保育士から作業療法士になった理由
ーーー保育士を目指された経緯は?
高校卒業して将来に悩んでいる時、「子供に関わる仕事がしたい」と思っていました。小学校の先生になりたいな、と夢を描きましたが、大学受験を失敗し、文系の短大に行くことになりました。「手に職をつけたいな」とおもい、福祉職を調べていました。福祉の世界では保育士の資格を持っていれば強いと考え、保育士の資格を取得しようと思っていました。、とりあえず受験して資格を取っておこうという感じでしたね。
ーーー保育士の資格は専門教育を受けなくても取れるのですか?
取れます。学校に行かなくても取れるんです。短大は国文学を学んでいました。保育士の試験は、今少しずつ変わっていますが、8科目くらいを3年かけて受かれば良いんです。1度受かった科目は3年間権利を保持できます。
国家試験は合格しましたが、実習をしていませんので、 “ペーパー保育士”の状態です。
就職先を決める時、近所の施設を紹介していただきました。そこは三鷹市の公立の施設で、嘱託職員として児童指導員を募集していました。すぐに採用していただき、ずっとそこで働いていました。
制度的には、おれんじ学園と同じで、児童発達支援の施設で、6年間勤めていました。
大学進学時に作業療法士の選択肢も実はあったんです。専門学校も見学に行きましたが、「小児の就職先はあまりない」といわれ作業療法士を諦めてしまいました。
しかし福祉の勉強をしていく中で、作業療法士の名が様々な場面で出てきており、作業療法士の資格は面白いなと思っていました。
三鷹市の施設で働いていた時は理学療法士や作業療法士、言語聴覚士もいました。幼稚園の先生のようなグループでの活動のほかに個別訓練があり、療法士の近くで見学することができました。「作業療法士はこういう仕事なんだ」というのをみて、嘱託職員だったので将来のことを考えた時に作業療法士になろうと決意しました。
ーーー養成校はどちらを出られたのですか?
神戸大学です。社会人入試で入れるところを調べて神戸大学に入学しました。その後、作業療法士の資格を取って東京に帰ってきた、という感じです。
神戸大学の時に、社会人を経験した先輩がいて、年齢も近く、仲良くさせていただいたので、就職活動で先輩の病院を見学させて頂きました。学校の先生からは小児をみたいなら全国どこでも構わず覚悟しなきゃダメだよと言われていたんです。
祖母の介護などもあり、東京に在来線で帰られるところに勤めたかったんです。そんな時に先輩の紹介で東京リハビリテーションサービスを知りました。
ーーー今働いて何年目ですか?
4年目ですね。
ーーーいきなり管理者になったんですか?
立ち上げ時はスタッフの一人でしかなかったのですが前任者が産休に入ってしまって、管理者と児童発達支援管理責任者の後任として引き継ぎました。児童発達支援管理責任者の要件に該当するのがわたししかいなかっただけです。入職するときから面接で児童デイを作る予定を話されていて、三鷹市での経験を伝えたのでそこを評価して頂いたと思います。
保育士の仕事が作業療法士に生かされる場面
ーーー保育士として6年間関わっていましたが、作業療法士としていきなり小児をみることになって大変だったと思います。
施設自体がアットホームで、何年も経験している先生から気軽にアドバイスを受けることが出来ました。具体的な事や自分の迷いを先輩や後輩関係なく、ディスカッションできる、とても良い環境だなと思っています。
ーーー保育士としての経験が作業療法をする中で役に立った事は?
自分の中でそこは課題だなと思うことがあるんですが、保育士として児童に関わっていましたので、これが作業療法士としての接し方や関わり方なのかなと思うことがあります。
療育は長年やってきましたので、自分なりの関わり方を持っていますが、それが作業療法士的かと言われたらわからないなと思うんです。
ーーー作業療法士の資格を取得して良かったと思う事は?
全てのことにおいてそうです。特に解剖などを学んだ事は何に対しても必要なので良かったと思っています。今の自分にはまだ足りませんが、身体領域や精神領域のすべての知識を総動員しなければ、多種多様な保護者とお子さんのニーズに対して応えることが出来ません。
その時に何を調べたら良いのかをわかるのは良かったと思います。「あれは精神科でいうとこれだよね」と思って教科書を開くとか、作業療法士として学んできた事は本当に全て使えるなと思っています。
内田美穂先生の経歴
資格:保育士、作業療法士
出身校:神戸大学