました。1974年改定はこれを保険診療上の独立カテゴリへ昇格させ、リハ職という職能の経済的な存在を初めて可視化しました。

ただしこの時点の構造は脆弱です。施設基準は弱く、医師の指示と療法時間という最小限の要件しかない。標準的算定日数も、疾患別の概念も、まだ生まれていない。点数の絶対水準も低く、リハ部門は病院経営の文脈で「コストセンター」と呼ばれるのが普通でした。今日まで続く「リハ料は低い」という現場感覚の起点は、ここにあります。

★ コラム:ST史というもうひとつの時間軸

PT・OTの時計に重ねて、もうひとつの時計も走らせておきたい。言語聴覚士(ST)の歴史です。

PT・OTとSTで最も大きく違うのは、資格化と点数化の順序が逆だった点にあります。

PT/OT:1965年 国家資格化 → 1974年 点数化

ST:1981年 言語療法 点数化 → 1997年 言語聴覚士法成立 → 1999年 第1回国家試験

STの場合、1981年(昭和56年)改定で言語療法の点数が先に生まれました。当時、言語療法を実施できる国家資格者はいない。実務は、言語療法士・言語聴覚療法士・言語訓練士など名称が一定しないまま、医療機関ごとの判断で動いていました。点数だけが先にあって、誰がやるかは後から決まったのです。

国家資格化までの16年間は、職能団体(日本言語療法士協会など)、研究者、医療機関が並行して制度設計を求めた時期にあたります。1995年に日本摂食・嚥下リハビリテーション研究会が発足、1997年に学会化。摂食機能療法という別ルートからもSTの臨床実態が固まっていきました(摂食機能療法はおおむね1990年代に点数化)。1997年12月、言語聴覚士法成立。1999年3月、第1回国家試験で約4,000名が初めて国家資格を手にします。

その後のST関連で大きい動きは二つあります。ひとつは脳血管疾患等リハビリテーション料(2006年新設)で、言語領域のST算定が認められたこと。もうひとつは摂食機能療法の細分化で、2018年改定の「30分未満」区分新設は、急性期での嚥下リハの実態に対応した動きです。

PT・OTは「資格→点数→疾患別→アウトカム」という単線で進化してきました。一方STは「点数→資格→疾患別→嚥下分化」という二系統で進化しています。3職種を一括りにして「療法士」と呼ぶのは便利ですが、制度史的に見れば、それぞれが異なるリズムで歩んできた。本特集ではそれを前提にしておきます。

3. 2000年(平成12年)──介護保険分離と回リハ病棟、医療と介護に分業の線が引かれた

第2段階「構造化」の幕開けです。2000年4月、介護保険制度が施行されました。同じ月の診療報酬改定で、回復期リハ病棟入院料も生まれました。日本のリハ提供体制は、この2つの制度を同時に飲み込みながら、急性期・回復期・維持期の3段構造へ姿を変えていきます。

まず介護保険の方から見ます。それまで医療保険でカバーしていた高齢者の長期リハは、通所リハビリテーション(デイケア)と訪問リハビリテーションという名前で介護保険給付へ移りました。サービスの主体も、医療機関だけでなく老人保健施設、訪問看護ステーションなどへ多様化。医療保険側に残ったのは「治療目的のリハ」、介護保険側に渡されたのは「生活機能維持のリハ」という線引きでした。

ただしこの線引きは、最初から曖昧でした。脳卒中後の患者が発症から180日を超えて医療側でリハを受けるか、介護側のデイケアに移るか。判断軸は明確ではありません。後に「維持期リハ問題」と呼ばれる長い論争は、この時点で種が蒔かれています。2014年改定で介護保険リハビリテーション移行支援料が新設されるまで、議論は14年続きます。

並行して新設されたのが回リハ病棟入院料です。脳血管疾患・大腿骨頸部骨折・廃用症候群などを対象に、最大180日の入院期間でリハを集中提供する病棟。専従常勤のリハ専門職(PT2名以上、OT1名以上など)の配置を、主な施設基準としました。1日1人6単位以上のリハ提供を施設基準として整理するのは、後の2010年改定の「リハビリテーション充実加算」からです。「リハをするための病棟」という発想自体が、日本の医療制度に初めて組み込まれた瞬間です。

回リハ病棟の登場は、PT・OT・STのキャリア地図を書き換えました。それまで「整形外科病棟のリハ室所属」「大学病院のリハ部所属」が主流だった療法士に、「回リハ病棟所属」という第3の選択肢が加わりました。後述するアウトカム評価(2016年)、土曜・休日リハ提供強化(2026年)は、いずれもこの回リハ病棟という器のうえに重ねられていきます。

50年史で見ると、2000年改定はリハの「場所」を初めて制度化しました。1974年改定が「療法」という行為を可視化したのに対し、2000年改定は「療法を実施する場(病棟・施設)」を可視化したと言えます。次の2002年改定は、その場でおこなわれる「療法の単位」を可視化する番でした。

4. 2002年(平成14年)──「簡単・複雑」廃止、1単位20分の現代型へ

第2段階「構造化」を完成させた改定です。2002年4月、「簡単な理学療法・作業療法」「複雑な理学療法・作業療法」という1974年以来の二分構造が廃止になります。代わりに登場したのが、個別療法(1単位20分)と集団療法という新しい区分です。

それまでの問題は明白でした。「簡単(15分以上)」と「複雑(40分以上)」の差は、提供時間と「個別か集団か」だけ。同じ「複雑」でも、40分のリハと60分のリハは同じ点数で算定する。逆に「簡単」を15分実施しても3時間実施しても、得られる算定額は変わらない。質も内容も時間も差があるはずなのに、点数表は粗すぎました。

2002年改定で、リハの時間軸が定量化されます。1単位=20分。個別療法は1日に算定できる単位数の上限が定められ、集団療法は別建てに分離しました。「20分やったら1単位、40分なら2単位」という、現代の臨床ワークフローの原型はここで出来上がります。

リハ職の働き方は、この改定で「単位ワーク」になります。午前9時〜10時で患者A(2単位)、10時〜11時で患者B(3単位)、午後は患者C・D・Eと、20分刻みでスケジュールを組む文化はここが起点です。新人PT・OTが入職してまず叩き込まれる「1日に何単位こなしたか」というKPI感覚も、この改定で生まれました。

経営側にとっても、計算式が変わりました。それまでの「複雑1日◯件」「簡単1日◯件」というカウントから、「PT◯名×8時間×単位数=部門売上」という、人時生産性ベースの管理に置き換わる。リハ部門が事業部として可視化されるようになるのは、この改定以降です。

50年史で見ると、2002年改定は「リハの可視化」が3層そろった瞬間です。1974年に「行為」、2000年に「場」、2002年に「単位」。療法士の仕事を、行為×場×単位の3軸で測る道具立てがすべて揃いました。次に問われたのは「では、その単位は何日まで認めるのか」──算定日数の問題です。これが2006年改定の主舞台となります。

●この先の内容
ここまでが「構造化」の前史。次のセクションからは、2006年に4疾患別×標準的算定日数が導入され「リハ難民」問題が起きてから、2014・2016年のアウトカム評価(FIM実績指数)、2024年の実施者区分創設、そして2026年の土曜日・休日リハ提供強化+ベースアップ評価料拡大までを、現場の働き方への影響を中心に解説します。最後に、2028年改定で論点になりそうな3軸を編集部視点で整理しています。

5. 2006年(平成18年)──疾患別×標準的算定日数、「リハ難民」が生まれた改定

第3段階「成果評価化」の前に、リハ点数史でもっとも荒れた改定が2006年でした。中身そのものは構造化の延長線にあるのに、社会的な反響が政治イシューに発展した稀な事例です。

【特集】リハ診療報酬・半世紀の通史──7つの分岐点と、もうひとつの時間軸

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