理学療法士の現場では、関節可動域(ROM)や徒手筋力検査(MMT)といった評価基準が必要不可欠です。しかし、長年にわたり日本独自の基準作成は試案に留まり、本格的な標準化が進んでいませんでした。そこで、日本理学療法学会連合は新たな一歩を踏み出し、日本発の学会連合版MMTとROM評価指針を発表するに至りました。
今回、日本理学療法学会連合理事長の藤澤先生にインタビューを行い、この新しい学会連合版MMTの開発とROM評価指針発表までの背景や未来への展望、理学療法士としての矜持について伺いました。現場での使いやすさや、世界に発信する基準としての可能性がどのように考慮されたのか、その詳細に迫ります。
藤澤宏幸先生プロフィール
1967年北海道登別に生まれる。1988年に理学療法士(以下PT)免許取得後、登別厚生年金病院リハビリテーション部にてPTのキャリアをスタートさせる。1999年4月より東北文化学園大学で教鞭(2006年教授就任)をとる。 日本理学療法学会連合理事長並びに日本基礎理学療法学会理事長など歴任。2012年理学療法基本評価検討委員会設置(2014年学会発足とともに学会ガイドライン・用語策定委員会へ移行)に伴いワーキンググループ(ROM並びにMMT-サブグループ)の統括を行った。
本日は、日本理学療法学会連合理事長である藤澤先生にご参加いただきました。お忙しい中ありがとうございます。
今回は、「学会連合版MMT開発とROM評価指針の背景と未来」についてお伺いしたいと思います。この度、日本理学療法学会連合版の『
徒手筋力検査法』が発売され、先生がその監修と開発の統括を担当されたと伺っています。
では、まず歴史について伺いますが、私が調べたところによると、学会版MMTやROM評価指針は、1970年代後半から1980年代にかけて一度試案があったようですね。
おっしゃる通りです。1978年に、日本理学療法士協会の評価委員会が発足し、神戸大学の嶋田智明先生を中心に、関節可動域(ROM)や徒手筋力(MMT)、ADLの標準化が目指されました。
実際に報告書がまとめられたのはROMの標準化(試案)のみでした。これは、整形外科学会やリハビリテーション医学会(リハ医学会)が1948年に初版を発表したROM基準を1974年に改訂し、その内容に基づいたものでした。
しかし、現場で使用する中で改善意見も多かったことから、「理学療法士の手による」基準を出そうという動きがありました。その後も試案が出され、1995年に新たな改訂版が発表されましたが、当時の試案は組み込まれず、協会が独自の標準化を図ることは難しい状況が続きました。
1978年から約30年後、2012年に再び動き出すことになったわけですね。その間にも議論があったのでしょうか?
協会内部でも「理学療法士による標準化」という声は根強くありましたが、試案の段階を超えることは難しかったのです。
しかし2012年、日本理学療法士協会学術局内にあった7領域研究部会のなかで、基礎理学療法研究部会が中心となってROMとMMTの新しい基準を策定する動きが始まりました。この動きは理学療法士にとって使いやすい基準を設けることを目指しています。
2012年に開発を始めてから、実際にMMTとROMが公表されたのは2016年ですね。
はい、2013年、理学療法士協会内に設置された日本理学療法士学会に理学療法基本評価検討委員会が置かれ、そこで報告書を完成させました。ただ、過去の経験から、他団体との協力なしでは十分に使ってもらえない可能性があると考えました。
そこで、日本リハビリテーション医学会、日本整形外科学会、日本作業療法士協会と合同でワーキンググループを作り、2016年から改めて活動を行いました。
そうです。各学会協会からの正式な推薦をいただきたいと考えていましたが、当初から参画していなかったため、最終的には「日本理学療法士学会の判断で進めてください」との回答になりました。
世に出すタイミングも慎重に検討し、ちょうど学会が法人化される時期だったこともあり、法人化後の落ち着いた段階で発表しようという決定に至りました。長い時間をかけて開発したものですので、ぜひ多くの方に活用してほしいと思い、発表に踏み切りました。
2016年に公表された際、臨床現場や学術界での反応はどのようなものだったのでしょうか?
2016年の公表前にはパブリックコメントも実施し、多くの方から賛同をいただきました。例えば、MMTの測定姿勢を従来の腹臥位から背臥位や側臥位に変更するなど、臨床現場で使いやすい内容となっています。
また、抗重力を基準としたグレーディングシステムも改良し、明確な判断基準を設けました。これらの改良は多くの方々から評価されています。
実際に、従来のMMTと比べて簡潔な構成になっていると感じました。削るべき部分を削ることに苦労されたのでは?
そうですね。例えば肩甲帯の上方回旋など、身体運動学的に表現しにくいものは省略しました。また、体表解剖を多く取り入れることで、理学療法士が使いやすい内容を目指しました。
ROMの評価に関しては、95年の改訂版の補足資料としての役割もあるのでしょうか?
二つの医学会による基準は、簡便に測ることに特化しており、非常に優れた内容だと思います。しかし、理学療法士がより精度高く測ろうとした場合には、難しい点が出てきます。
実際にワーキンググループの中で、セラピストの協力を得て、複数の病院で測定を行ってもらいました。同じ人物の同じ関節運動の角度を測っても、セラピストごとに数十度の差が出ることがあったのです。
ええ、エンドフィールなどの要因もありますが、精度良く測る難しさを感じました。そのため、姿勢が変わっても基本軸を明確に取れる基準が必要だと考えました。特にレジストリ研究でデータを蓄積する際には、「どの方法で測ったか」が明示されることが重要です。
今回の基準はこれまでの方法を否定するものではなく、補完的な「評価指針」という形で作成しました。2021年に三つの医学会の方法が改訂され、それに基づいて評価指針を作成しました。
今後は、学会連合のホームページに評価指針の無料版を掲載する予定で、記号化も進めています。たとえば、学会連合版評価指針で使用する「SHG(ショルダーガードル)の【ELEV02】」などの記号を記入いただければ、どの方法で測定したかが明確に分かるようになります。
具体的に測定方法がわかることで、精度を求める際には有効ですね。
そうですね。精度の高い測定が必要な場合には、これらの指針に従った方法を活用していただくことが可能ですし、今後多くの方に利用いただけることを期待しています。
では、MMTについても伺います。今回の学会版MMTの基準は、国内のみならず世界に向けて発信される基準としての意識もあったのでしょうか?
おっしゃる通りです。将来的には英語版の出版も検討しており、論文や研究で活用される際に世界の研究者にも理解されやすいような内容を目指しています。徒手での測定だけでなく、機械を使った評価も含まれていますので、臨床現場での使い勝手や信頼性も重視しています。
4と5のグレーディングがやや曖昧で、取る人によって差が出やすいという課題があったように感じますが、その点も意識されていたのですね。
はい、その通りです。4と5の筋力の範囲は広く、検査者間では判定も異なることもあるため、環境が整っている場合には徒手筋力計も積極的に活用していく方針です。
これにより、より詳細なデータが必要な場合には精密な計測ができ、将来的に参照される際にも有益な情報を提供できると考えています。
今後、今回のMMTやROM以外にも、ADL評価など、他の評価項目のアップデートや学会版の開発が予定されているのでしょうか?
その可能性も視野に入れています。学会連合には理学療法標準化検討委員会があり、用語や定義の見直しにも注力しています。必要に応じて、バランス評価やその他の検査法の標準化も進めていく方向です。
理学療法評価の未来に対する一つの指針とも言えますね。MMTとROMを皮切りに、学会連合がどのような方向性を持って世界に発信していくのか、非常に期待しています。
ありがとうございます。標準化に向けた取り組みは学会の大きな役割の一つです。現在協会においては、急性期から生活期に至るまで、一貫して使用できる理学療法評価フォーマットを作成しています。協会とも連携し、基礎から応用までの評価方法を整えていく予定です。
PTが誕生してから半世紀以上が経過し、こうした動きがようやく本格化している背景には、学会が独立した組織としての役割を担い始めたことがあるのでしょうか?
そうですね。日本には15の法人学会と5つの研究会があり、それぞれの分野で標準的な評価を模索しています。学問が発展するにつれて、分野ごとに必要な標準評価法を模索する流れが定着してきました。こうした流れが、学会の法人化によりさらに強化されたと感じています。
改訂された学会版のMMTやROMのデータが、将来的に学会のビッグデータとして蓄積される方向性もあるのでしょうか?
すでに一部の学会ではレジストリ研究が進行中であり、ROMやMMTのデータも蓄積されています。そのデータを用いる際、我々の推奨する基準で測定を行えば、信頼性の高いデータとして活用できるでしょう。
理学療法士全体で、この基準を日常業務の中で積極的に取り入れてほしいですね。
そうですね。そのために、ウェブや対面での講習会も積極的に企画し、より多くの方に使っていただけるような環境を整えたいと考えています。
最終的には、私たち理学療法士が現場でしっかり活用し、それが広く普及することが非常に重要なポイントになるのではないかと感じています。
そうですね、これは理学療法士の矜持として、学会連合が考案したものというよりも“我々の仲間”が作ったものを皆で丁寧に使用し、「これを標準にしよう」という機運を高めていければと考えています。
そうですよね。私も臨床の経験を振り返ると、MMTやROMの測定を改めて考えさせられる良いきっかけだと感じます。今回のインタビューも、現場で活躍する方々にとって、振り返りの良いタイミングになればと思っています。
では、先生からも最後にメッセージをお願いできますか。
これまで、日本の理学療法は輸入学問に頼る部分が大きく、世界標準を合わせるように進んできたと思います。
しかし、現在の日本理学療法学の成熟度を考えると、今後は自分たちで考え、作り上げたものを積極的に活用し、それを世界に発信する時期に来ていると感じます。例えば姿勢分類の基準も、多くは海外のもので、日本人に適した基準が必ずしも反映されていません。
私たちの文化や身体的特性に基づく評価基準を、自ら設定していくことが重要だと考えています。こうした考えを共有し、皆で積極的に良いものを発信していきたいですね。
素晴らしいメッセージをありがとうございます。理学療法士に限らず、貿易赤字でもある日本全体の課題としても非常に共感できるお話でした。輸入に頼るのではなく、私たち自身が自信を持って発信し、世界に広めていく。
そのための意識改革にも繋がるお話だったと思います。本日は貴重なお時間と素晴らしいお話をありがとうございました。
編集後記…
本インタビューで藤澤先生が強調されたのは、日本の理学療法士が自ら基準を作り、発信していくという重要な視点でした。これまで海外から学び、多くの知見を取り入れてきた日本の理学療法が、成熟した今、世界に向けて自身の基準を示し、その有用性を証明していく時代に突入しています。藤澤先生のお話は、学問としての理学療法の未来に希望を与え、現場に携わる理学療法士にとっても、評価の重要性を再認識するきっかけになったのではないでしょうか。
今回の基準は、単なる評価方法の改訂ではなく、日本の理学療法士が誇りを持って自分たちの仕事を再定義し、広く発信するための一歩でもあります。この記事が、現場の方々が基準に対する理解を深め、さらなる研鑽に役立つことを願っています。
参考文献
大川嗣雄. (1988). 関節可動域テストを中心とした評価の変遷と最近の動向. リハビリテーション医学, 25(5), 383-391.
石田和宏. (2015). 日本理学療法士学会版の関節可動域評価指針. 理学療法学, 42(8), 763-764.
藤澤宏幸. (2015). 理学療法基本評価検討ワーキング・グループの活動─設置の目的と経緯─. 理学療法学, 42(8), 759-760.
中山恭秀, 磯貝香, 大森圭貢, 小林武, 福士弘紀, & 藤澤宏幸. (2015). 学会版徒手筋力検査法の開発. 理学療法学, 42(8), 761-762.