#2 弁証法的な生き方【マインドフルネス作業療法 | 織田靖史先生】

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ー マインドフルネスが流行り始めたのは、Googleなどの企業やスティーブ・ジョブズが行なっていたことから広まってきた、つまり明らかな精神障害を持たない方向けだったと認識しています。先ほどご説明していただいた効果は、精神科の患者さんだからこそということもありますか? 

 

織田 そうなのかもしれません。というか、わたしはそこしか検証していませんからね。

 

ですが、圧倒的な景色を見て「美しい」と心を奪われたり、「はぁ~」と日常を離れて今を感じる。そんな時に、自分の存在を感じたりすることってありますよね。障害があろうがなかろうが、そういう事が大事なんだと思うんです。 

 

もう一つ、テクニカルの部分で言えば、感情調節困難な患者さんがいて、感情が抱えきれなくなり、自分の感情が走り出してしまう人がいます。

 

でもそれを一瞬でも留めておく、抱える事ができる様にすることが大事だと思います。 

 

さらに付け足せば“今”を変に色付けしなくてよいということです。

 

本当はそこにあるはずなのに、頭の中のイメージに置き換わる

 

(目の前の土佐巻を指して)例えば、ここに土佐巻がありますよね。例えば、この土佐巻を見て「土佐巻きだ」と思った瞬間に、わたしたちはもうそれ以上、その土佐巻を観察しませんよね?

 

自分の頭の中のイメージに置き換わってしまうのです。それ以上土佐巻きを見ようとしないのです。 

 

この土佐巻ですが、実は海苔が破れているのかもしれないし、実は少し締めがゆるくて格好が崩れているかもしれない、逆に硬く締められていてご飯がつぶれている土佐巻きかもしれない。

 

本当はそのものがそこにあるはずなのに、頭の中のイメージに置き換わって、人はそれ以上観察しなくなるんです。 

 

これと同じことが感情にも現れてしまいます。

 

例えば「心の中はモヤモヤしていて不安だ」と思った瞬間、自分の頭の中の「不安」に置き換えてしまうんですよね。

 

今、自分自身が感じているそのものを感じないということは、未来に行ったり過去に行ったりしているということになると言えるのだろうと思います。 

 

 

一次感情と二次感情

ー 思い込みというやつですね。 

 

織田 まさにそうです。感情調節困難な方は特に、それがすごく過敏になります。 

 

気付き過ぎて傷つき、気付き過ぎて困る、それがずっと連なり無限ループになります。 

 

そしてそれらの一次感情がもたらす二次感情によって、より彼ら彼女らが体験している感情が激しくなるということが、しばしば起こるのです。 

 

でも、気付きすぎるって、実は悪いこととも言い切れないと思うのです。

 

例えばここは平和な日本ですが、もし戦場だったら?今、わたしたちが、ジャングルを冒険していたら?もしそうだったら、きっと敏感な方がいいですよね。 

 

そんな感じで、状況によっては、敏感だということは役に立つのですが、今のような平和な日本では役に立たない。そんな時に、過敏さを一旦止めておくことができれば役に立つと思いませんか? 

 

もう一つ、これは大切な事なんですが、マインドフルネスをやったから患者さんの何かが必ず変わるわけではないかもしれない。

 

もちろん当然何か苦しいことをもたらす原因、その原因自体が変わるわけでもありません。

 

ただ、抱えることができるようになるのかもしれない。

 

今までは苦しくて抱えられなくて逃げ出した人間関係やそれによる自身の葛藤、そんなものを一旦抱え込めれば、自分の心は暴走しなくなり、暴走した行動を生み出さなくて済むんだと思います。 

 

 

精神科の作業療法士として

ー マインドフルネスに出会う前と比べ、精神科の作業療法士としてどう変化しましたか?自分が思っていたことがマインドフルネスという言葉で説明されたということですか? 

  

織田 両方あるかもしれません。中立的に価値判断せず、捉えられるようになったのかもしれないですね。

 

元々、私自身は力動(精神分析)などを勉強していました。どちらかと言えば、解釈する・理解する、目に見えないものを理解していく所が主でした。 

 

もちろん,今でも力動的な考え方のいい面は、自分の中にたくさん残っていると思っていて、相手のこと(気持ち、情緒)を文脈的に理解しようとすることを大切にします。

 

マインドフルネスを始めて、それもこれも良いんじゃないかって、まとめてひっくるめて抱えようとするようになったことがプラス方向に働いているのかな?って思います。 

 

今までは「こうだったんですね」と断定していたことが、語弊はあるかもしれないけど「そんな時もあるよね」というように一緒に悩むようになりました。

 

今までは対峙していたことが、横並びになり、一緒に抱えることができるようになりました。これは、DBTの考え方と合わせて、弁証法的生き方と呼んでいます(笑)。 

(Photo:うつ病のリワークに携わる先生方と)

 

弁証法的な生き方

ー 弁証法を知らない人が多いと思います。簡単に弁証法的な生き方について教えて下さい。 

 

織田 弁証法って、いろいろあるんですが…(笑)わたしが臨床で応用している考え方に、弁証法の「正・反・合」というものがあります。

 

少し荒っぽい説明になりますが、正(テーゼ)という「AはAだよね」っていう、それまで当たり前とされていたことに、Aを矛盾させるような反(アンチテーゼ)が起こります。

 

すると、「AはAだけど、Aじゃないよね~」みたいな感じで矛盾しちゃうんですよね。

 

でも、そこから、その両方を成り立たせるような合(シンテーゼ)に至る、それを止揚(アウフヘーベン)というんですが、みたいな図式です。

 

そういう流れで弁証法的な考えを臨床的に「ある物とある物が両方成り立ちますよ」という考え方で、「合わせて両方考えましょう、中道を見つけましょう」という考え方です。

 

合わせて両方考えることで、それを超える新しい道や概念へと止揚(アウフヘーベン)すること全体を弁証法生き方としてとらえています。 

 

これは、弁証法の援用で、わたしの勝手な考えなのですが…。つまり、得手勝手な解釈かも知れないのですが…。臨床は、結果に対してコミットすることが大切です。

 

だから、 結果に対して評価し考える。それは、勿論否定しませんが、弁証法的に考えると、それだけではなく、変化・プロセスを重視します。

 

わたしたちが経験する、そのプロセス自体に本質があると考えるんです。 

 

弁証法的行動療法での例なのですが「最終的にリストカットしてしまいました」や「過量服薬してしまいました」という、結果だけを見るのではなく、そのプロセスをみる。 

 

「苦しい事がありました」→「何とかしたいと思いました」→「とにかく寝ようとしました」→「薬を飲もうと思いました」→「ついつい薬を飲みすぎちゃいました」 

 

というように、プロセスを見ると納得できる部分が見えてきます。自分で対処しようとして、ついつい飲みすぎてしまったのだと。

 

これからわかるように「正・反・合」がその人の性質を表し、理解していけるようになったことが臨床では変わっていったことです。 

 

その弁証法的な態度のために、マインドフルネスは有効だと言えますね。 

 

後輩指導とマインドフルネス

ー 対患者さん以外の部分、例えば後輩指導など、マネジメントにおいても効果がありそうなのですが? 

 

織田 まさしくその通りだと思います。人を点で評価するのではなく、線で評価する。プロセスに人の本質があったりするわけですよね。

 

また、そのひとの持つ様々な特徴をすべてひっくるめて、その人自身なんだ、と受け入れる。みたいな感じでしょうか。 

 

ー 現在の考えに至ったプロセスは、先生の元々の性格ですか?もしくは作業療法を通して、患者さんを見ていく中でそのように変化していったのですか? 

 

織田 昔はもっと酷かったって後輩に言われます(笑)。短気で怖くて酷かったみたいです。

 

自分でもそう思います(苦笑)

 

 

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織田靖史先生 プロフィール 

作業療法士,博士(保健学) 玉野総合医療専門学校 作業療法学科

吉備国際大学保健福祉研究所 準研究員

(一社)日本作業療法士協会教育部 重点課題研修班 中四国エリア エリア長

精神障害者Futsal team "CitRungs Tossa" 監督

日本ソーシャルフットボール協会(JSFA) 地域推進委員(高知県) 

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