前庭系のバランス機能が良いほど海馬の容積が大きい〜健常高齢者における調査〜

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アルツハイマー型認知症患者では、海⾺が委縮することに加えバランス障害を呈しやすいことが知られています。また、海⾺とこれを構成する下位領域の容積は、加齢や疾患、トレーニングの影響を受けることも明らかとなっています。しかし有酸素運動とダンストレーニングとでは、海⾺の各下位領域に与える影響が部分ごとに異なっており、海⾺のどの下位領域がバランス機能に関わっているかは、よく分かっていませんでした。

そこで本研究では、健常⾼齢者を対象に、頭部 MRI 検査により海⾺の容積を調べるとともに、姿勢安定度指標(IPS)を⽤いたバランス検査を⾏い、前庭機能(平衡感覚)や固有感覚(体の位置や動き)などを評価しました。

その結果、視覚や固有感覚を妨げた条件でのみ、海⾺全体の容積との間に正の相関が確認されました。部分容積との関連については、海⾺分⼦層、⻭状回顆粒細胞層および分⼦層、アンモン⾓領域 CA3、CA4 とバランス機能との間に正の相関を認めました。相関を⽰した部分は、前庭系の⼊⼒を強く受ける部位であり、バランス機能と海⾺の容積の関係には、前庭系が関与していると考えられました。このことから、健常⾼齢者では、前庭系に関連するバランス機能が良いほど、海⾺全体や特定の部分容積が⼤きいことが分かりました。

また、本研究で⽤いたバランス指標が、海⾺を介した前庭系機能や認知症におけるバランス障害の評価に有効である可能性が⽰唆されました。

 

研究代表者

筑波⼤学医学医療系

新井 哲明 教授

 

研究の背景

海⾺やそれを構成する下位領域は、加齢やアルツハイマー型認知症注 1)といった疾患で容積が減少することが知られています。⼀⽅、海⾺は⽣涯を通じて新しいニューロンを⽣成する能⼒も有しており、健常⾼齢者が有酸素運動とダンスを実施した研究では、両群とも、介⼊後に海⾺を構成する部分体の容積の増⼤が認められ、特にダンスを実施した群でのみ、海⾺の⻭状回領域の増⼤とバランス機能の向上が⾒られたことを報告しています。しかし、⾝体のバランス機能を保つには、視覚系、体性感覚系(体の表⾯や内部の感覚)、前庭系(体の動きに伴うバランス)の統合が必要で、バランス機能の要素と海⾺容積との具体的な関係についてはよく分かっていませんでした。

バランス機能と海⾺との関連については、動物実験において、前庭感覚器注 2)の刺激により海⾺が活性化することが⽰されており、ヒトを対象とした場合にも、前庭機能障害が空間認知能⼒の低下と海⾺萎縮につながることが報告されています。そこで、本研究では、バランス機能の中でも、視覚系や固有感覚(体の位置や動き)が海⾺容積に影響すると仮説を⽴て、各条件と海⾺全体、および、海⾺を構成する下位領域 CA3、CA4(⻭状回やアンモン⾓といった前庭系の⼊⼒を受ける領域)の容積との関連を調査しました。各感覚系のバランス評価は、姿勢安定度指標(Index of Postural stability: IPS)注 3)を⽤いて検査し、通常の測定条件に加えて、視覚ブロック条件(閉眼して視覚を妨げる)や、固有感覚ブロック条件(柔らかい測定板を使⽤して固有感覚を妨げる)も導⼊しました。これらを複合した閉眼/軟⾯条件での検査は、前庭感覚器がつかさどる平衡感覚に注⽬したバランス評価として有効と考えられます。

 

研究内容と成果

認知機能に問題のない茨城県在住のボランティア 30 名(男性 14 名;平均年齢 75.4±5.4 歳、平均 MMSE注 4) 29.8±0.6 点、⼥性 16 名;平均年齢 73.8±6.4 歳、平均 MMSE29.7±0.6 点)を対象とし、バランス検査と頭部 MRI 検査を実施しました。バランス検査では、重⼼動揺計を⽤い、4 条件(開眼/硬⾯条件、開眼/軟⾯条件、閉眼/硬⾯条件、閉眼/軟⾯条件)で IPS を測定しました(図1)。頭部 MRI 検査では3 次元 T1 強調画像注 5)を取得し、脳の局所容積を計算するツールとして広く使⽤されている Freesurfer6.0.0 を⽤いて、海⾺を 12 の下位領域として出⼒しました。IPS と、海⾺全体および各下位領域の容積を全脳容積で割った⽐率に対して相関分析を⾏ったところ、海⾺全体容積については、IPS 閉眼/軟⾯条件のみが有意な正の相関を⽰しました。下位領域については、分⼦層、⻭状回顆粒細胞層および分⼦層、アンモン⾓の CA3、CA4 領域で正の相関を認め、特に、IPS 閉眼/軟⾯条件で強く相関していました。IPS閉眼/軟⾯条件は、前庭系のバランス機能を反映する指標であり、海⾺全体や特定の下位領域の容積には、前庭系が関与していると考えられました。

 

今後の展開

今回の研究は、健常⾼齢者を対象に、海⾺の下位領域の体積とバランス指標との関連を調査した最初の研究です。バランス指標の中でも、前庭系を反映する指標が海⾺全体や各下位領域と強い関連を⽰し、海⾺と前庭系の関連が明らかになりました。今後、IPS を⽤いたバランス評価により海⾺萎縮を捉えるための⽅法論を確⽴するとともに、バランス障害の治療が海⾺に及ぼす影響を追跡し、認知症患者の臨床症状への効果の有無についても評価を⾏っていく予定です。

 

参考図

図1 本研究で⽤いたバランス指標 IPS と各ブロック条件の計測法

⽬を開閉することで視覚情報によるバランス能⼒について、硬/軟⾯を使うことで下肢の感覚によるバランス能⼒について評価が可能。閉眼/軟⾯の状況では前庭感覚の平衡感覚が評価できる。

 

図2 Freesurfer 6.0.0 を⽤いた海⾺の部分ごとの容積

 

⽤語解説

注1) アルツハイマー型認知症

認知症の原因として最も多い疾患。通常記憶や⾒当識の障害から始まり、緩徐に進⾏する。65 歳以降の⽼年期に発症することが多い。

注2) 前庭感覚器

⽿⽯器と三半規管で構成された、平衡感覚に関する受容器のこと。

注3) 姿勢安定度評価指標(Index of Postural stability: IPS)

体の揺れを計測する重⼼動揺計を⽤い、体を前後左右に傾けられる範囲と各位置での体の揺れの計測によりバランス機能を表す指標。

注4) 簡易認知機能評価尺度 (mini mental state examination: MMSE)

簡易認知機能評価尺度。記銘⼒や⾒当識について問う質問で構成されており、軽度認知障害やアルツハイマー型認知症のスクリーニング検査に⽤いられる。

注5) T1 強調画像

MR 画像は信号強度の強弱で画像を⽩と⿊の濃淡で表⽰する。T1 強調画像では脳室内の脳脊髄液などの液体成分を低信号(⿊)、脂肪組織などを⾼信号(⽩くなる)で表⽰しており解剖学的な構造がわかりやすい。

 

研究資⾦本

研究は特定の機関からの資⾦提供を受けずに実施されました。

 

掲載論⽂

【題 名】 Relationship between hippocampal subfields volume and balance function in healthy olderadults(健常⾼齢者における海⾺の下位領域の容積とバランス機能の関連)

【著者名】 Ryotaro Ide, Miho Ota, Yasushi Hada, Takumi Takahashi, Masashi Tamura, KiyotakaNemoto, Tetsuaki Arai

【掲載誌】 Gait & Posture

【掲載⽇】 2023 年 2 ⽉ 8 ⽇

【DOI】 doi.org/10.1016/j.gaitpost.2023.02.003

 

詳細▶︎https://www.tsukuba.ac.jp/journal/medicine-health/20230220141500.html

注)プレスリリースで紹介している論文の多くは、単純論文による最新の実験や分析等の成果報告に過ぎました。 、さらに研究や実験を進める必要があります。 、専門家の指導を受けるなど十分に配慮するようにしてください。

前庭系のバランス機能が良いほど海馬の容積が大きい〜健常高齢者における調査〜

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