最後の仕事は「人づくり」
——— 次は校長先生の立場としてのお話を伺いたいと思います。先生が学校に勤められた経緯を教えてください。
宮森先生:学校法人の来栖理事長はリハビリドクターなんです。
設計事務所を退職して特別養護老人ホームを開設する仕事をしていたときにお会いしました。初めてお会いしたときに私のことを知っておられたのでびっくりしました。
私はそれから有料老人ホームに職場が変わるんですが、その後もお付き合いはありました。その会社を定年退職したときにお電話を頂いて、今の東京リハビリテーション専門学校に働かせていただくことになりました。
最後の仕事は「人づくり」かなと思いましたね。
現在も学年ごとに1コマずつ授業を担当しています。学生さんたちにはこれまでの失敗談を話しています。
学校にきて、はじめての担当したひとつが3年生の生活環境論でした。「バリアフリーというのをどうやって判ってもらおうか」と考えました。
そこで思いついたのが、東京ディズニーランドに勤めている東宝撮影所時代の友人にディズニーランドの開設の頃から取り組んだバリアフリーやユニバーサルデザインについて、実際にしていることを講義してもらいました。
講義の後は、ディズニーの1デイパスポートを学生に渡して、どういうふうになっているのか、どういうことがされているのかをみんなで見てまわります。この体験は今もしています。
学生の興味のある分野からバリアフリーを説明していけば理解が得やすいですし、私自身勉強になっています。学生たちは授業の後は閉園まで遊んでいるようです。
努力は誰かが見てくれている
——— 先生がよく学生に伝えている事を教えてください。
宮森先生:何事もやってみないと本当のことはわからないということですかね。昔の人と同じことをやっていても、時代が変わればやり方も変わります。
「成功するまで失敗だ」とエジソンもいっていますから、想いを大切にして何でもチャレンジして欲しいと思います。
最初は、周りから理解を得られないかもしれないし、批判されることもあると思います。ただ、それを続けていると、一人ぼっちではないことにも気づくことができます。
私も学生時代に、心理の先生から、「どんなに小さい職場でささいな事をやっていても良い仕事をすればそれは必ず誰かに伝わるよ」といってくれました。
仕事をやり込めば、同じ職種でなくても、同じような事を考えている人はいます。職場の規模やお金の大小を気にするんじゃなくて、「よい仕事を心がけるように」と教わりました。
世の中は捨てたもんじゃないですよ。仕事のクオリティが良ければ誰かが見てくれます。
われわれ世代の理学療法士の方は、職人気質の方が多かったんですが、その人の時代では大事なことで、そういう人が欲しかった時代でした。
今はこれだけ理学療法士になる人が多くなっていますから、私は学生さんたちに仕事は病院に限らず、さまざまな人との関わり方を通してユーザーに合わせた仕事をたくさんしていくのが大切じゃないかとお話ししています。
もちろん、対人の仕事ですからクレームもたくさんきますよね。そのクレームをどう活かして、次につなげるかが大切なんです。
それには医学的なエビデンスも必要でしょうし、どうやって説明していくのかコミュニケーションの技術もあると思います。
何がその人にとってリハビリテーションなのか、理学療法士として何ができるのか、一緒に悩むことが大事なのかもしれません。
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- *目次
- 【第1回】映画会社から理学療法士の道へ
- 【第2回】特養から設計事務所に転職した理由
- 【第3回】東京ディズニーランドを学校教育に
- 【第4回】ドイツで感じた“物に対する考え方”の違い(※明日配信)
宮森 達夫先生経歴
1980年 専修学校 社会医学技術学院 理学療法学科 卒業
1980年 理学療法士免許
1977年3月~1990年3月 社会福祉法人博仁会
特別養護老人ホーム なぎさ和楽苑及びケアセンター勤務
1990年3月~1998年3月 株式会社 福祉開発研究所(一級建築士事務所)
企画部 室長 ~ 研究調査部 部長
1998年4月~2000年11月 独立し、有限会社福祉計画を営む
2000年12月~2004年3月 社会福祉法人 ウエルス東京
特別養護老人ホーム ウエル江戸川 施設長
2004年4月 日立製作所グループ 株式会社日京クリエイト 入社
2004年9月 日立製作所グループ 有料老人ホーム サンクリエ本郷 副支配人
*2015年 (株)日立ビルシステムから(株)リゾートトラストに買収
2011年8月 定年退職
2012年1月 学校法人アゼリー学園 入職
2013年4月 東京リハビリテーション専門学校 学校長 現在に至る
【著書(共著)】
他多数。