目次
- 1. 60年を1枚で見る──リハ職法制の地形図
- 2. 1965年──法律第137号はなぜあの形で生まれたのか
- 3. 1971年改正と、その後の沈黙の60年
- ★ コラム:ST法というもうひとつの時間軸
- 4. 同時期、米英豪はどう動いたか──Direct Accessの60年
- 5. アメリカ50州Direct Access達成までの軌跡
- 6. イギリスNHSのFirst Contact Practitioner制度
- 7. オーストラリア・韓国の動向
- 8. 日本に戻る──名称独占の限界と「健康運動指導」市場
- 9. 訪問看護ステーション減算が示した条文と現場の乖離
- 10. 2040年ロードマップが法改正を掲げない理由
- 11. 法改正の3シナリオ──業務独占化/Direct Access部分導入/現行維持+通知運用
- 主要出典・参考資料
リハ職法制 60年年表(1957-2026)
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米国で初めて、州法に「医師の指示」要件を書かないことでDirect Accessを実現。立法ではなく「記載なし」による事実上の解禁という設計。
1963年5月1日、日本初の理学療法士・作業療法士養成校として国立療養所東京病院附属リハビリテーション学院が開校。3年制の養成課程。当時の世界理学療法連盟(WCPT)世界大会は同年6月にコペンハーゲンで開催された(東京開催は1999年横浜、2025年東京)。
5月12日、神田博厚生大臣が第48回国会衆議院社会労働委員会で提案理由を説明。5月31日に成立し、6月29日に法律第137号として公布。「業務独占ではなく名称独占」「医師の指示の下に」「身体に障害のある者に対し基本的動作能力の回復」が当初設計。
第2条が業務範囲を定める文言は、この公布以降一字も変更されていない。
ネブラスカに続き、omission方式でDirect Accessを実現。立法による能動的解禁ではなく、州法の不記載による事実上の解禁が続いた時期。
1965年法附則の経過措置(特例受験の期限・昭和46年3月31日)を、昭和49年3月31日まで3年延長するだけの改正。業務範囲・資格制度の見直しは含まれない。
しばしば「最初の本格改正」と紹介されるが、中身は経過措置の延長に限定される。
1963年医療補助員法の後継として制定。物理治療士・作業治療士・臨床病理士・放射線士・歯科技工士・歯科衛生士を規定。日本PTOT法から8年遅れだが、当初から職種範囲は広い。
同年8月17日施行。
APTAが「omission戦略」から「立法戦略」へ転換。メリーランド州が能動的立法によるDirect Access法を成立させ、「first state to pass direct access legislation」となる。
診療報酬に言語療法が新設されたが、当時STの国家資格は存在しない。「点数だけが先にあり、誰がやるかは後で決める」逆順の制度形成。実務は言語療法士・言語聴覚療法士・言語訓練士など名称が一定しないまま動いていた。
1979年メリーランド州を皮切りに、1980年代の10年で21州が立法または運用でDirect Accessを実現。APTAの州単位ロビー活動が本格化した時期。
1994年改定で、嚥下障害領域の臨床実態を反映した摂食機能療法が診療報酬に位置づけられた。STの臨床領域が「言語」と「嚥下」の二系統に拡大していく起点。
1995年に日本摂食・嚥下リハビリテーション研究会が発足、1997年に学会化。
1990年代の10年で累計31州。州ごとに、無制限・期間制限・特定患者層限定など、条件付きDirect Accessが含まれる多層構造に。
旧「医療技師法」を全面改正し、視能訓練士(オプティシャン)と医療記録管理士を追加。資格制度の全体構造を見直した。
日本がPTOT法本則をほぼ動かさなかった時期に、韓国は資格法を全面改正している──60年比較の核心となる対比。
1981年の言語療法点数化から16年。1999年3月の第1回国家試験で約4,003名が初めて国家資格を手にする。
ST法はPTOT法と異なり、第2条で業務範囲を広く定義しつつ、第42条で診療補助としての医療類似行為(嚥下訓練・人工内耳調整等)を医師指示下に分けて規定する構造を採用。
平成13年法87号で障害者欠格事由見直し、法153号で「医師の指示」関連規定の整備。本則改正だが業務範囲には触れていない。
PT協会の「身体に障害のおそれのある者への対象拡大」要望に対し、法改正ではなく通知で対応。
「介護予防事業等において、身体に障害のない者に対して、転倒防止の指導等の診療の補助に該当しない範囲の業務を行うことがあるが、このように理学療法以外の業務を行うときであっても、『理学療法士』という名称を使用することは何ら問題ない」と通知本文に明記。
本則第2条「身体に障害のある者」限定を運用で拡張した最大の例。
GP不足対応として、先進実践レベルのMSK PTがプライマリケアに入る試み。後のFirst Contact Practitioner(FCP)制度の前身。
APTAの長年の運動が結実し、米国50州すべてで何らかのDirect Accessが達成。APTA Centennial(協会創立100周年)記念事業として位置付けられた。
2025年7月までにDC・米領バージン諸島を含む全地域が達成完了。
NHS Elective Care Transformation Programmeで、GP受診の代わりにMSK First Contact Practitionerを受診するパイロットを6,800例規模で実施。
NHS England "Elective High-Impact interventions: First Contact Practitioner for MSK Services"公表。2023/24年度までに全Primary Care Network(PCN)でMSK FCPへの直接アクセスを可能にする目標を掲げる。
ガバナンス枠組み"Roadmaps to Practice"公開。GP診療所がMSK FCPを雇用する際の資金確保が制度化された。
訪問看護ステーションのPT・OT・ST訪問回数が看護師訪問回数を超える場合、1回8単位減算。緊急時訪問看護加算等を算定していないSTも対象。
法本則(1965年)は「訪問」「在宅」を想定していない。報酬で構造補正している例。
令和6年度(2024年)診療報酬改定で、医師の指示を受けたPT・OT・ST・看護師がリハビリ実施計画書を説明できるようになり、患者署名も不要に。「ようやく現場の実態に追いついた」と評価されたが、裏返せば「60年近く経つまで条文に書けなかった」ことの証。本特集の出発点となる改定。
4本柱(共生/健やか/地域共生/組織基盤)と、2027年・2030年・2040年に向けた段階的ゴール。具体的な身分法改正の工程表は示されていない。指定規則改正で「公衆衛生」「保健指導」を備考欄に追記する戦略。
1966年7月17日に日本理学療法士協会が110名で設立され、2025年度を中心に創立60周年記念事業が展開された(2025年10月に記念式典、2026年1月に記念誌発行)。2026年7月17日には設立から満60年を迎える。
厚生労働省が省内に「リハビリテーション統括調整室」を新設(総勢17名)。室長に江浪武志・大臣官房審議官、次長に医政局医事課長・老健局老人保健課長・保険局医療課長を配し、医療・介護・障害福祉の縦割りを越えた省横断推進体制を整備。所掌に「リハ施策を国家戦略として推進」と明記。
同日の閣議後会見で上野厚生労働大臣は、PTOT法の施行から約60年が経過したことに触れ、「制度的な見直しというものが考えられるかどうか、検討していく必要がある」と明言。本特集の起点となるニュース。
出典:本特集記事、e-Gov法令検索、国会会議録検索システム(第48回国会衆議院社会労働委員会第30号 昭和40年5月12日)、APTA "State of Direct Access to Physical Therapist Services" 2025、APTA Centennial Timeline、NHS England "Elective High-Impact interventions" 2019年5月、大韓民国 의료기사 등에 관한 법률、厚生労働省 R6介護報酬改定/R6診療報酬改定 資料、日本理学療法士協会「2040年までのロードマップ」2024年から編集部作成
1. 60年を1枚で見る──リハ職法制の地形図
PTOT法は1965年5月31日に成立し、同年6月29日に法律第137号として公布されました。それから2026年で61年目を迎えます。図表1には、1957年(米ネブラスカ州Direct Access)から2026年(厚労省リハ統括調整室新設)まで、日本国内の本則改正・通知運用・診療報酬と、海外のDirect Access関連立法を1枚に並べました。
地形図として眺めると、いくつかの偏りが見えてきます。
まず、日本の本則改正は14回ありますが、業務範囲を定める第2条は1965年から一字も変わっていません。改正の中身は、受験資格、欠格事由、行政手続、罰則規定など、いずれも周辺規定にとどまります。
次に、海外は同じ60年で全く違う景色になっています。米国は1957年のネブラスカ州を皮切りに、2015年のミシガン州で50州すべてが何らかのDirect Access(医師の紹介なしでPTにかかれる仕組み)を達成しました。英国は2019年のNHS Long Term PlanでFirst Contact Practitioner(FCP)制度を本格導入。韓国は1995年に「医療技師等に関する法律」へ全面改正しています。
最後に、日本が動かしてきたのは本則ではなく、施行規則・指定規則・通知・診療報酬という"周辺"でした。2013年の医政局通知、2024年4月のR6介護報酬改定(訪問看護ST減算)、2024年6月のR6診療報酬改定(計画書説明者拡大)。いずれも法本則を変えずに、現場の実態を報酬と通知で補正してきた事例です。
そして2026年5月19日、厚労省は「リハビリテーション統括調整室」を新設しました。室長に江浪武志・大臣官房審議官(医療介護連携・データヘルス改革担当)、次長に中田勝己・医政局医事課長、堀裕行・老健局老人保健課長、林修一郎・保険局医療課長を配し、総勢17名で発足。所掌事務は「リハビリテーションに関わる施策の総合的な調整に関する事務」と定められ、医療・介護・障害福祉の縦割りを越えてリハ政策を「国家戦略として推進」することが明記されました。上野大臣の「制度的な見直し」発言と合わせて、本則改正の可能性が省側から示唆された節目の動きです。本特集の最後(§11)で、その含意を3つのシナリオに整理します。
2. 1965年──法律第137号はなぜあの形で生まれたのか
PTOT法の出発点は、1963年5月1日に開校した日本初のPT/OT養成校・国立療養所東京病院附属リハビリテーション学院に遡ります。先進諸国では1950年代までに資格制度・養成訓練の整備が進んでおり、日本に資格制度がない状況は国際的に異例でした(参考:当時の世界理学療法連盟(WCPT)世界大会は1959年パリ、1963年コペンハーゲン、1967年メルボルンで開催)。
1965年5月12日、第48回国会衆議院社会労働委員会で、当時の神田博厚生大臣が法案の提案理由を説明しています。会議録には、リハビリテーションの重要性に触れたうえで「先進国では既に専門技術者の資格制度が確立されているのに対し、わが国にはこれら医学的リハビリテーションの専門技術者の資格制度がなく」、その整備が医療制度調査会の答申で求められたことが記されています。
成立した法律第137号は、3つの設計選択を含んでいました。
設計選択①:業務独占ではなく名称独占(議事録で確認)
設計選択②:業務は「医師の指示の下に」行うものに限定(法第15条)
設計選択③:業務範囲を第2条に定義──理学療法は「身体に障害のある者」、作業療法は「身体又は精神に障害のある者」を対象とする
第一の名称独占について、提案理由では「業務の独占は認めないが、紛らわしい名称を用いてはならないと規定する」と説明されています。理学療法・作業療法という行為そのものを国家資格者が独占するのではなく、「理学療法士」「作業療法士」という名称を独占する設計です。
第二の「医師の指示の下に」については、法第15条がPT・OTを診療補助として理学療法・作業療法を業とできると規定しました。
第三の業務範囲の定義は、理学療法を「身体に障害のある者に対し、主としてその基本的動作能力の回復を図るため、治療体操その他の運動を行なわせ、及び電気刺激、マッサージ、温熱その他の物理的手段を加えること」、作業療法を「身体又は精神に障害のある者に対し、主としてその応用的動作能力又は社会的適応能力の回復を図るため、手芸、工作その他の作業を行なわせること」と定めました。
養成課程は大卒入学資格者の3年養成を基本とし、既従事者向けに昭和46年(1971年)3月31日までは特例受験を認める経過措置が置かれました。
ここで重要なのは、当時の業務範囲が「身体に障害のある者」を対象としていた点です。1965年当時のリハ需要は脳血管疾患後遺症、結核後遺症、ポリオ後遺症などの入院医療が中心で、予防・健康増進・産業領域・在宅医療といった現代的な活動領域は、立法者の念頭にありませんでした。
3. 1971年改正と、その後の沈黙の60年
1971年4月1日に施行されたPTOT法の一部改正(昭和46年法律第28号)は、しばしば「最初の本格改正」と紹介されますが、中身は限定的です。1965年法附則の経過措置(特例受験の期限・昭和46年3月31日)を、昭和49年3月31日まで3年間延長するだけの改正でした。業務範囲や資格制度の見直しは含まれていません。
その後60年で、PTOT法は14回改正されています(編集部調べ・e-Gov法令検索)。

図表2:1965年制定以降のPTOT法改正14回の内訳。受験資格と行政手続関連が大半を占め、業務範囲を定める第2条には一度も手が入っていない。
並べてみると、改正の大半は受験資格と行政手続の整備で、業務範囲・対象者・「医師の指示」の枠組みに踏み込んだものはほとんどありません。第2条の業務範囲を定める文言は、1965年公布時から現在に至るまで、一字も変わっていない状態です。
その間、リハ職の活動領域は劇的に変化しました。介護保険制度の施行(2000年)、地域包括ケアシステムの構築、訪問リハ・通所リハの定着、産業領域・予防領域への進出、自費リハ市場の拡大。こうした変化に対して法本則は静止したまま、運用は施行規則・指定規則・通知・診療報酬の改正で動いてきたのです。
「動いていないわけではない、本則でない場所で動いてきた」──この構造は、本特集を通じて繰り返し確認することになります。
★ コラム:ST法というもうひとつの時間軸
PT・OTの法制度を語るとき、ST(言語聴覚士)の歴史は別の時間軸で進んできたことを押さえておく必要があります。
PT/OT:1965年 国家資格化 → 1974年 点数化
ST:1981年 言語療法 点数化 → 1997年 言語聴覚士法成立 → 1999年 第1回国家試験
転換点は1981年です。診療報酬に「言語療法」の点数が新設されました。この時点で、言語療法を業とできる国家資格者は存在していません。点数だけが先に生まれ、誰がやるかは後で決める。PT・OTの「資格→点数」とは逆順の制度形成でした。
1994年改定で摂食機能療法が点数化され、STの臨床領域は「言語」と「嚥下」の二系統に拡大します。1995年に日本摂食・嚥下リハビリテーション研究会が発足、1997年に学会化と、領域は学術的にも整いました。
そして1997年12月19日、ようやく言語聴覚士法(平成9年法律第132号)が公布されます。PTOT法から32年遅れの国家資格化でした。1999年3月の第1回国家試験では約4,000名が初の国家資格者となります。
ST法はPTOT法の轍を踏まず、より新しい設計を取り入れています。言語聴覚士法第2条は業務を「音声機能、言語機能又は聴覚に障害のある者についてその機能の維持向上を図るため、言語訓練その他の訓練、これに必要な検査及び助言、指導その他の援助を行うこと」と定義します。一方で第42条は、保健師助産師看護師法の規定にかかわらず、診療の補助として「医師又は歯科医師の指示の下に、嚥下訓練、人工内耳の調整その他厚生労働省令で定める行為」を業とできる、と規定しています。診療補助を要する医療類似行為と、それ以外の業務(言語訓練・助言・指導)を別の条文で書き分ける構造です。
ただし基本構造は同じです。STも名称独占資格で、業務は医師(または歯科医師)の指示の下に置かれています。「医師の指示の下に」の枠組み自体は、PTOT法から32年後の立法でも変わりませんでした。
4. 同時期、米英豪はどう動いたか──Direct Accessの60年
ここから視点を国外に移します。1965年から2026年までの61年間、海外のPT・OT・ST法制はどう動いてきたのでしょうか。
結論を先に書きます。日本は本則をほぼ動かさず、米国は50州すべてでDirect Accessを獲得し、英国はNHS全国制度として新しいプライマリケアの仕組みを整え、韓国は資格法を全面改正、オーストラリアはMedicareに組み込まれた形でDirect Accessを定着させました。
「Direct Access」とは、患者が医師の紹介なしに直接PTにかかれる仕組みのことです。日本のPTOT法が前提とする「医師の指示の下に」とは正反対の制度設計です。次の3章で、米英、そして豪・韓の動きを順に追います。
●この先の内容
ここまでが「日本の60年」の通史。次のセクションからは、米国50州Direct Access達成までの軌跡、英国NHS First Contact Practitioner制度、オーストラリア・韓国の動向を順に追い、日本に視点を戻して名称独占の限界と自費リハ市場、訪問看護ST減算の構造、2040年ロードマップが法改正を掲げない理由を解説します。最後に、これからの法改正3シナリオを編集部視点で整理しています。
5. アメリカ50州Direct Access達成までの軌跡
米国のDirect Access史は、APTA(American Physical Therapy Association、米国理学療法協会)の長年の運動として記録されています。






