前のページ>>第1章:大学は国内に一つだけ!? ネパールのリハビリ事情
1.活動背景
私が2年間配属された首都にある病院は、手術室や 集中治療室も備えた病床数125床の総合病院だった。
マンパワーとしての活動を通して、配属先の課題がみえてきたのは,赴任して半年が過ぎたころ。カトマンズでは、冬を迎えると深刻な電力不足に陥る。
水力発電に頼っており、冬の乾期の時期は雨がほとんど降 らないため、ひどいときには1日17時間の停電となる。人びとは、夜になるとロウソクを用いて生活するため、毎年この時期になると火事による火傷患者が運ばれてくる。
また郊外の村では囲炉裏が使われており、生後間もない赤ちゃんが落ち、顔面に大火傷するケースも散見された。ネパールでの火傷に対する標準治療はガーゼと消毒。損傷が広範囲に及ぶ場合には、皮膚移植が行われる。
そんななか、1人の17歳の少女を担当した。彼女はインド国境の貧しい村の出身。
幼い弟がアルコールランプをこぼし、それが彼女の纏っていた毛布に燃え移り、左脚ほぼ全体に熱傷Ⅱ度の火傷を負った。
村の病院では処置が行えず、ようやくこの病院に運ばれてきたときには感染を起こし、関節も既に瘢痕拘縮を起こしていた。
消毒とガーゼ交換の際には、少女はあまりの痛みで失神してしまうこともあった。そのころ私は、褥創や火傷治療に用いられるラップ療法を使えば、こうした悲惨な状況を回避できるかもしれないと考えていた。
photo:配属先の病院
2.ネパール初のラップ療法
ラップ療法とは患部を水で洗い、食品用ラップを患部に巻くという簡単なもので、1990年代後半に鳥谷部俊一医師が考案した。しかし知識だけでほとんど実践したことのない状況で、形成外科医に対してその理論を理学療法士の私が説ことに迷いがあった。
しかし、ほかにやる人がいないなら自分がやるしかない―そう決意し、ラップ療法に関する書 籍や情報を集め、考案者である鳥谷部医師にも直接教えを乞い、紹介するための勉強会資料を完成させた。
ラップ療法は、ネパールの医師らにとってまったく未知のもの。「傷は乾燥させる」という従来の常識を根本から覆すこの治療法が、本当に受け入れられるかは賭けであったが、配属先の医師・看護師に対し数回にわたり勉強会を開き、この治療法を紹介した。
そして形成外科部長がこの治療に賛同してくれ、実際にあの少女にも用いられることになった。その後も、医師や看護師の理解を得ながらこの治療法を実践し、やがて配属先の標準治療にもなった。
photo:配属先の病院
3.ラップ療法の普及に向けて
予想外だったのは、ラップ療法の意義を認めた同僚のネパール人らが自ら、この治療法の普及に乗り出してくれたことだ。今度は私が同僚たちを支える形でほかの7つの病院で勉強会が実現した。
ネパールで最も大きな火傷病院でも形成外科部長がラップ療法の採用 を決定。さらには受講者自ら勉強会を院内で開くなど反響は大きかった。こうした同僚たちとの約半年にわたるラップ療法の普及活動は、2013年1月にネパールの全国紙にも掲載された。
また同年5月には鳥谷部医師が自らネパールを訪問し、各地で勉強会を開きその普及に尽力した。
photo:配属先の病院同僚によるラップ療法の勉強会
photo:鳥谷部医師による技術指導
4.ラップ療法の活動から得た教訓
私がこのラップ療法の普及活動から得た教訓は、情報提供をためらわないことである。提案された技術導入に関して最終的な判断をするのはあくまで現地の人。
そのために有意義な情報は積極的に紹介していくこと。また協力隊に与えられた時間はわずか2年、その間に何かを残していくためには、現地の同僚たちとの信頼関係を築き、彼らが主体的に活動できるように脇役としてサポートしていく姿勢が求められる。
皆さんも是非、持てる技術や知識を途上国の人びとのために役立てて欲しい。
渡辺 長先生プロフィール
理学療法士養成校卒業後、総合病院に勤務。2008年~米国カイザーリハビリテーションセンターPNF9か月コース参加。2011年~青年海外協力隊にてネパールの総合病院にて活動。
2013年~タイ国マヒドン大学プライマリーヘルスケア管理修士課程修了、2014年~大阪大学人間科学部グローバル人間学研究科博士課程在籍、森ノ宮医療大学保健医療学部理学療法学科の教員として勤務。