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救命救急、心肺蘇生、災害医療に関わるセラピスト【加藤太郎先生】

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症例発表を途中で終わりにされてしまった実習

ーー 先生が、救命救急・心肺蘇生・災害医療といったあまり理学療法士が関わらない道に進んだ経緯を教えてください。

 

加藤太郎先生(以下:加藤) 私のことを知っている方は、呼吸、救命救急、心肺蘇生、災害医療とか「急性期」のイメージが強いと思いますが、実は臨床1年目から3年は介護老人保健施設に勤めていました。

 

学生時代に実習をさせていただいた病院の併設型施設で、その実習が終わる頃に、「太郎くん、うちに来い!」と当時のトップの先生に声をかけていただきました。実習生で、しかもまだ3年生の最初の評価実習でしたから驚きました。「僕はまだ3年生ですよ。実習も2つ残っていて、国家試験も1年後なんですが…」と(笑)。

 

でも正直、そんな優秀な学生ではありませんでしたよ(笑) 担当させていただいた症例の中間発表のときに、ものすごく怒られて発表を途中で終わりにされてしまいましたし。

 

それからいざ就職になって、病院勤務だと思っていたら老健勤務だと告げられ、モチベーションが下がったこともありました。しかし、老健で地域のことを学んだ経験は今でもとても役に立っています。介護保険の理念は自立支援。災害医療もDMAT等が入る急性期を脱した後は、自立支援が重要ですから。

 

臨床4年目のときにどうしても急性期に行きたいと思い、東京医療センターという急性期病院に転職しました。そのとき、PTB(PTバカ)という勉強会団体の関係者と就職面接が一緒で、仲良くなって、第2回勉強会から参加させてもらいました。

 

でも、参加した際に「底辺にいる」と焦りを自覚しました。老健と急性期病院の違いに戸惑うだけで、何も出来ない4年目の4月でしたから。それからですね、必死に勉強したのは。

 

何せ、病院実習を終えて、国試に受かって入職した1年目のほうが、中途採用の4年目の私より動けていましたから。それだけ戸惑いがありました。また、PTBで発表する後輩にあたる1~3年目の先生たちは、とても熱意があるしよく物事を知っているし、まさに「僕は理学療法士の底辺にいる」感覚がありました。あれは本当に恐怖と言っていい感覚でした。

加藤太郎先生の講習会はこちら>>

【令和2年1月11日】胸郭の機能解剖学的アプローチ 〜ローカルマッスル機能の再考〜

 

担当患者の急変。そのときどう動く?

ーー 東京医療センターというと、ドラマの撮影で使われるような、まさに”急性期”というようなイメージがあります。でも理学療法士は救命救急にはあまり関わりませんよね?

 

加藤 東京医療センターでは、BLS(Basic Life Support(一次救命処置))の講習を院内で行っていて、それを私も入職してすぐに受けさせていただいたきました。そこで褒められて楽しくなり、インストラクターの手伝いを始めました。

 

また、関連でICLS(Immediate Cardiac Life Support)という「突然の心停止に出会ったときにどのように対処すべきか」、その二次救命処置を学ぶコースのインストラクターも取りました。

 

ICLSは、心停止の4つの波形の対応に限局した二次救命処置です。日本救急医学会のICLSインストラクター、アメリカ心臓協会AHAのBLS・ACLSなど、日々学びながら色々と資格を取りました。その頃は楽しい気持ちだけで続けていました。

 

4年目の冬頃、ある担当患者さんの急変が起きました。私とリハビリをしている最中の出来事でした。

 

それは初回の介入。呼吸循環の評価や状態把握も丁寧にして、Dr.の指示をもらい、臥位→BedUp→端座位保持と進めて、いざ起立訓練をしようとしたときでした。心停止。

 

インストラクターだったので心電図も読めて、この後どう対応するかも全部頭で理解できていました。でも、私は体が固まって全く動くことすらできなかったんです。偉そうに受講生に教えていた自分が、実際の急変時は身動きできなかった。

 

惨めな想いや患者さんへの罪悪感など、いろいろな感情がありました。当日のうちに、その方は亡くなりました。上司に「家に帰って休みなさい」と言われて、更衣室でずっと泣き続けました。その後1カ月くらいは、ひとりでベッドサイドに行けなくなりました。

 

そのときからですね。こんな想いを理学療法士に絶対にさせたくないと思いました。蘇生教育も、楽しいだけの気持ちではなく、使命感のような感覚に変わりました。

 

もちろん、心停止で助かる命も助からない命もあります。急変は突然起こる。でも、医療従事者は最善の手を尽くすしかないんです。心停止でも何でも、理学療法士は医療従事者としてやることをやるしかない。白衣を着て働いているんですから。患者さんや家族から見たら、医師も理学療法士も同じ白衣をきている先生です。

 

そこから、蘇生教育にさらにのめり込んで研究もして、論文発表や学会発表もたくさんしました。今もインストラクターや心肺蘇生に関する研究を続けています。仕事としてではなく、一生のLife Workですね。

DMATやJPTECへの参加

 

加藤 東京医療センターから災害医療センターに異動したあとですが、資格関連の話だと、Japan Prehospital Trauma Evaluation and Care(JPTEC:ジェイピーテック)と言う、外傷時の対応のコースも特別に受けさせていただきました。

 

それは交通事故などの病院外、現場で救急隊がやる対応のトレーニングコースで、通常は規定で理学療法士は受けられないんです。当時の救命救急の繋がりから特別に受けさせてもらえました。

 

災害派遣医療チーム DMAT(Disaster Medical Assistance Team)も、病院単位で5人1チームでしか受けることができないのですが、私が勤めていた災害医療センターは国立病院機構で、まさに災害時の国の災害医療拠点となる病院でした。

 

私は理学療法士として救命救急やICU専門で、またBLSやICLSのインストラクターやACLSやJPTECなどもやっている変わった理学療法士としてそこそこ目立っていました(笑)救命救急科のDr.とも仲が良かったのでDMATの隊員養成講習会も受けることができました。

 

当時、DMAT隊員資格を取った理学療法士は全国で2番目くらいでした。

 

その後、DMAT講習会のタスク(インストラクター見習い)としても活動させていただいていた矢先、東日本大震災が起こったんです。

 

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加藤太郎先生の講習会はこちら>>

【令和2年1月11日】胸郭の機能解剖学的アプローチ 〜ローカルマッスル機能の再考〜

 

救命救急、心肺蘇生、災害医療に関わるセラピスト【加藤太郎先生】

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