Walking イベント「KNOW NO LIMIT」の存在
—— 渡部先生が理学療法士になったきっかけを教えてください。
渡部先生:きっかけは高校生の頃、部活で腰を痛め少しリハビリに通うことがあり、そこで理学療法士という職業を知りました。それから、自分も理学療法士になりたいと思って、この道に進みました。
最初は、東京都の病院で3年間、慢性期(今でいう生活期)の病院で、入職して半年ほどで回復期が立ち上がるということで、そこの立ち上げメンバーとして働いていました。
この施設(J-Workout)を知ったのは、病院にいた頃でした。脊髄損傷について色々調べている中で、J-Workoutが主催するWalking イベント「KNOW NO LIMIT」の存在を知り、 ボランティアとして参加しました。そこで脊髄損傷の方が歩いている姿に感動し、自分も一緒にやってみたいと思い応募しました。
病院勤務時代に感じた葛藤
——脊損専門で働きたいと思ったきっかけは他にはありますか?
渡部先生:病院で働いて5ヶ月たったとき、初めてC5(第5頚椎:腕のわずかな筋力と首より上の機能が保たれるレベル)レベルの頸損患者さんを担当したことです。
その頃、まったく経験がなかったので車椅子の移乗だけでも苦労して、夜残って練習した記憶があります(笑)。それがきっかけと言えばきっかけですね。
その後、上司に「脊損の方が入院したらできるだけみたいです」と直談判していたので、比較的経験をたくさん積めました。
立ったり歩いたりといったリハビリをやりたいのは患者さんだけでなく、セラピスト側もそうです。しかし、限られた期限の中で在宅復帰させるにはどうしてもADL(起き上がりや車椅子への移乗、トイレやお風呂など)に多くの時間が必要でした。
機能回復の可能性があるのに入院期間の縛りで、退院を余儀なくされる患者さんに対して「お大事に、退院おめでとうございます」と声をかけるしかない現状に葛藤もありました。
そこで、J-Workoutならもっと長期的にトレーニングができ、マンパワーもあるため様々なトレーニングに挑戦できると思いました。今では、病院時代に私が担当していた患者さんとここでまた一緒に頑張りたいという夢もあります。
入職初期は実習並みに大変。しかし、、、
——病院での経験と、ここ(J-workout)での経験で感じたギャップはありますか?
渡部先生:不全損傷の方に関して、機能面の向上は病院時代も考えていましたが、頸損レベルの完全麻痺の方を「歩かせよう」という発想はなかったですし、マンパワー的にも不可能でした。
ただ、「ここでならそれを実現できるのではないか」という期待もありました。病院との圧倒的な違いは、期間の縛りがないことです。マンパワーや回数的な縛り、時間的な縛りもここではなく、いろいろなトレーニングにチャレンジできます。
ここでは、一回2〜3時間のトレーニング時間のうち、担当とアシスタントがついて行うことが多くあります。また、場合によってトレーニングを3名で行います。
入職してすぐは理学療法士としてのプライドやこれまでの経験が、ここのやり方を吸収するのに邪魔になりました。
このままではまずいなと思い一度、今までの経験を捨ててゼロから脊髄損傷の回復トレーニングを学んでいきました。アシスタント時代は理学療法士の実習並みに大変です。でもクライアント様の笑顔や回復する姿、尊敬できる上司が私を支えてくれました。
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