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第207回 ”障がいがあっても稼ぐ” (株)クリエイターズ 藤島健一先生

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障がい者の就労支援

ーーー12年間働いた職場を退職されたきっかけは??

 

12年の中で、急性期の患者さんとの関りはもちろん、慢性的な長期入院している患者さんにも携わってきました。まだまだ精神科病院には長期入院している人が本当に多いんですね。「なぜこの人入院しているんだろう?」って思うような人がたくさんいて。

 

「どうやったら退院することが出来るんだろう」って真剣に考えていましたが、現実的に退院できないことが本当に多かったです。家族の理解・協力が得られない、受け皿がないためといった理由で退院できない人が多かったです。 だから“受け皿”を作りたいと思いました。

 

受け皿といってもいろいろあり、1つにはグループホームという住まいの提供がありますが、私が関わってきた人達は若い人達も多かったので、やはり「仕事がしたい」という人が多かったです。

 

しかし、まだまだ一般就労では精神疾患を患っていると雇用されにくい現状があります。また、障害者雇用として雇用されたとしても、長く安定して働くことが難しく、再発・再入院などのケースも少なくありませんでした。

 

平成18年に障害者自立支援法が施行され、今まで「作業所」と呼ばれていたものが“B型事業所”になり、福祉工場と呼ばれていたのもが“A型事業所”に変わり、より障がい者の就労支援を後押しできるような体制強化が図られました。

 

同時に運営母体の規制も緩和され、これまでは社会福祉法人やNPO法人のみが就労支援施設を運営できていましたが、民間企業も運営することができるようになりました。そうすることで株式会社の参入が増えていったんです。

 

金沢市においては平成20年頃から、特にA型事業所が急激に増えていきました。様々な業種のA型事業所が誕生することは、障がい者にとってはとても喜ばしいことであり、特に精神疾患の受け入れが大幅に拡大しました。しかし、精神障がいへの理解と適切な対応が確立されず、長く安定した就労ができない課題が生まれました。

 

こうした課題から、就労支援事業所に作業療法士などの専門職が支援する体制を確立したい、と考えました。

 

私は当時勤める精神科病院の1つの受け皿として就労支援事業所を作りたかったのですが、いろんな課題や方針から難しく、地域の中で事業所を設立するために退職しようと決心しました。

 

ちょうどその頃に、私が現在勤める就労支援事業所(リハビリ型就労スペース「リハス」)の代表である岩下と出会いました。いろいろ話をしていく中で、障がい者の就労支援に対しての想いが非常にリンクしていました。共に魅力的な事業所を設立するイメージが膨らみ、出会って約1カ月で決断をし、3ヶ月後には法人を立ち上げました。今から2年半前くらいのことです。

 

ーーーリハスは就労支援を最初から始めていたのですか?

もともとは代表である岩下が訪問看護ステーションと高齢者のデイサービスを運営していました。就労支援は3つ目の事業として設立したいと考えていました。ちょうどその頃に私と出会い、「一緒に作りましょう」と声をかけてくれたんですね。

 

役員として、管理者として私は就労支援事業に携わることになりました。 病院を退職する時はありがたいことに病院長や患者さんから引き止めもあり、色々と複雑でした。でも、「あなた方を受け入れる就労先を俺は作りたい」と、患者さんと約束して辞めたんです。そして現在、その約束した人が、B型事業所に来てくれていますね。

 

 

障害があっても稼ぐ

 

ーーーゼロから作っていった中でのエピソードを教えてください。?

 

まず、最初に設立したのは就労継続支援A型事業所でした。A型事業所は障がい者の方と雇用契約を結ぶんです。石川県の最低賃金は735円。(H28年10月より757円。)

 

その当時は718円で、人それぞれ解釈が違いますが、経営的な視点からするとこれがものすごく高く感じたんです。というのも一日4時間くらい働いて毎日仕事すると一人当たり6万~7万くらいの人件費がかかります。

 

10人いたら70万、20人いたらその倍の額。今は登録33人ほどで人件費だけで200万円ほどかかります。必要経費を含むと250万円ほど必要です。A型事業所として目指すべきスタイルは、障がい者の皆さんが生産して得たお金(売上)から給与を支払いすることなんです。つまり毎月250万円の安定した売上を確立することが必要です。

 

最初は売上と人件費のバランスがとても悪く、安定した売上をあげていくことが難しかったです。今でも、安定した売上を確立することが課題の一つですね。 私たちが取り組んでいる事業内容は、デザイン事業、清掃事業、飲食事業の3本柱です。(開設時は飲食事業はなかった。)

 

その中でも一番大きな柱はデザイン事業です。最初は名刺やチラシの作成から月数万円の売上のみ。しばらくの間は数万円の売上しか出ませんでした。

 

しかし、少しずつスタッフ体制も確立し、グラフィックやWEBデザイナーの雇用、デザイナーの職業指導の力もあり、WEBの案件受注やクオリティの高い商品を制作することができ、月に100万円以上の売上をあげるようになってきました。 でも、平均すると売上は、まだまだ全然ですね。安定して売上を上げるということは難しいですね。

 

ーーーゼロから作っていった中でのエピソードを教えてください?

 

安定していないから、私や岩下だけでどうにかしようって考えるとすごく大変。だから障がい者の人も含めて、一人一人みんなが営業マンといった意識で取り組んでいます。

 

みんなにも営業ツールを渡し、例えば、自分の身内とかでいいから、自分のやっていることを多くの人に語りなさいって。

 

そこから障がい者の人たちも自ら仕事を取ってくるようになってきましたね。その人にも営業手当などをつけてあげて、みんなにも売上目標をもって頑張ってもらったりしています。 みんなの人脈を生かして、少しずつ私たちの存在や商品が広まってきているんです。

 

プレッシャーになるって言われることもありますが、私たち作業療法士が中心となって障がい者1人1人の個性を見極め、「障害があっても稼ぐ」ことのできる仕組みを作っていく必要があります。

 

【目次】

第一回 精神科作業療法の基盤

第二回 障害があっても稼ぐ

 

藤島 健一先生の経歴

資格:作業療法士・認定作業療法士

所属:訪問看護・リハビリステーション「リハス」

就労支援部 サービス管理責任者

(株)クリエイターズ 取締役

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