概要
脳 MRI を用いて、脳の健康状態を数値化する、または脳年齢を計測するといった研究が世界中で行われています。この内の一つに ITU-T(International Telecommunication Union Telecommunication Standardization Sector)で標準化されている( BHQ Brain healthcare quotient)という脳の健康指標があります。
京都大学 オープンイノベーション機構 渡邉啓太 特定准教授と山川義德 特任教授らの研究グループは、脳 MRI ドック受診者 1799 人を対象に研究を行い、脳の灰白質容積から算出した( GM Gray Matter)-BHQ が、海馬の容積計測と比較して、認知機能テストの結果と強く相関することを明らかにしました。
また、脳の萎縮が進行した時に、認知機能が低下する人と認知機能が保たれる人がいることに着目し、運動習慣や飲酒歴、喫煙歴、生活習慣病の有無などを調査しました。結果として、脳萎縮が進行していても認知機能が保たれている人は、大学や大学院を卒業しているなど教育年数が長いという特徴を明らかにしました。本研究成果は、2021 年 10 月 22 日に国際学術誌の「Cortex」にオンライン掲載されました。
1.背景
脳容積の減少( 脳萎縮)は以前には高齢者になってから生じると考えられていましたが、脳 MRI を用いた脳研究の発展により、実は 20 歳代が脳容積は最も大きく、その後は 30 歳代であっても脳容積は年々減少することがわかってきました。この脳容積減少の進行は加齢性変化以外に、肥満や糖尿病などの生活習慣病の有無、疲労状態、食生活などとも関連することから、脳容積を用いて脳の健康を数値化する、または脳年齢を計測するといった研究が世界中で行われています。この内の一つに ITU-T(International Telecommunication Union Telecommunication Standardization Sector:国際通信連合 電気通信標準化事業部門)で標準化されている BHQ(Brain healthcare quotient)という脳の健康指標があります。BHQ は脳 MRI で計測した灰白質 注 1)容積や白質の結合性を、脳の領域毎にデータベースと比較して偏差値を求め、平均した値になります。つまり、脳の様々な部位を考慮して算出する値になります。
高齢化の進む日本において、認知症は今後より大きな社会的問題になっていきます。認知症は臨床所見や認知機能テストを総合して医師が診断しますが、一方で診断の客観性を高めるために、MRI やアミロイド PET 注 2)といった脳画像を用いた診断に期待が寄せられています。しかしながら、認知症を MRI やアミロイド PETなど脳画像から診断することは容易ではありません。例えば、認知症の中で最も多いアルツハイマー病を対象とした死後の脳解剖研究で、病理学的に脳は間違いなくアルツハイマー病の状態にも関わらず、死の直前まで認知機能が正常であった方が一定数いることが報告されています。これと同じように、MRI で脳の容積減少が進行している、またはアミロイド PET でアミロイド沈着がみられる方でも、認知症の兆候がない方がいます。
ここで私達は 3 つの仮説を立てました。1 つ目は、脳の様々な部位を考慮した BHQ は、海馬など単独の脳部位よりも認知機能を強く反映すると考えました。2 つ目は、脳の容積減少が加齢により進行した高齢者ほど、脳容積の減少の程度と認知機能の関係性が乏しくなると考えました。3 つ目は、健康的な生活様式を実践している人や脳を活発に使っている人ほど、脳容積の減少が生じても認知機能が保たれると考えました。本研究ではこれらの仮説の検証を行いました。
2.研究手法・成果
単一施設において 2013 年〜2019 年に脳 MRI ドッグを受診した 1799 名を対象としました。認知機能測定には MMSE(Mini Mental State Examination) (注 3)を用い、以下の 3 つの検討を行いました。
A. 脳の灰白質容積から算出した GM(Gray-Matter)-BHQ と認知機能の関係を調査しました。比較対象に、海馬容積と傍海馬容積を用いました。海馬は記憶と関与し、認知機能において重要と考えられている脳部位になります。認知機能と GM-BHQ または海馬容積、傍海馬容積の相関関係解析定したところ、GMBHQ は海馬容積や傍海馬容積よりも、認知機能と高い相関関係を認めました。
B. 年齢を 65 歳未満と 65 歳以上の 2 つのグループにわけて、GM-BHQ と認知機能との関係を調べました。結果として、65 歳以上のグループでは、65 歳未満のグループよりも、BGM-HQ と認知機能の関係性が乏しくなっていました。
C. 脳の容積減少が進行している方(平均よりも 1 標準偏差以上 BHQ が低い方)を対象に、認知機能が保たれている群と低下している群の 2 つのグループにわけて、肥満の程度や糖尿病、高血圧の有無、喫煙、飲酒、運動、教育年数などの比較を行いました。結果として、脳の容積減少が進行しても認知機能が保たれている群は教育年数が長いという結果が得られました。
3.波及効果、今後の予定
近年広まってきている脳 MRI ドックは日本独自の取り組みになります。健診を受けることで、重篤な疾患が発見され、命が助かった方もいる一方で、脳 MRI ドックの医学的・科学的な有用性はまだ十分に検証されていません。脳 MRI ドッグを受診した際、より多くの健康情報が得られるように、脳情報を数値化する取り組みが徐々に進んでいます。
本研究では、記憶を司り、認知機能と強く関連すると考えられている海馬のみの容積を測定するよりも、各脳部位の容積を考慮した GM-BHQ のほうが、認知機能と強く相関していることが明らかになりました。ただし、脳 MRI ドックを受診した方を対象とした検討のため、病院で認知症と診断されている方への有用性については今後の検討が必要となります。
また、大学や大学院まで卒業された教育歴の長い方のほうが、脳の容積減少が進行しても、認知機能が保たれることがわかりました。一方で、今回の対象には 20 歳代から 90 歳代まで幅広い年齢層の方が含まれており、年代によって大学進学率が異なる点を考慮出来ていません。また、認知機能が保たれた要因も、1. 若い頃に良く勉強していたから、2. 大人になっても勉強する習慣を持っていたから、など複数考えられます。今回の結果を認知症の予防に応用するにあたっては、認知機能低下を防いだ要因のより詳細な解析が必要になると考えています。
4.研究プロジェクトについて
本研究は、国立研究開発法人科学技術振興機構による革新的研究開発推進プログラム( ImPACT)の援助を受けて行われました。
<用語解説>
注 1 灰白質:脳の中でも神経細胞が集まる部位になります。灰白質は脳の表面の大脳皮質や脳の深部の基底核などの総称になります。脳の処理に大事な部位で、脳科学研究における脳容積の計測は灰白質の容積を計測することが多いです。
注 2 アミロイド PET:一般的な PET(Positron Emission Tomography)検査では、悪性腫瘍などを検査するためにブドウ糖の代謝分布を画像化しています。これとは別に、アルツハイマー型認知症の原因の一つと考えられているアミロイドβの蓄積を画像化するアミロイド PET という検査があります。
注 3 MMSE(Mini Mental State Examination):認知機能の低下を調べるために世界中で最も広く行われている検査になります。検査時間は 10-15 分で、時間や場所に関する見当識や記憶などを調べます。
<研究者のコメント>
今回の研究テーマの一つである脳萎縮に関して、「どうすれば脳萎縮が予防できるか?」「どうすれば効率的に脳萎縮を改善出来るか?」ということを今後研究したいと考えています。参加者の方にご協力頂く形の研究になりますので、もし機会がありましたらご協力のほど宜しくお願い致します。
<論文タイトルと著者>
タイトル Grey-matter brain healthcare quotient and cognitive function: A large cohort study of an MRI brain screening system in Japan
( 脳の健康指標と認知機能:脳 MRI ドックにおける大規模コホート研究)
著 者 Keita Watanabe, Shingo Kakeda, Kiyotaka Nemoto, Keiichi Onoda, Shuhei Yamaguchi, Shotai Kobayashi, Yoshinori Yamakawa
掲 載 誌 Cortex
DOI https://doi.org/10.1016/j.cortex.2021.09.009
詳細▶︎https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research-news/2021-10-26-0
注)紹介している論文の多くは、単に論文による最新の実験や分析等の成果報告に過ぎません。論文で報告された新たな知見が社会へ実装されるには、多くの場合、さらに研究や実証を進める必要があります。最新の研究成果の利用に際しては、専門家の指導を受けるなど十分配慮するようにしてください。