初めまして、山田将希と申します。
いよいよ2年後の2020年、東京にてオリンピック・パラリンピックが開催されます。理学療法士たるもの、1度は世界で一番有名なスポーツの祭典に携わってみたいと思ったことが一度はあるはずです。無論、私も恋い焦がれたその1人です。
とは言っても、理学療法士としてオリパラに参加するのは狭き門。経験年数や実績がある人が優先され、当時経験年数6年目だった私には実績もコネも何も足りていなかった訳です。それでもどうにか関わりたい。
悩みに悩んだ末、今、私は南米の赤道直下の国「エクアドル」にいます。
赤道上を跨いで、オリンピックのエンブレムを胸に
決してトチ狂った訳ではありません。東京オリパラに関わるために、日本から飛行機にのり、地球を半周してやってきました。なぜ普通の理学療法士が、日本からではなく海外から目指すことになったのか。これまでの経緯をお伝えしたいと思っています。
あきらめたらそこで試合終了だよ
養成校を卒業後、総合病院に勤務しながら社会人バスケットボールのチームに所属していたのですが、ある日の試合で膝前十字靭帯と半月板の損傷を負ってしまいました。手術と理学療法を身を持って体験していくうちに、自分のしたいリハビリは『これなんだ』と決断して、スポーツ整形外科に転職を決めます。
そのスポーツ整形外科にはリオオリンピックに帯同したことのある先輩が以前働いていた職場で、その講演を聞かせていただいたのですが、
その先輩が伝えたこのメッセージは、僕の人生を変えたといっても過言ではありません。
『オリンピックに関わることがあれば、世界の全てを見て欲しい』
オリンピックに帯同するほど知識・技術を磨いてきた先輩が一番伝えたかったのは「トップを極めた方の知識や技術」よりも、それ以外だったのです。『世界のトップを見てきた人の見て欲しい世界はなんだろう?』と底知れぬ興味を持つようになり、オリンピックに興味を持つようになりました。
リオオリンピックのシンクロに帯同の理学療法士の浅岡さん
ただ当然、周囲からは「お前には無理だよ」と反対の嵐でした。理学療法士ボランティアの選考基準に、私は引っかかるほどの実績がなく勤務先のスポーツ整形外科でさえ、中堅どころ。私に声がかかるはずもありませんでした。
半ば諦めかけましたが、なぜだか心のメラメラが無くならず、いつもはすぐに諦めてしまう自分でも、今回だけはこの気持ちが無くなりませんでした。
東京オリンピックが56年ぶりで、今関わらないといつ関われるのか。
今から約50年後では約80歳そこまで現役でやっていける自信は当たり前ですが、ありません。先輩から聞いた話が頭から離れない。どうしても、ここで諦めたら後悔するという自分がいました。
ダンコたる決意
そこからは、「日本のどこかに必要としている人がいるのではないか」と思い、全国各地のオリンピック・パラリンピック関連イベントを飛び回り、現場まで足を運び続けました。車椅子バスケのボランティアに参加してみたり、車椅子ラグビーの試合に行ったり、そこで連絡先を教えてもらい実際に練習を見に行ったりしました。
車椅子ラグビーの試合後にリオパラリンピック銅メダルの選手と
まだ人手を必要としているところはありますが、世界と比べるとやはり日本は充実していてトレーナー役の人達も多くいました。日本の中で争うよりも必要としているところに行こうと思い、海外に行くことを決意しました。
現地の人しか行けない村に訪問して話を聞かせていただいた時
JICA(青年海外協力隊)で東南アジアに派遣されている病院時代の同期に会いにも行ったのですが、その国の医療は日本の20年前の医療と同等と言われていて、当たり前だと思われていることが全く当たり前ではありませんでした。
身体評価もまともにせず、痛いのに無理やり動かすのが当たり前のような光景を目の当たりにして、まだまだ世界にはリハビリが必要としている人がたくさんいると気づき、同期の女性が異国の地で一人で頑張っている姿に感銘を受けて、
「自分は何をしているんだ。大きな体の男がなぜ、海外に行くのが何が怖いんだ」と思いました。
そこで日本の中で変に治療技術などを争うよりも必要としている場所に、自分が行けば良いのではないのかと考えが変わりました。
現地で有名だと言われるリハビリ病院の見学をさせていただいた時
成功への道筋は成功者(実際に帯同できた人)に聞くのが一番だと思い、とにかくアポを取っては、その方がいるところまで会いに行きました。
連絡を返してくれない人や相手にしてくれない方もいましたが、自分がしてきたことと、熱意を伝えると話を聞いてくれる時間を頂けました。
車椅子バスケ帯同の理学療法士の竹内さんと
自分の目標になったリオオリンピックのシンクロに帯同された浅岡さん。リオパラリンピックの車椅子バスケに帯同された竹内さん。実際に南米のエクアドルで水泳チームの指導にあたった糸井さんにお会いさせて頂きそこで、自分の考えを話し、普段聞けないような先輩の話を聞けました。
エクアドルで水泳選手の指導をされていた糸井さんと
他にも約200人の友人や職場の同僚に自分のビジョンやしたいことを話して回りました。
見た目通り暑苦しいその想いを真剣に伝えることで、次第に応援してくれる人も増えてきたように思います。今まで全く関わりのなかった方にまで応援して頂き、自分のやっていることは間違いではないんだなと思えて、継続して自分の夢に挑めています。
To be continued..
山田将希あれこれ
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