高橋塁先生〜横浜DeNAベイスターズ専属理学療法士(PT)〜第一回

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これまでの歩み

今年で横浜DeNAベイスターズ(以下ベイスターズ)が6年目になりますが、その前3年間は四国独立リーグでトレーナーをしていました。3年目にベイスターズからお話をいただいて5年前に入団しました。私が理学療法士養成校(3年制)の2年時に四国独立リーグが出来、その当時、関係者と知り合って、学生の頃からインターンさせてもらいました。理学療法士免許取得後、そのままチームトレーナーとして採用してもらったという訳です。私がいた頃の独立リーグは9ヶ月契約だったので、シーズンオフは老健や知り合いの先生の脳外科病院でアルバイトをしていました。

実は養成校に入る前に、普通に国立大学の経済学部を出ました。ずっと高校野球をやっていたため指導者になりたいと思い「社会の免許を取って教師になって」と考えていました。しかし、在学中「ちょっと違うかな?」と思い、それからプロ野球のトレーナーの道を目指すようになりました。大学を出たのに進路変更したいと両親に言い出せず「2年間だけ考えさせてほしい」ということで大学院に行きました。大学院の勉強がすごく厳しくて「こんなに勉強しないといけないのなら、本当に自分のしたいことをやりたいな」と思うようになり、その後、PTと鍼灸マッサージの学校を受けました。どちらにしようかと悩んでいるときに、大学院の同級生に病院の息子さんがいて「もしプロの世界に行けなかったときは、PTが良いんじゃないの?」とのアドバイスと、当時は、プロ野球界に理学療法士が少ないのではないか?と思ったのでPTの学校に通うことにしたという流れです。

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スポ根

私は37歳になりますが、20年以上前の野球界はまだまだ練習中に「水飲んじゃダメだとか、練習時間を長くやる」という美学がありました。当時からそういうことにすごく疑問を持っていました。最初は高校の教師になって「変えていこう」と思ったのですが、たまたま大学時代に監督をしてくださっていた方が「医学部の博士課程に行きながらプロ野球のトレーニングコーチになる」ということを言われてました。その方もその後、プロ野球でトレーニングコーチになられました。その方の影響と、「高校野球の監督になったとしても、全体の流れを変えることは出来ない。それよりプロに行って、肩書きが付けば高校野球の人やアマチュア野球の人がもっと自分の話を聞いてくれる」と思い、目指すのであれば一度プロを目指して、肩書きや実績をつけた上で野球界の流れをちょっとでも変えられたら、というのがあり、現在に至ります。

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養成校卒業後すぐにトレーナーへ

最初独立リーグでは一人で全部やることになるのですが、自分のしたことが選手にとって、良いか悪いかもわからず、日々の業務に追われていました。その後、プロの世界に入るとテレビで観たような選手ばかりで、求められることも多く、最初はすごくプレッシャーに押しつぶされそうになっていました。それもPTの免許取ってまだ3年弱経った頃だったので余計ですね。でもどうにかしないといけないので、山口先生(山口光國先生:元横浜ベイスターズ専属理学療法士)に色々と聞きました。「もうどうしたら良いんですか?」と。そしたら、山口先生もPTの免許を取って最初の3年間はこれではダメだと思ってしこたま勉強したとアドバイスをいただきました。本を読んだりセミナー行ったりいろんな人に聞いたり。ようやくプロの世界に入り、3年目くらいから、選手と接するときも臆することなく出来るようになって、現在では、自分の目指すトレーナー像に近づきつつあります。自分の理想のトレーナー像は、選手のリハビリをみるだけではなく、3年目からは1軍でトレーニングの方も見るようになり、治療も含め、すべての分野でスキルアップすることです。

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高橋塁先生経歴

【経歴】

2004年 香川大学大学院経済学専攻科 修士課程卒業

2007年 穴吹リハビリテーションカレッジ理学療法科卒業

2007年 香川オリーブガイナーズ トレーナー

2010年 横浜DeNAベイスターズ アスレチックトレーナー

2014年 徳島大学大学院医学研究科(運動機能外科学分野)入学

【専門分野】
スポーツ医学
【資格】
理学療法士
NSCA認定ストレングス&コンディショニングスペシャリスト
JATI認定トレーニング指導者
アメリカ心臓協会(AHA)BLSヘルスケアプロバイダー

高橋塁先生〜横浜DeNAベイスターズ専属理学療法士(PT)〜第一回

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