発表者:
上田 泰己(東京大学大学院医学系研究科機能生物学専攻システムズ薬理学分野 教授/理化学研究所生命機能科学研究センター合成生物学研究チームチームリーダー 兼任)
大出 晃士(東京大学大学院医学系研究科機能生物学専攻システムズ薬理学分野 講師)
史 蕭逸(東京大学大学院医学系研究科機能生物学専攻システムズ薬理学分野 助教)
香取 真知子(東京大学大学院情報理工学系研究科システム情報学専攻システムズ薬理学研究室 修士課程 2 年(研究当時))
三井 健太郎(東京大学工学部計数工学科システム情報工学コース 学部 4 年(研究当時))
高梨 伸(ソニーモバイルコミュニケーションズ株式会社 技術戦略室)
大口 諒(ソニーモバイルコミュニケーションズ株式会社 技術戦略室)
青木 大輔(ソニーモバイルコミュニケーションズ株式会社商品設計部門・商品設計部・設計 3 課)
発表のポイント:
- 腕時計型のウェアラブルデバイス等から得られる腕の動きから、装着者が眠っているのか起きているのかを判定するデータ解析アルゴリズム「ACCEL」を開発しました。
- 腕の動きの躍度(加加速度)を元に、機械学習を用いた解析を行うことで、高い感度(睡眠状態を睡眠と判定する割合)と特異度(覚醒状態を覚醒と判定する割合)を両立した、正確な睡眠覚醒判定が可能となりました。
- 特に、既存の手法よりも高い睡眠判定の特異度を達成したことで、一時的な覚醒をより正確に判定できるようになりました。就寝中の短い覚醒が増えることは、夜間のまとまった睡眠がとりにくくなっていることを示唆し、こういった睡眠の“質”の低下が関わる健康状態の変化を把握するのに役立つと期待されます。
発表概要:
東京大学大学院医学系研究科の上田泰己教授らの研究グループは、腕時計型のウェアラブルデバイス等を用いて計測することができる腕の動きの情報から、その人が眠っているのか、起きているのかを正確に判定する手法を 発表しました。ACCEL(ACceleration-basedClassification and Estimation of Long-term sleep–wake cycles の略称)と命名されたこの手法は、加速度計を用いた腕の動きの測定と、睡眠覚醒状態を知るための PSG 測定(注1)を同時に行い、得られたデータを機械学習で解析することで開発されました。ACCEL による睡眠覚醒判定には、ウェアラブルデバイスで測定した腕の動きの加速度の変化を表す躍度(注2)(加速度の微分値であり、加加速度とも呼ばれます)のみを用います。ACCEL を用いた睡眠判定精度は、90%以上の高い感度と 80%以上の高い特異度(注3)を達成しています。既存の手法の多くは、睡眠判定の特異度が高くないという問題点がありましたが、ACCEL は特にこの点を解決する新規手法として期待されます。
発表内容:
近年、ウェアラブルデバイスを用いた人の行動データの取得がさかんに行われ、様々な健康管理に活用されています。睡眠覚醒リズムの乱れは、様々な疾患の原因になりうること、また、心身の不調を早期に発見する指標になりうることが多くの研究からわかってきており、毎日の睡眠覚醒リズムを記録する重要性が指摘されています。
睡眠覚醒の正確な測定のためには、PSG 測定と呼ばれる脳波等の測定が行われます。しかしPSG 測定のためには、多数の電極等を装着する必要があり、日常生活の睡眠状態の把握には適していません(図1A)。一方、腕時計型ウェアラブルデバイスは、一日を通して装着し続けることが比較的容易です。そこで、ほとんどの腕時計型ウェアラブルデバイスに搭載されている加速度計から得られる情報を用いて、腕の動きを元にして睡眠状態と覚醒状態を判定する試みが数多く行われてきました。しかしながら、これまでの多くの手法は、睡眠状態の判定について、特異度が高くない、という問題がありました。
そこで、研究チームは、高い感度と特異度を両立した睡眠判定アルゴリズムを開発しました。まず、加速度計が取得する生データを記録し続けるための、シンプルな腕時計型ウェアラブルデバイスを作製しました(図1B)。次に被験者に、作製したウェアラブルデバイスと PSG 測定機器を同時に装着してもらい、睡眠測定室で 1 終夜過ごしてもらいました。これにより、測定中の各時間における腕の加速度を計測し、同時に PSG 測定の結果を用いて、それぞれの時間に被験者が睡眠状態であったのか覚醒状態であったのかを測定しました(図2)。
次に、研究チームは、機械学習を用いて、腕の加速度データのみから、PSG 測定に基づく判定にできるだけ一致した睡眠と覚醒の判定を得る手法を探りました。様々なデータ処理や、機械学習の手法を検討した結果、ウェアラブルデバイスから得られる三軸加速度の微分値、つまり躍度を用い、さらに XGBoost(注4)と呼ばれる機械学習の手法を用いることで、正確な睡眠覚醒の判定ができることがわかりました(図3)。研究チームは、開発した睡眠判定アルゴリズムを ACCEL と名付けました。ACCEL は、睡眠判定の感度に関して、90%以上の高い値を示しており、さらにこれまでの手法で問題であった睡眠判定の特異度に関して、80%以上の高い値を示しました。このことから、ACCEL は、睡眠状態にある場合に高い確率で睡眠と判定されるだけでなく、覚醒状態を高い確率で覚醒と判定することもできる、と言えます。
さらに、躍度データを注意深く観察すると、睡眠状態に代表されるような腕の動きが少ない時には、1 Hz 程度の周期的な躍度の変動が検出されることを発見しました。PSG 測定で取得している生体信号との比較を行ったところ、この周期的な躍度の変動は、脈波(注5)とよく一致することが解りました(図4)。人をはじめとする哺乳類の睡眠は、睡眠時間の多くを占めるノンレム睡眠と、覚醒に近い特徴をもつレム睡眠に大別されます。脈波は、ノンレム睡眠時よりもレム睡眠時に大きな変動を示すことが知られていますが、今回観察された周期的な躍度についても、ノンレム睡眠時よりもレム睡眠時に、その周期性が大きく変化することが解りました。現在のところ、ACCEL はノンレム睡眠とレム睡眠を正確に見分けるための手法としては開発されていませんが、躍度を用いた解析は二つの睡眠状態を区別するうえでも有用である可能性があります。
本研究で開発された ACCEL により、ウェアラブルデバイスを用いた睡眠習慣の把握をより正確に行うことができると期待されます。特に、覚醒状態を正確に覚醒と判定できることは、睡眠中に一時的に覚醒する中途覚醒を正確に検知するために重要です。中途覚醒の増加、すなわち眠りが浅くなり、睡眠中に何度も目が醒めてしまう状態は、睡眠障害の一つであり、たとえ睡眠時間に大きな変化がなかったとしても、様々な心身の不調に結びつく可能性があります。したがって、中途覚醒をより正確に捉えることができる ACCEL は、必ずしも総睡眠時間の変化につながらない、睡眠の「質の低下」を把握し、より有効な睡眠の健康管理に貢献すると期待されます。
なお、本研究はソニーモバイルコミュニケーションズ株式会社と東京大学大学院医学系研究科システムズ薬理学分野との共同研究、および科学技術振興機構(JST) ERATO「上田生体時間プロジェクト」などの一環として行われました。
発表雑誌:
雑誌名:iScience
論文タイトル:A jerk-based algorithm ACCEL for the accurate classification of sleep–wake states from arm acceleration
著者:Koji L. Ode, Shoi Shi, Machiko Katori, Kentaro Mitsui, Shin Takanashi, RyoOguchi, Daisuke Aoki, and Hiroki R. Ueda
DOI 番号:https://doi.org/10.1016/j.isci.2021.103727
用語解説:
(注1)PSG 測定:
ポリソムノグラフィー(polysomnography)を略して PSG と呼ばれます。PSG 測定では、脳波を測定するための複数の電極を頭に装着するほか、筋肉の緊張具合や、目の動きを測定するための電極、呼吸状態をモニターするためのセンサー、心電図など、複数の電極・センサーを装着します。PSG は、現在、私たち人の睡眠状態を知るための最も正確な測定法として用いられています。
(注2)躍度:
加速度を微分したもので、ある瞬間の加速度の変化率を表します。加加速度とも呼ばれます。なお、速度を微分したものが、加速度です。
(注3)特異度(および感度):
正誤判定をする場合、正解を正解と判定する割合を、その判定の感度(sensitivity)、誤りを誤りと判定する割合を特異度(specificity)と呼びます。本発表では、睡眠を判定する手法として表記を統一しています。つまり、睡眠状態を睡眠と判定する割合を感度、覚醒状態を覚醒と判定する割合を特異度と呼んでいます。
(注4)XGBoost:
データ集団をある関数にあてはめたり、複数の状態に分類したりする課題を行うための機械学習法の一つです。
(注5)脈波:
心臓から血液が押し出されることによって、血管の圧力もしくは容積が変化します。この血管内圧力・容積の経時的な変化を脈波と呼びます。
添付資料:
図 1 測定に用いた機器
A) PSG 測定に用いる、複数の電極・センサーを装着した様子の例。
B) 腕の動きを測定するための加速度が搭載されたウェアラブルデバイス。
図 2 測定データの一例
腕の動きの3軸加速度、躍度、および同時に行われた PSG 測定から判断された睡眠状態を示す。なお、加速度や躍度は、30 秒間ごとの測定合計値を表示している。本手法は、躍度から、覚醒か睡眠(ノンレム睡眠およびレム睡眠)を判定するものである。
図 3 ACCEL を用いて行われた睡眠覚醒判定結果の例。
数日間の腕の動きの情報から、ACCEL を用いて睡眠と覚醒の判定を行った。測定は数日間行われた。上段は、腕の動きの躍度の時間変化を示す。下段は、それぞれの時間で、ウェアラブルデバイスの装着者が睡眠(青帯時間帯)、覚醒(白帯時間帯)のどちらの状態と判定されたのかを示す。また、ウェアラブルデバイスを装着していない時間を推定する既存の解析手法も取り入れることで、非装着時間(灰色時間帯)の判定も行っている。なお、この図はダブルプロットと呼ばれる表示法を用いており、1 段目が 1 日目~2 日目、2 段目が 2 日目~3 日目、というように、一段に 2 日間分のデータを示している。
図4 脈波とよく一致する周期的な躍度の変動
躍度の時間変化について、周波数帯ごとの強度を表示したグラフ(パワースペクトル)。矢印で示した 1 Hz 付近のシグナルはレム睡眠時のほうが、周波数の時間変動が大きいことがわかった。
詳細▶︎https://www.jst.go.jp/pr/announce/20220120-2/index.html
注)プレスリリースで紹介している論文の多くは、単に論文による最新の実験や分析等の成果報告に過ぎません。論文で報告された新たな知見が社会へ実装されるには、多くの場合、さらに研究や実証を進める必要があります。最新の研究成果の利用に際しては、専門家の指導を受けるなど十分配慮するようにしてください。