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第一回:痛み研究の第一人者Lorimer Moseley教授との出会い【甲南女子大学 理学療法学科 准教授|西上 智彦 先生】

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―――理学療法士になったきっかけを教えてください。

 

西上先生:きっかけは、陸上をやっているときのケガがきっかけです。その経験から筑波大学の体育専門学群に進路を考えていました。

 

センター試験は問題ありませんでしたが、実技試験の立ち三段跳びで失敗し、「落ちたな」と確信しました。浪人しようと思ったのですが、センター試験利用で龍谷大学に合格していたため、とりあえず進学しました。

 

ですが、如何にもこうにも水に合わないと感じて、入学して5日でやめました。そのとき親もよく許してくれたなと思います。5日ですからほとんどオリエンテーションです。授業料を払わず、入学金だけで済んだのは不幸中の幸いでした。

 

やはりどうしても、スポーツに関することを勉強したいと思い、調べていく中で理学療法士を目指すようになりました。

 

―――学校はどちらの学校ですか?

 

西上先生:広島県立保健福祉短期大学です。私の時代は、短大だったので、センター試験がなく、一発試験でした。現在は、大学になっていますので、センター試験に通らなくてはいけません。

 

―――どんな学生だったんですか?

 

西上先生:学校に行ってもほぼ寝ていました。当時、深夜のバイトに明け暮れていたので、バイトが終わり、ビールを飲んで寝て、それから学校という形でしたから、どうしても授業中は寝てしまいますよ。笑 

 

今考えると、「何をしていたのだろう」と、いう感じです。でも、学校の友達は好きだったので毎日通っていました。

 

―――最初の就職先はどちらに?

 

西上先生:大阪にある、スポーツリハで有名な島田病院というところに就職して、約2年間在籍していました。

 

―――その際に印象に残った患者さんとかエピソードがあれば教えてください。

 

西上先生:今思い出してもたくさんいます。その中でも、痛みを研究するきっかけになった6歳の子との出会いです。捻挫後、骨折もなくレントゲン上問題ないにもかかわらず、「痛い」と、いう訴えがある。足は引きずるような状態です。それがこれまでの経験では、理由がわからない。

 

器質的な問題がないのにも関わらず、「痛い」と訴える患者さんは多く、何をしても良くならない。そんな人たちを経験したことが、後に痛みを研究するきっかけとなりました。

―――その病院を退職されてからはどのような道に?

 

西上先生:退職後は、学生時代の実習地で、高知大学医学部付属病院に「来ないか?」と、誘っていただき、転職しました。3月の終わり頃に声をかけていただき、6月始めくらいから移ることになりました。

 

転職した当初は、筋電図やバイオメカニクスが好きで研究をしていました。疼痛の研究をするようになったきっかけは、整形外科の回診の際に、整形外科領域の痛みに関して有名な先生である牛田享宏先生(現在、愛知医科大学病院痛みセンター教授)に、よく質問していたのですが、そんなやり取りしているうちに面白いと思ってもらえたのか、「岡崎の痛み研究会(岡崎統合バイオサイエンスセンター細胞整理研究部門)の研究会に行ってみたらどうか」と、勧めていただいたことです。

 

高知県には、6年ほどいまして、その間に高知大学で修士を取得しました。学術的な基本は、当時の上司(理学療法士)によく教えていただきました。抄録の書き方から歩行の筋電図のとりかたまで、非常によくしていただきました。

 

大学院では、整形の教室にいて、解剖の教室の先生にラットの研究の仕方を教えてもらいました。その先生が実験の師匠で、ある日こんなことを言われました。

 

「そろそろ英語の論文を書かないとだめだね」

 

その当時、私のイメージでは英語論文は医師や研究者が書くもの、という勝手なイメージがあり、「私は、理学療法士なんで…」と答えたのですが、「そんなん関係ないやん」と、突き返されました。そのときに言われたことが、自分の人生の礎となり、「自分の筆頭の論文は英語しか書かない」と決めて、それ以来、英語で論文を書くのは辛いですが、その信念を突き通しています。

 

―――なぜ大学の先生になったんですか?

 

西上先生:32歳ごろだったと思います。甲南女子大学の教員採用の募集があり、応募したことをきっかけに、今の大学に来ました。研究を徹底的にしたかった、というのが一つあります。もう一つは、自由度の高いところで仕事をしてみたいと思うようになり、比較的この大学で自由にやらせてもらっています。

 

この大学のおかげで、オーストラリアにも1年間留学することができました。この1年間は大学に在籍した状態で留学するため、サバティカル※1という制度を利用し、2年前に留学していました。

 

留学の1年前に博士課程を終え、目標がなくなり、モチベーションが低下していました。そこで、オーストラリアに留学することを決意しました。

 

※1サバティカル制度:職務を離れた長期休暇(研究休暇)のこと

 

―――オーストラリアには痛み研究のために行かれたのですか?

西上先生:そうですね。私の選んだラボが、痛みの理学療法において世界的に有名なラボで、Lorimer Moseley教授(ロリマー・モーズリー)※2の元で研究していました。

 

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西上 智彦先生のプロフィール

学歴 

平成14年 広島県立保健福祉短期大学保健福祉学部理学療法学科 卒業               

平成20年 高知大学大学院医学系研究科医科学専攻修士課程 修了     

平成26年 愛知医科大学大学院医学研究科臨床医学系専攻博士課程 修了           

職歴

平成14年 医療法人永広会島田病院リハビリテーション科                                                   

平成16年 高知大学医学部附属病院リハビリテーション部

平成22年〜現職 甲南女子大学看護リハビリテーション学部理学療法学科 准教授

平成25年 大阪大学医学部附属病院疼痛医療センター 非常勤理学療法士

平成27年 Sansom Institute for Health Research, University of South Australia

      Postdoctor

学会活動

日本ペインリハビリテーション学会 理事 

日本運動器疼痛学会 評議委員

日本疼痛学会 評議委員

 

社会活動

NPO法人いたみ医学研究情報センター 理事

第一回:痛み研究の第一人者Lorimer Moseley教授との出会い【甲南女子大学 理学療法学科 准教授|西上 智彦 先生】

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