これから途上国で働くことを考えている療法士・学生へ|石井清志先生

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石井:私が開発途上国に興味を持ったのは、JICAボランティアに参加したのがきっかけでした。

 

専門学校を卒業してからごく普通に就職し、医療機関に勤めていましたのですが、せっかくOTになったのだから専門性を海外で活かしてみたいと思うようになり、思い切って応募することにしました。そして、無事に合格し2005年~2007年までの2年間、パキスタンにある肢体不自由児施設でOTとして活動しました。

 

帰国後は臨床で働きながら大学院に通い、自分の活動を振り返って修士論文としてまとめました。その後、2011年の東日本大震災を機に臨床を離れ、震災支援を行っていた団体の職員やNGOの海外駐在員、開発コンサルタントなどを経験し、2016年4月から現在の職場で勤務しています。

 

途上国で就労するきっかけ

石井:私は2005年7月~2007年7月の2年間、JICAボランティアとしてパキスタン・イスラム共和国にある、肢体不自由児施設で作業療法士として活動しました。言葉や宗教、文化等が日本とは大きく異なる国での2年間の活動は作業療法士として、一人の人間としても大きく成長するきっかけとなりました。

 

 パキスタンでは一軒家の2階に住んでいたのですが、広さも安全面も問題なかったのですが、インフラは断水や停電は当たり前で、気温が0度近くなる冬にペットボトルに貯めておいた水での水シャワーや懐中電灯だけで夜を過ごすなど日本ではありえないことがたくさんありました。

 

はじめはそのような生活に戸惑ったり、イライラしたりしていましたが、職場や近所の人と仲良くなり、現地の人々の暮らしを知るにつれて、それまで大変と感じていたことも当たり前のこととして捉えて受け入れることが出来るようになりました。

 

 活動については、ラホールという大きな都市の町はずれにある肢体不自由児施設に配属され、主に5歳〜15歳くらいまでの脳性まひのこどもを対象に作業療法を行っていました。

 

配属先は日本のデイケアのような通い型の施設で毎日50名ぐらいの子供たちが通ってきていました。朝は学校の送迎バスや家族が市内の様々なところから子供を送ってきて、9時~15時まで勉強したりリハビリをしたりしていました。施設には勉強を担当する教師とリハビリを担当する理学療法士、看護師、ヘルパーが在籍していました。

 

 こうして文章にしてみると配属先の施設はしっかりしていると思われるかもしれませんが、実際に活動して大変な状況でした。脳性まひのこどもを対象にリハビリを提供していたのですが、座位保持が十分にできないこどもがたくさんいました。

 

日本であればそれぞれの身体機能に適った座位保持装置や自助具が提供されるケースですが、補装具の購入やレンタといった制度はなくこどもたちは毎日、床に敷いてあるマットの上に寝かされたまま、リハビリの順番を待つという状況でした。また、パキスタンの気候は乾燥しているので、教室はいつも埃っぽくトイレも不衛生な状況でした。

 

そのため、リハビリを提供する前に、こどもたちの状況を評価しこどもたちの施設での過ごし方について検討する事や施設の清潔を保つことが初めの活動になりました。


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これから途上国で働くことを考えている療法士・学生へ|石井清志先生

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