屋久島(離島)で働く理学療法士|伊藤真也先生
なぜ屋久島へ?
屋久島に初めて行ったのは大学院へ通う前(3年目終わり頃)に旅行で行きました。他にも大学院時代に友達と(I・K氏)と沖縄行ったり山登りをしたり、色々と遊んでいました。
そして大学院卒業と同時にまた屋久島に行きました。もう一回行きたいなと思っていたので、卒業記念として行きました。
2回行って思ったことは、また違う時期にも来たいなと感じるようになり、山登りや海レジャーも楽しめる屋久島の魅力があって、何回も足を運ぶ中で、屋久島で働くのもありかなと思い出して就職先を探していったという経緯ですね。
続くー。
離島で働こう!(屋久島での離島医療に興味のある方はこちらをご覧ください↓)
フィジオ運動連鎖アプローチ 協会 代表|理学療法士 山本尚司先生
理学療法士になるために自分を変える
実家が兵庫県だったこともあり、関西圏の学校だと直ぐに実家に帰れるので、自立するという意味でも「簡単には帰れない場所にしよう」と考え、都立の医療短大を受験し、この道に進みました。
ですから、理学療法士に対する想いというよりは、社会人になる手掛かりとして理学療法士があった、という感じです。そういった意味では、高い理想を持ってこの世界に入ってきた訳ではないので、動機についてはみなさんのモデルにはなりえません。笑
続くー。
常葉大学 健康科学部 理学療法学科 教授|金承革先生
福井勉先生直属の膝班に配属
福井先生は昭和大学に戻られ、3年の実習で昭和大学にお世話になりました。ある日、福井先生が車で送ってくれるときがあって、「どこに就職するの?」とおっしゃられていたので、「空きがあれば昭和大学に行きたいです」とお願いしました。
就職すると仕事をいろいろ任されるわけですが、学生の頃からお世話になっていたこともあり、福井先生が直属の上司になる膝班に配属されました。当時、バイコンの初期型があり、動作解析装置もありましたので、お手伝いしなから学んでいきました。
続くー。