「夢を語ってくれ」。理学療法士の国会議員が残り任期で果たしたいこと【参議院議員|小川 克巳】(後編)

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小川克巳氏

Voice ─ 現場からの提言

「夢を語ってくれ」
理学療法士の国会議員が、
残り任期で果たしたいこと

後編 ─ 天の声、落選の覚悟、そして若い理学療法士へ

「あなたたちは向こうの人」。国の担当者にそう線を引かれた経験から、小川克巳氏は政治に関わる必要を感じ始めた(前編)。では、なぜ自ら国会議員になる道を選んだのか。そして今、議員として何を変えようとしているのか。

「天の声、神の声はないの?」

きっかけは、2006年(平成18年)の診療報酬改定だった。疾患別リハビリテーションに算定日数の上限が設けられ、リハビリを受けられなくなる「リハビリ難民」が社会問題になった年である。

協会はこの改定の後、「おかしいのではないか」と国に何度も問いただした。その頃には、顔見知りになってフランクに話せる官僚もいた。その一人が、こう漏らしたという。

「言っていることはわかる。だけど、どうしようもないんだ。そこにはどうしようもない力がある、と。そして『おたくたちには、天の声とか神の声とかないの?』と言われたんです」

初めて聞く言葉だった。何のことかと尋ねると、「応援してくれる議員さんはいないのか」という意味だった。

「今までは行政にばかり働きかけていた。でも考えてみれば、行政は執行するところなんですよね。つくるところに行かなきゃダメじゃないかと。遅まきながら、ようやく立法府に働きかけなくちゃ、となったわけです」

「落ちたら地獄だぞ」

もっとも、小川氏自身が議員を目指していたわけではない。日本理学療法士協会では、理事を6年、副会長を10年務めた。副会長の10年は、会長を支える立場だった。

「会長がやりたいことをできるように補足する立場ですから、自分の考えを主体的に言えるわけじゃない。それをずっとやってきた。もうそろそろここまでかなと思って、今期で終わろうと考えていたんです」

そんなときに声がかかった。「お前が一番、失うものがないから」。

迷いはあった。選挙に出れば、家族のことも含めて整理しなければならないことがある。それでも背中を押したのは、選挙そのものではなく、その過程にある機会だった。

「会長のフォローじゃなくて、自分の考えを全国の人に聞いてもらえる。しかも協会がそれを後押ししてくれる。これはありがたい機会だなと。僕も業界から退こうと思っていたので、締めくくりとしては、ありがたいチャンスだと思ったんです」

出馬の挨拶に回ったとき、厚生労働大臣経験のあるベテラン議員から、思いがけない言葉をかけられた。

やめたほうがいいぞ。通ればいいけど、落ちたら地獄だぞ。

「こういう反応が来るとは思わなかったから、えっと思ったけど。よくよく考えたら、まだ通っていないんだから、落ちても今までの生活が続くだけ。当選していて落ちるのとは違う。捨てるものがないんだから、関係ないなと」

全国2周と、広島で言われた一言

2016年の参院選に向け、小川氏は全国を2周以上回った。肩書きがあると、話はそれなりのものにしかならない。「今度立候補するかもしれないやつが何をしゃべるのか」と集まってくれた人たちの中には、そもそも出馬に反対だという人もいた。

話したのは、養成校の問題、そして診療報酬がこの先いつまでも伸び続けるわけではないということだった。国の財政を見れば、それはわかる。医療の中のリハビリだけでなく、地域へと軸足が移っていくことへの備えが必要だ、と。

「でも、話はなかなか噛み合わなかった。臨床にいると、僕もそうだったけど、現場のことしかわからない。社会がどう動いているのか、ほとんど関心を持たないじゃないですか。何を言っているのかわからない、という人のほうが多かったと思います」

広島を訪れたときのこと。講演後の懇親会で、学生時代の先輩にこう言われた。

"

あなたの危機感はすごく理解できる。でも、いつもそればかりだと暗くなる。夢を語ってくれないか。そもそも政治って、夢を語る場じゃないのか

── 広島で出会った先輩の言葉

「これは僕にとってすごく大きかった。反省させられた一言です。それからは、危機感は危機感として伝えつつ、だからこうしたらこういう展望が開けるんじゃないか、それに向かって自分は動いていきたい、という話をするようになりました」

最初に決めた「敵を作らない、舐められない」

2016年7月、小川氏は参院選の比例代表で初当選する。

国会議員になっても、最初から相手にされたわけではない。とくに役所からは「どういうやつが来たんだ」という目で見られた。委員会で初めて質問に立つとき、質問の趣旨や求める答弁を役所と擦り合わせる。その打ち合わせに、若手の職員が20人ほどやって来た。

「こっちは初めてだから、20人に囲まれると、いくら若い人たちでもすごい圧を感じる」

このとき小川氏が心がけたのは、二つのことだった。

敵を作らないこと。舐められないこと。

「理学療法士の議員がこの程度か、と思われるのは困る。だから発言も相当注意しながらやりました」

役所の職員は、議員への法案説明などに誰が来るかで、その議員の評価がわかるのだという。「なりたての頃は、本当に若手ばかり来ていた。今は課長が来ますからね」。

当時の若手とは今も付き合いが続き、10年近くたった今、彼らはそれなりのポストに就いている。その彼らから「先生の悪い話は聞いたことがないですよ」と言われるのだという。

「役所の人たちは、議員のことを陰ではけちょんけちょんに言いますからね。役所は議員に逆らえないので。だから、そう言ってもらえるのはすごいことなんですよ」と小川氏は笑う。

2022年の参院選では議席を得られなかったが、2025年1月に繰り上げで国会に戻り、再び厚生労働委員長を務めた。

質を担保できるのは「大学教育」だけ

今、小川氏がもっとも危機感を抱いているのが、養成教育の行方だ。医師の地域偏在が問題になるなか、地方の養成校を残し、地域で働く人材を量で確保しようという議論が強まっている。地元に就職すれば学費を免除する「地域枠」のような発想もある。

「地域枠をつくっても、優秀な子は外に出ていく。地域に残る子たちの質はどんどん落ちていく。質を担保できないんですよ。だから時間はかかっても、学士教育にしないと質は担保できない」

その背景には、他職種との差もある。医師の教育はレベルアップを続け、看護もそれにつられて上がってきた。「それ以外は全部、置いてけぼりを食っている」。

医師が足りない、地域偏在もある。地域の医療をどう支えるんだという話になれば、タスクシフトは必然です。じゃあ受け皿はどこか。看護師さんだけでは足りない。地域にたくさんいるのは理学療法士なんです。しかも、医療と介護、両方の言語がわかるのはリハ職しかいない。

厚生労働省の幹部に、こう問いかけたこともある。「あなたが体を悪くしてリハビリの世話になったとき、質の悪い理学療法士に任せますか」。

── 優秀な理学療法士ほど、コンサルや企業など、業界の外に出ていく傾向があります。

小川氏:目端が利く人、先が見える子たちは抜けちゃうんだよね。別のところに価値を見出していく。業界に残らないんです。それが問題なんですよ。

── 地域の養成校を残すとしたら、どういう形があり得るのでしょうか。

小川氏:残すなら、職種を二層にするしかないと思っています。上位の資格をつくり、その下に実践を担うアシスタント的な資格を置く。教育年限を延ばした職種には二つのモデルがあって、薬剤師は4年を6年にしたけど業務の中身はほぼ変わっていない。栄養士は「管理栄養士」という名前の違う資格ができて、業務も変わった。差別化ができたわけです。伸びしろのある子たちには道をつくってあげたいし、思いを持って一生懸命やりたい子たちには夢を見せたい。本当に伸びたいと思ったら次のステップがある、という形をつくりたいんです。

職能団体にも注文がある。「10年後にどういう姿を描いているのか。それを明確に伝えないと、そこに向かって進もうという機運はできない」。

残り任期で、やり遂げたいこと

参議院議員としての任期は、2028年7月まで残り2年を切った。今、取り組んでいるテーマは四つあるという。

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「夢を語ってくれ」。理学療法士の国会議員が残り任期で果たしたいこと【参議院議員|小川 克巳】(後編)

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