"普通の理学療法士(PT)"が6年勤めた職場を退職し27歳で世界に出た理由 -連載第3弾-

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多くの療法士はまだ本気を出しきれていないのではないか?

路地裏

こんにちは、柿澤です!前回は僕が世界一周しながら治療をする様子について書きましたが、今回は旅先で出会う非日常な光景と僕らの普段の過ごし方について感じた事を書きたいと思います。

念願だった旅に出て日本にはない刺激と出会いに充実している反面、頻繁に強いギャップに襲われることがあります。僕は旅が好きで病院勤務時代も長期休暇を利用しては飛行機のチケットだけ用意して宿も決めずにアジアを回っていました。

ゴミを拾う子供

その街の生活風景が好きで路地裏や雑踏にばかり行って普通の旅行では立ち入らない様な場所にも行きます。そんな現地人の生活を垣間見るからこそ、日本との生活の差を痛感します。

それはフィリピン、マニラに滞在してより強く思う事でした。マニラにはアジアきってのスラム街が乱立しており、フィリピンの首都ですが空港すぐ脇に目をやると見わたす限りのバラック小屋にストリートチルドレンから何もせずにぼーっと座っている大人が大勢います。着ている服はボロボロで平日の昼間だけど学校にも仕事にも行けていない。

ストリートチルドレン

見渡せば、これでもか!というくらい茶色く濁ったゴミが溜まる川のほとりに家を建て(勝手に)ツーリストの捨てたアイスの棒を舐めていたりします。そのような生活を営んでいる人がマニラ全体で見ても約400万人いて、僕が住んでいた静岡県の人口より多いという、想像し難い数字になっています。

フィリピンでは大卒の初任給が月2万円(警察官)です。もちろん大卒じゃないと、それ以下。安定した仕事につきたくても学歴に左右され、幼くして学問を受けられず、上記環境では親がゴミ拾い(スカベンジャー)で生計を立てている状況で、子供はそれ以上の発想が思いつかないし、物理的に望めないのです。つまりこの生活のループという事。

マニラのドブ川そいの家

こんな現状が日本から飛行機でたった5時間の場所には存在します。すぐ近くの知らない世界ではこんな生活が日常の人々が沢山います。 今回このような事を書いていますが、僕は貧困層の社会情勢に詳しい訳でもなければ、それを何かしようという行動もしている訳もありません。

難しい問題も山ほどあるだろうし、それを全て理解する事も簡単な事じゃないですが、今回思ったこと、言いたいことを僕風の言葉で表すと、「俺ら超恵まれてるじゃん!日本で生きていることがチャンスじゃん!」という事。

電車待ち

今の日本で、「蛇口から水が出るっ!ラッキー!」「今日は雨だけど屋根ついてる所で寝れる!ラッキー!!」なんて思う人いないですよね。 人間は環境に依存するので普通に日本で生活していたら、こんな事考えないのが普通だし、そこに基準を合わせる必要もないとは思います。

しかし、このスラムの実情を知ったからには、今ある「幸せ」を考えられずにはいられません。恵まれている環境でやれる事は腐るほどありチャンスを作る機会も沢山転がっています。この事実は、何かに挑戦しようとしているけど、一歩踏み出せない人には覚悟を決めるきっかけになると思います。

仕事も毎日忙しい、家庭もあり各々が様々な事情を抱えています。けど本気でやりたい事があるのならどんなに小さなステップでもいいから踏み出してみればいいと思う。要はやるかやらないか。始めなければ何も始まらない。

自分の恵まれた環境を海外に出る事で再認識できたので今回の旅で平和ボケを治したいと思います。そして、思い返してほしい表題の、「僕たちはまだ本気を出しきれてはいないのではないか?」

路地裏にて

人生悔いなく生きましょう!

>>連載第4回:『勇気を持ってアクションする事の大切さ』

柿澤健太郎先生 経歴

病院時代写真

【所有資格】

理学療法士

【経歴】

静岡医療科学専門学校卒業 (現在臨床7年目)、卒業後「フジ虎ノ門整形外科病院」にて急性期~回復期~外来を経験

御殿場南高校野球部帯同(2013~2014)

御殿場看護学校非常勤講師(2014)

勉強会団体「丸裸会」会長(2011~)

<バックナンバー>

連載第1弾:私が病院勤務を辞め、世界を目指したきっかけ

連載第2弾:旅の過程は「臨床推論」と同じ

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"普通の理学療法士(PT)"が6年勤めた職場を退職し27歳で世界に出た理由 -連載第3弾-

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