概要
パーキンソン病(注1)において、日常的身体活動量や運動習慣は少なくとも半年程度の短期的な症状改善には重要と考えられていますが、その数年以上にわたる長期的効果は不明でした。今回、京都大学大学院医学研究科月田和人博士課程学生(帝京大学先端統合研究機構特任研究員、関西電力医学研究所睡眠医学研究部特任研究員兼務)、酒巻春日同博士課程学生、高橋良輔同教授らの研究グループは、国際多施設共同観察研究のデータを用いて、パーキンソン病において日常的身体活動量や運動習慣の維持が、長期にわたって疾患の進行を抑制する可能性を示唆し、活動の種類により異なる長期効果を持つ可能性を示しました。本研究の成果は、今後の研究において、運動介入によるパーキンソン病の進行を抑制する方法論の確立の第一歩になると考えられ、また、個々の患者に合わせた運動介入の重要性も示唆します。
本成果は、2022年1月13日(日本時間)に米国の国際学術誌「Neurology」にオンライン掲載されます。また、米国神経学会(注2)によるプレスリリースの対象論文にも選出され、同時刻に米国神経学会からもプレスリリースされます。
図:「中等度以上の運動の量」の違いによる「歩行・姿勢の安定性低下の進行」の比較と、「労働に関連した活動量」の違いによる「処理速度(注3)低下の進行」の比較、「家事に関連した活動量」の違いによる「日常生活動作能力低下の進行」の比較。実線は回帰直線を示し、背景の灰色の範囲は回帰直線の95%信頼区間を示す。
1.背景
パーキンソン病は、脳内のドパミン量を増やすレボドパ(パーキンソン病治療薬)をはじめとしたドパミン作動性療法など、数々の症状を改善させる治療法(対症療法)が存在しますが、疾患の進行を抑制するような治療法はいまだありません。近年、運動の介入によりパーキンソン病の運動症状が改善すること、また、運動習慣の高い群の方がパーキンソン病症状の進行が緩徐であることなどから運動によるパーキンソン病症状の進行抑制効果に注目が集まっています。しかし、2年程度の短期的な観察しか行われていないことや交絡因子の調整が難しいことから、信頼できる結論はまだ得られていません。
2.研究手法・成果
本研究では、国際多施設共同観察研究であるPPMI(Parkinson's Progression Markers Initiative)研究(注4) のデータを用いました。PPMI研究では、多くの臨床項目を長期的かつ包括的に評価しており、また、患者の日常的身体活動量や運動習慣も評価しています。そのため、PPMI研究の237名のパーキンソン病患者のデータに、種々の交絡因子を調整した多変量線形混合モデル(注5)や傾向スコアマッチング(注6)を適用し、日常的身体活動量と運動習慣が、長期的(5〜6年程度)に、どのような臨床症状に交互作用効果(注7)を持つのかを探索しました。その結果、日常的身体活動量と運動習慣を維持すれば、長期的なパーキンソン病の症状の経過の改善と関連する可能性があることを示しました。また、1〜2時間程度の中等度以上の運動習慣を週に1〜2回程度継続することは、主に歩行・姿勢の安定性の進行の改善と有意な関連を認め、1日に2~3時間程度の労働に関連した活動を継続することは、主に処理速度低下の進行の改善と有意な関連を認め、家事に関連した活動を継続して行うことは、主に日常生活動作能力低下の進行の改善との有意な関連を認めました。
3.波及効果、今後の予定
本研究により、日常的身体活動量や運動習慣を維持することが、長期にわたる疾患の進行抑制に繋がる可能性、また、活動の種類により異なる効果がある可能性があることを示しました。この結果は、パーキンソン病における疾患抑制療法の確立に大きく寄与するものと考えられます。また、活動の種類により効果のある症状が異なる可能性があるということを示したことで、個々のパーキンソン病患者の症状に合わせて、適切に日常的身体活動量や運動の種類についても変化させていくことの重要性がますます認識されるものと期待されます。
4.研究プロジェクトについて
本成果は、以下の事業・プログラム・プロジェクト・研究開発課題によって得られました。ムーンショット型研究開発事業(MS)
研究開発プログラム:
「ムーンショット型研究開発事業目標22050 年までに、超早期に疾患の予測・予防をすることができる社会を実現」
(プログラムディレクター:祖父江元愛知医科大学理事長・学長)
研究開発プロジェクト名:
「臓器連関の包括的理解に基づく認知症関連疾患の克服に向けて」
(プロジェクトマネージャー:高橋良輔 国立大学法人京都大学大学院医学研究科臨床神経学教授)
研究開発課題名:
「パーキンソン病前駆期モデル動物を活用した臓器間ネットワークの解明とヒトへのトランスレーションによるリスク予見法の創出」
(課題推進者:山門穂高 国立大学法人京都大学医学部附属病院脳神経内科特定准教授)
研究開発期間:
令和2年12月〜令和7年11月
健康寿命を延伸するためには、疾患が発症した後で治療するという従来の考えから脱却し、疾患の超早期状態、さらには前駆状態を捉えて、疾患への移行を未然に防ぐという、超早期疾患予測・予防ができる社会を実現することが鍵となります。本研究開発プログラムでは、超早期疾患予測・予防を実現するため、観察・操作・計測・解析・データベース化などさまざまな研究開発を推進し、これらを統合して臓器間ネットワークの包括的な解明を進めていきます。
本研究開発プロジェクトでは、新規イメージング・計測・操作技術の開発などにより、脳と全身臓器ネットワークの機能とその破綻を分子・細胞・個体レベルで解明します。それにより、2050年には、認知症関連疾患の超早期の発症予測法と予防法を開発し、先制医療を享受できる社会の実現を目指します。
プロジェクトマネージャー高橋良輔教授のコメント
本研究開発プロジェクトでは認知症を発症前に予測し、予防可能とすることを目指しています。そのためには、発症を予測した後、予防する手法の確立が重要です。本研究は特定の患者群(パーキンソン病)を対象としたものではありますが、ヒトにおけるビックデータを活用して日常的身体活動や運動習慣の長期にわたる交互作用効果を確認し、活動の種類による効果の差異を見いだしました。この成果は本研究開発プロジェクトを通じた認知症の予防へ向けて、生活習慣への介入で、認知症発症の基盤となる神経変性予防が行える可能性を示す重要な研究であると考えています。
<用語解説>
注1)パーキンソン病
パーキンソン病は、中脳の黒質と呼ばれる場所にあるドパミン神経細胞が減少することにより、発症する病気である。動作が緩慢になったり、手足が震えたり、バランスが取りにくくなったりと、運動症状が主症状になることが多いが、疾患の進行に伴い、認知機能低下など、さまざまな症状を伴うことが知られている。現在、日本におけるパーキンソン病の患者数は、15〜20万人とされ、神経変性疾患の中では、アルツハイマー病に次いで有病率が高い。また、加齢に伴い有病率が上がり、65歳以上の有病率は、約100人に1人である。高齢化に伴い、有病率が急激に上昇している。
注2)米国神経学会
米国神経学会は、脳神経内科医および、脳神経外科医、神経科学の専門家に構成される、臨床神経学領域では世界最大の学会であり、36000人以上の会員を擁している。米国神経学会が発刊している国際誌「Neurology」に掲載された論文の中から編集長から選出された論文のみ、米国神経学会からプレスリリースされる(https://www.aan.com/AAN-Resources/Details/press-room/)。
注3)処理速度
処理速度とは、単純な情報を処理する速度のことで、認知機能の重要な一要素である。PPMI研究では、SDMT(Symbol digit modalities test)という、制限時間内に、記号と数字の対応表をもとに、記号に対応する数字を記入していく検査を用いて、処理速度を評価している。
注4)PPMI(Parkinson's Progression Markers Initiative)
研究PPMI研究は、"The Michael J. Fox Foundation for Parkinson's Research"がスポンサーとなり、さまざまな企業、非営利団体、民間のパートナーが支援することで運営されている大規模な国際他施設共同観察研究である。2010年に開始され、11カ国の33の臨床施設でパーキンソン病患者のみならず、パーキンソン病を発症するリスクの高い群、正常対照群など多様な群を研究に組み入れ、現在までに1400人以上の縦断的なデータを収集している。
注5)線形混合モデル
線形モデルに、個人間の差異などの変量効果をモデルに組み込むことで、モデルの推定精度を向上させる手法のこと。縦断データなど、各個人ごとに複数回の測定を行なっている場合などは、線形モデルより線形混合モデルが適していると考えられている。
注6)傾向スコアマッチング
傾向スコアという複数の交絡因子の情報を集約した要約指標を用いて、傾向スコアが近似している個人を抽出することで、二群間の交絡因子の背景を揃える方法のこと。
注7)交互作用
効果2つの要因が重なったときに、それぞれの効果の加法モデルで予想されるよりも,大きい(相乗)または小さい(拮抗)効果があること。
<研究者のコメント>
パーキンソン病の患者の経過をいかに改善するか、これは、患者さんと我々医療関係者共通の願いです。パーキンソン病の経過は非常に多様なので、それぞれの患者さんに合った介入方法の開発が必要であり、そのためには多施設共同観察研究のデータなどを用いた大規模な解析が非常に重要だと考えています。本研究が、パーキンソン病患者さんの経過の改善に繋がれば幸いです。(月田和人)
<論文タイトルと著者>
タイトル:
“Long-term Effect of Regular Physical Activity and Exercise Habits in Patients With Early Parkinson Disease”(早期パーキンソン病における日常的身体活動と運動習慣の長期的影響)
著者:
Kazuto Tsukita, Haruhi Sakamaki-Tsukita, and Ryosuke Takahashi
掲載誌:
Neurology
DOI:
詳細▶︎https://www.jst.go.jp/pr/announce/20220113/index.html
注)紹介している論文の多くは、単に論文による最新の実験や分析等の成果報告に過ぎません。論文で報告された新たな知見が社会へ実装されるには、多くの場合、さらに研究や実証を進める必要があります。最新の研究成果の利用に際しては、専門家の指導を受けるなど十分配慮するようにしてください。