ある1人のために生きる【動きのコツ研究所リハビリセンター 代表|生野達也さん】

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全国で講習会を展開し、保険外でリハビリテーションを提供している「動きのコツ研究所リハビリセンター」の代表 理学療法士の生野達也さん。考え方のベースとなっている、認知神経リハビリテーションとの出会いや動きのコツ®の考え方、そして保険外分野にかける熱い想いを伺いました。 

大切な人に受けて欲しいリハビリ技術との出会い

 

ー 生野さんは「動きのコツ®」の講習会を全国でされていますが、まずこの考え方に出会ったのはいつだったのでしょうか?

 

生野 その出会いは実習まで遡ります。特に感覚障害が強い脳卒中の患者さんを担当したのですが、ご本人は感覚が鈍くて困っていました。

 

その病院には認知神経リハビリテーションの勉強をしている先生がいて、感覚障害についての意見交換を繰り返す中で、興味を持ちはじめました。認知神経リハビリテーションは、感覚を意識することで自分らしい身体を取り戻すという考え方です。

 

脳卒中のリハビリというと、運動麻痺に関する論文が多くありますが、感覚障害に対しての論文は多くありませんでした。よく麻痺側の手が「他人の手のようだ」と身体所有感を失うと表現をすることがありますが、それに応えられるセラピストになりたいと強く思いました。

 

就職もその先生に「一緒に働かないか」と誘っていただき、高知で働き始めました。そこがキャリアの原点です。ただ、いずれは自分が育った北海道に帰ろうと思っていたので、リハビリに関する何かを持って帰ろうと思っていました。

 

高知での4年間、様々な分野を学ぶ中で、「他人の手のようだ」という身体所有感を改善させられる可能性を感じた認知神経リハビリテーションを選びました。学ぶほどに、「もし私自身や家族が脳卒中になったとしたら受けて欲しいリハビリ技術」だと感じたのです。しかし、当時の僕は認知神経リハビリテーションを学んではいましたが、なかなか実践できていませんでした。

 

当時、認知神経リハビリテーションはあまり体系化されていなくて、勉強会に参加しても、臨床に活かすのがすごく難しかったんです。先ほど話した先輩からも教えていただいていましたが、せっかくなら認知神経リハビリテーションの最高峰の病院で学びたいと思うようになり、臨床5年目で摂南総合病院に転職しました。

 

スーパーマンになりたかった。でもなれなかった。

生野 転職したはじめの頃は、スーパーマンになりたかったんです。具体的に言うと、臨床も教育も、研究もできる理学療法士です。その先には、日本認知神経リハビリテーション学会の理事になって北海道で広めるという夢を抱いていました。

 

ただ、それが摂南総合病院に就職して、打ち砕かれました。全国から認知神経リハビリテーションのスペシャリストが集まってきていて、僕より若い子たちでもバリバリにやっていました。

 

最初は、学びたい一心で教えてもらいながら頑張っていましたが、次第に「スーパーマンにはなれないな」と気づいたんです。僕が頑張っている間に、同期の友人が何倍も前に進んでいく。研究に対してもすごいワクワクしながら取り組んでいて。僕も研究はやっていましたが、結構しんどくて楽しいとは感じなかったんですよね。

 

そこが一つの挫折です。7年目か8年目の頃。今後のキャリアについて考え直すようになりました。その時に、彼らにはない自分の強みを探しました。やっぱり、スーパーマンじゃないにしても、何かしら自分の役割が欲しかったのです。

 

悩む日々が続きましたが、ある時、私の役割は「広めること」だと思ったんです。先ほども述べましたが、当時は認知神経リハビリテーションの本はわかりにくくて、僕は、摂南総合病院に来るまで実践できていませんでした。でも同期たちは、そこから読み解き、臨床で考えながら自分で切り開けるタイプだったんです。僕の方が少なくとも認知神経リハビリテーションを実践できない人の気持ちが分かるなと思ったんです。

 

認知神経リハビリテーションの臨床思考をロジカルに説明できるという確信があって、それを広めようと認知神経リハビリテーションのセラピスト向けのブログを始めました。それが結構評判で勉強会の講師依頼をいただけるようになりました。

 

力になれない虚しさと憤り

ー 保険外のリハビリサービスを立ち上げようと思ったキッカケってなんだったのですか?

 

生野 あるとき、ブログを読んでくれた片麻痺の方から連絡をもらって、東京でお会いすることになりました。40代でT-caneで歩けるくらいの方で、高次脳機能障害とかはなくクリアな方でした。

 

その人は必死にもっと良くなりたいと訴えてくれました。今でいう「リハビリ難民」だったんです。介護度が低く、発症から2年も経っているので保険内でのリハビリテーションは制度上卒業していました。ただ、家族もいるし仕事もしていて、自分なりにもっと動けるようになろうと情報を探しているうちに、私のブログにたどり着いたそうです。

 

認知神経リハビリテーションというのは、クリアで意識する能力が高いほど効果が出やすいアプローチなので、ぱっと見た感じでも「まだまだ良くなるな」と思いました。さらに、その方は目をキラキラ輝かせて「今度、大学で最新のリハビリが受けられるようになったんですよ!」と話を持ち出しました。

詳しく聞いていくと、あるリハビリの大学で作業療法のような研究協力をすることになったという話でした。その中身の良し悪しは置いといて、これだけクリアな方が東京都内で必死に調べて、一本垂れてきた糸がそれしかなかったことに、ものすごく虚しくて憤りを感じました。

 

(喉を指して)ここまで出ましたよ、「大阪で僕がリハビリの担当をさせていただきたい」と。いくらでも良くなる可能性をお持ちの方でしたから。しかし、発症して3年目では病院のリハビリを受けられないという制度上の問題がありました。

 

ブログはセラピスト向けではありましたが、その先の患者さんを救うことができればいいと思って書いていました。しかし、その現実を目の当たりにして無意味さを感じました。ブログでセラピストへ広めたとしても、保険内のリハビリテーションを卒業した脳卒中当事者の方には、役に立てなかったのです。そのときに湧き上がったのが「セラピストとして、この人のために生きたいな」という強い気持ちです。こんなに良くなりたいと思っている人たちの力になりたい、人生をかけたいと思いました。

 

そこから、この人を最高の笑顔にするためにはどんなプランがいいのか。色々考えて行き着いたのが保険外のリハビリテーションでした。
 

【目次】

第一回:ある1人のために生きる

第二回:動きのコツ®と脳卒中を活かした働き方とは

 

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