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理学療法士(PT)白須達也先生

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イメージと違った理学療法士の仕事

よく「将来が不安だ」といった内容の相談を受けることがあります。確かに現在の状況ではその様なことを感じやすいのかもしれませんが、その中で私が大事だと思うことは、何かに夢中になることだと思います。何かに夢中になっているときはその事しか考えていませんので、不安になることはないように感じます。まずは夢中になれるものを何でも良いので探して下さい。

また相談の中で、いろいろな考えを提案してほしいということも多くありますが、自分でしっかり考えてから相談に来る人が少ないように感じます。厳しいことを言えば、言動と行動が一致していないことがよくみられます。

「なぜ理学療法士になったのか?」ということを忘れないでほしいと思います。

このなぜ理学療法士を目指したのかまた、将来どのようになりたいのかということは、私が相談を受けた時に必ず聞く質問です。ちなみに私は、もともと理学療法士を目指していたわけではありませんでした。ただ自分自身、ずっと野球をやってきていて、ケガも多かったですし、より上を目指すような選手ではなかったのでスポーツトレーナーになりたいという漠然とした思いがありました。

スポーツトレーナーについて調べていくと、何か資格が必要だということになり「理学療法士」という資格に行き着きました。正直、学校に入ってからも理学療法士がどういった仕事なのか知らない状況でしたので、実際に実習に行って、自分が描いていたトレーナー像とずいぶんギャップがあって「あれ?」と思っていました。

在学中もずっと悩んでいましたし、やめようと思ったことも何度もありました。転機となったのはアルバイトでした。スポーツジムのトレーナーとして働いていた時、痛いと言っているお客さんに対してしっかりとした指導ができませんでした。

そこに私としては理学療法士としての可能性を見出すことができるようになりました。

現在もこの仕事を続けているのは患者さんや選手に育てて頂いたという気持ちがあるからだと思います。

また新人の頃、ある患者さんに「あなたは人の不幸で食べているのよ」と言われました。この言葉は私の中でとても衝撃が大きく、この仕事を続けていく限り、一生忘れない言葉だと思います。元々、予防医学に興味がありましたが、この事がきっかけで将来は、予防の分野に進みたいという気持ちが強くなりました。

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これまでの歩み

私の最初の就職先は、トレーナーの派遣会社でした。小さなフィットネスクラブのようなところから介護予防教室などで指導するようになって、スポーツ現場にも少しずつ研修に行かせてもらえるようになりました。そんな中、ふと我に返って考えてみた時に「病院も知らないと視野が一方向からしか見えなくなる」と感じ、整形のクリニックに勤務するようになりました。

そこがたまたま、サッカーのチームドクターを担当されている先生のクリニックで、アマチュア(Jリーグのユース選手など)のサッカー選手などを少し担当するようになりました。そうしますと、徐々にフィールド内での業務にも興味を持ち始めて、夜間のアスレティックトレーナーの養成校に通うようになりました。

卒業と同時期に、学校の先生から「ユーラシア大陸を横断するマラソン企画に、トレーナーとして帯同しないか?」というお話をいただき、参加させて頂きました。その後日本に帰ってきて、お世話になっている先輩の働いている施設などでちょこちょこと働きながら、J3の秋田のチームにトレーナーとして入りました。

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白須達也先生経歴

【職種・資格】

理学療法士免許取得

【経歴】

都内のスポーツクリニック、トレーナー派遣会社勤務

現在は、自由が丘整形外科に勤務

【トレーナー活動】

高校アメリカンフットボールチーム

チャレンジユーラシアマラソン

J3ブラウブリッツ秋田

駒沢大学体育会サッカー部

次回:ユーラシア大陸横断マラソンの模様をお伝えします。

理学療法士(PT)白須達也先生

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