第一回:Bridgeを立ち上げたきっかけは?【理学療法士 小松洋介先生】

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― 小松先生は、理学療法の学校に通う前に教育大学に通われていたとお聞きしました。まず始めに教育大学からリハビリの道に進もうと思ったキッカケについてお話しいただけますか? 

 

 

小松先生 高校を卒業するときに、愛知教育大学の体育科に進学しました。

 

それは愛知教育大学に入学するための二次試験が、実技の選択で「大学生と柔道で戦って勝てばいい」という条件だったからです。

 

中学から柔道を始め、当時は愛知県選抜にも声がかかっており、柔道には自信がありました。

 

高校は進学校でしたので、周りの友達も大学進学を考えており、大学進学以外に思いつきませんでした。

 

 

ただ元々教育に興味があったというわけではなかったので、大学1年目の夏から学校に行かなくなり、のちに休学しました。

 

 

将来やりたいことがなく、ただただコンビニや整体のアルバイトをして毎日を過ごしていました。

 

 

その整体のバイト先で、「理学療法士になりたい」という人に偶然出会いました。

 

 

それから理学療法士というワードを初めて聞いてから調べていくうちに、興味を持ち、理学療法の道に進むことを決めました。 

 

 

ちょうど大学3年生の頃です。

 

 

新人の頃の勉強法は?

 

― 最初、就職したのは病院ですか?それとも施設ですか?

 

小松先生 特別どの疾患をみたいというビジョンはなかったので、いろいろな患者さんを診ることができる総合病院に入職しました。

 

 

最初の配属は療養病棟で、介助量の多い方をたくさん診ていました。

 

 

当時は、今のように「入院して3カ月経つと退院」といった制度はなかったので、患者さんによっては、1年位の長い期間で関わることができました。

 

その後、回復期病棟に移ったのですが、療養病棟の患者さんとは比べものにならないほど変化がスピードが速く自分の評価が追いついていけない感覚を持ちました。

 

 

立つ練習をした次の日に階段が登れるようになったりすることが、回復期では普通に起こります。

 

そのため「私が理学療法士として介入したことで患者さんが良くなった」という感覚が全くありませんでした。

 

 

一方、療養病棟では、発症から時間が経っている方が多く、当時の先輩からは、

 

 

「(療養病棟の)患者さんは、自然回復はない。だから問題点をしっかり評価し、介入できないと変化はしないよ」

 

 

と常々言われてきました。

 

 

そのため、はじめ療養病棟から回復期病棟に移ったときはかなり戸惑いがありました。

 

 

週の半分くらい、先輩と夜ご飯を共に

 

― 臨床で困った時はどうしていましたか?

 

 

小松先生 その総合病院はボバースコンセプトやPNFを始め、様々な分野で知識や技術が長けている先輩がたくさんいたので、とにかく先輩に質問をしていました。

 

また、自分の担当の患者さんに先輩にも介入してもらったり、また介入の方法が見ていてよく分からない時には、自分の体をモデルに先輩の介入技術を体験させてもらいました。

 

 

質問や実技の被験者のお願いはほぼ毎日していたように思います。今思えば迷惑な後輩でした。

 

 

週の半分くらいは先輩と夜ご飯を共にし、ここでもまた臨床の疑問や自分の患者さんの評価や介入についてアドバイスをもらっていました。

 

 

私が頸髄損傷や重度の片麻痺の方などの介入方法など、新しい症例を担当する際や、私の毎日の臨床場面を見て足りないと思う部分について、事前に宿題を出してくれました。

 

また、先輩の方から毎週1回、朝1時間早く職場に来て一緒に勉強してくれる機会を作ってくださいました。

 

 

当時、教育担当であった先輩には本当にお世話になりました。

 

 

ー 勉強はどのようにしていましたか?研修にたくさん参加していましたか?

 

 

小松先生 今は、各種勉強会団体が企画するセミナーが全国各地で開かれていますが、当時は県士会主催のセミナーくらいしかない状態でしたので、本から知識を得るのが主でした。

 

 

ただ研修も興味があるものであれば、東京~大阪まで、月一回はどこかで研修を受けていたように思います。

 

 

本は、月に5~8万円分くらい買い漁って勉強していました。

 

 

プレゼンがめちゃくちゃ苦手だった。

 

― Bridgeを始めたキッカケは?

 

小松先生 Bridgeを始めたのはまだ臨床1年目の時です。

 

当時の職場は学会発表にも積極的で、1,2年目から学会発表などをしていかなくてはいけない病院だったのですが、当時の私は、人前に立つと足が震えてしまうくらい発表が苦手でした。

 

 

そこで、最初は専門学校の同級生に声をかけ、毎月一回勉強会を開催することにしました。

 

 

目的は、私が人前で話すことに慣れるためのトレーニングと、勉強会を月一回強制的に開催することで、勉強をやらなければいけない環境を作ることでした。

 

 

勉強会を開催していくと、同級生それぞれが違う視点で患者さんに介入していることに気づきました。

 

 

例えば大腿骨頚部骨折のリハビリについて話しをしていても、ある病院では「体幹が大事だ」、また違う病院では「感覚入力が大事だ」というように、職場やセラピストによって考えが違うことがたくさんありました。

 

そこで感じたのは、一つの病院でずっと勤め、そこで教えられた考え方だけで介入をしていることは患者さんにとって、良いことなのか?ということでした。

 

 

患者さんによっては、他の介入理論や技術の方が、もっと良い効果を出せるのではないか?だけどその介入理論や技術をセラピストが知らないまま終わってしまうことは、そのセラピストにとっても、そしてそのセラピストに担当される患者さんにとっても良くないのではないか?と考えるようになりました。

 

 

そこで様々な考え方や技術の良いとこ取りができ、自分の評価・介入の幅を拡げ、そして職場に捉われず、やる気あるセラピスト同士で刺激し、成長できるような意見交換の場を作ろうという想いで、Bridgeが始まりました。

 

【目次】

第一回:Bridgeを立ち上げたきっかけは?

第二回:脳卒中リハビリにおける治療の考え方

最終回:手技療法のコースを出ることが患者さんに求められるセラピストではない

 

Bridge主催のセミナーはこちら>>https://1post.jp/companies/45/seminars

 

 

小松洋介先生 プロフィール

総合病院、回復期リハ病院を経て、現在「キョーワ訪問看護リハビリステーション寄り添い屋」勤務

 

臨床1年目に病院や施設ごとでのリハビリの考え方や特定の治療手技や理論に偏りがあることに疑問を持ち、様々な理論・技術を広く知り、それぞれの良い所を活用できるような場を作りたいとの思いでセミナー団体「Bridge」を立ち上げる。

 

1. 自分で考えて、行動、発信できるセラピスト

2. 患者の立場に立てるセラピスト

3. 患者、家族、職場、他職種から求められるセラピスト

4. 地域、社会から求められるセラピスト

を増やすことをミッションに、今までに1000名以上のセラピストへの講義・実技指導を行い、現在もセミナー団体「Bridge」代表講師として全国を飛び回る

 

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