発表者:
松平 浩 (東京大学医学部附属病院 22 世紀医療センター 運動器疼痛メディカルリサーチ&マネジメント講座/東京大学大学院医学系研究科 特任教授)
発表のポイント:
・慢性腰痛(注 1)において、通常診療のみならず患者教育と運動療法を併用した患者群で、慢性腰痛の自覚的改善度、QOL などが有意に改善されることがわかりました。
・人工知能(AI)により簡易にフィードバックできるヴァーチャルパーソナルアシスタントシステムを用いた患者教育と運動療法が、臨床現場でも有用となる可能性を示しました。
・リモート環境で患者教育と運動療法を継続的に実施することで慢性腰痛が改善され、それに伴い通院回数が減少したことから、COVID-19 の影響下で需要が拡大したオンライン診療への導入やセルフケアによる医療費削減への寄与なども期待されます。
発表概要:
慢性腰痛(CLBP:chronic low back pain)は、世界的にみて最も生活に支障をきたす年数が長く、働く人のパフォーマンス低下にも影響する症状であり、その対策は社会課題の一つとなっています。慢性腰痛に対する最も有用な対策は患者教育と運動療法です。しかし、その方法はいまだ確立しておらず、かつ運動は継続しないことが難点とされています。
東京大学医学部附属病院 22 世紀医療センター 運動器疼痛メディカルリサーチ&マネジメント講座の松平 浩特任教授(責任研究者)は、塩野義製薬株式会社(実施責任組織)と、働く世代の患者さんに対して、SNS を活用した会話ログと運動を人工知能(AI)により紐づけて継続的にリモートで提供し、その有用性を検討しました(試験 ID:UMIN000041037)。その結果、痛みを緩和するための薬物治療を含む通常診療を受診した患者群と比較して、通常診療に加え患者教育と運動療法をセットにしたプログラムをモバイルアプリで実施した患者群の方において、慢性腰痛が改善していることがわかりました。このことから、スマートフォンとともに普及したモバイルアプリという手段を臨床で活用することが、患者さんのライフスタイルに合わせて短時間かつ簡便に運動を習慣化することにつながる有効な手段のひとつであることが明らかになりました。
慢性腰痛に対する運動療法はエビデンスのある治療法として広く普及していますが、薬の処方とは異なりオンライン診療では運動療法を継続、遵守することが困難なことなど導入に障壁があります。今回の研究結果は、慢性腰痛に関連する分野でのオンライン診療への発展も期待されます。
本研究成果は、日本時間 5 月 16 日に医学雑誌「JMIR mHealth and uHealth」オンライン版に掲載されました。
発表内容:
<研究の背景>
日本人の腰痛の生涯有病率は 8 割を超え、世界の主要な健康問題でもあります。慢性腰痛に伴う生活や仕事への支障は、働き盛りの年齢層で最も高くなり、アブセンティーズム(欠勤に起因する生産性損失)のみならずプレゼンティーズム(症状を抱えながら出勤し、業務遂行能力や労働生産性が低下している状態)の解消が社会課題となっています。慢性腰痛に対する最も有用で合理的な対策は患者教育と運動療法ですが、その方法はいまだ確立していません。さらに、運動療法が継続しない事も難点とされています。また、社会が求めているオンライン診療化は未発展のままです。
<研究内容>
本研究グループは、慢性腰痛の有用な対策とされる患者教育と運動療法の提供方法および、運動療法を継続させる方法の確立を目指し、慢性腰痛で薬物治療を含む通常診療を受けている働く世代の患者さんを対象に、患者教育と運動療法をセットにしたプログラム(ヴァーチャルパーソナルアシスタントシステム)の有用性を非盲検のランダム化並行群間試験(注 2)により評価しましました。
本試験は、地域の医療機関 16 施設(整形外科 8 施設、ペインクリニック 3 施設、プライマリケア 5 施設)に通院する患者さんを、薬物治療を含む通常診療のみを継続した患者群(51人:平均年齢 46.9 歳,うち男性患者の割合 54.9%)と、薬物治療を含む通常診療に加えモバイルアプリによる患者教育と運動療法を併用した患者群(48 人:平均年齢 47.9 歳、うち男性患者の割合 56.3%)の 2 グループに分けて実施しました。
モバイルアプリによる患者教育と運動療法の提供には、モバイルガイドサービス「se・ca・ide(注 3)」を用いました。本モバイルガイドサービスは、人工知能(AI)のキャラクターがチャット形式でガイドすることによって患者さんに継続利用を促します。具体的には、運動の指示と慢性腰痛の症状を改善するために日常生活でできるヒントを含むメッセージを SNSで送信するようプログラムしたもので、毎日 1~3 分間程度の簡単で効果のある 6 種類の運動療法メニュー(図 1)を、オリジナルの患者教育ツールとともに 12 週に渡り提供し、運動の継続性や慢性腰痛の改善に関する評価を行いました。なお、本研究は COVID-19 の影響下で実施されました(2020 年 6 月~2021 年 3 月)。
その結果、慢性腰痛の痛みを緩和させるための薬物治療を含む通常診療のみを継続した患者群と比較して、モバイルアプリを併用して活用した患者群では、12 週後の腰痛の自覚的改善度(3.2 vs 3.8; difference between groups −0.5, 95% CI −1.1 to 0.0; p=.04)に加え、慢性腰痛患者が伴うことの多い運動恐怖(−2.3 vs 0.5; difference between groups −2.8, 95% CI −5.5to −0.1; p=.04)、さらには健康関連 QOL(EuroQoL 5 Dimensions 5 Level: 0.068 vs 0.006;difference between groups 0.061, 95% CI 0.008 to 0.114; p=.03)が統計学的に有意に改善されました。特に、事後解析になるものの 12 週の期間中、75%以上の日数で運動実施を達成した群は、達成率が 75%未満の群または通常診療のみを継続した群よも、労働生産性(QQ法)、痛みの程度を示す尺度(NRS スコア)、慢性腰痛によって日常生活が障害される程度を示す尺度(RDQ-24)の改善が大きく示されました(表 1)。
また、運動療法では、その継続(順守)率の低さがどの分野でも問題視されていますが、本研究においては 12 週の期間中、75%以上の日数で運動実施を達成した集団が 50%以上とその継続(順守)率が高く(図 2)、本集団を対象とした事後解析では、労働生産性の改善に加え、腰痛の程度と腰痛特異的 QOL 両者の臨床的に意味のある改善(MCID:minimalclinically important difference)が認められました。併せて、慢性腰痛の改善に伴い通院回数が減少したことも認められました。
<社会的意義・今後の予定>
本研究結果から、患者教育と運動療法をセットにしたプログラムをモバイルアプリで提供することによって、継続が困難とされていた運動療法をリモート環境で習慣化させることができ、それに伴って、慢性腰痛の改善や生活の質の向上が見られることが明らかとなりました。慢性腰痛に対する簡易かつ有効な患者教育と運動療法をセットにしたプログラムをリモートで提供することの有効性が確認できたことによって、COVID-19 の影響下においてニーズが拡大したオンライン診療との連携が期待でき、また、セルフケアを充実させることによる医療費の削減にも寄与する可能性があります。今後は、患者教育と運動療法に加え、慢性腰痛に有用な治療である認知行動療法を条件に取り入れた場合の効果を検証するなど、働く世代のパフォーマンス低下を引き起こす社会的問題とされる慢性腰痛の改善に向けた臨床への応用にも取り組む予定です。
発表雑誌:
雑誌名:JMIR mHealth and uHealth(オンライン版:5 月 16 日)
論文タイトル:Evaluation of the Effect of Patient Education and Strengthening Exercise Therapy Using a Mobile Messaging App on Work Productivity in JapanesePatients With Chronic Low Back Pain: Open-Label, Randomized, ParallelGroup Trial
著者: Naohiro Itoh*, Hirokazu Mishima, Yuki Yoshida, Manami Yoshida, Hiroyuki Oka,Ko Matsudaira
DOI 番号: 10.2196/35867
アブストラクト URL:https://mhealth.jmir.org/2022/5/e35867
用語解説:
(注 1)慢性腰痛(CLBP:chronic low back pain)
腰(肋骨の下から殿部の間)の痛みが 3 か月以上続くものを慢性腰痛といいます。痛みの原因はさまざまで、椎間板ヘルニアや脊柱管狭窄症など診断がつくものもあれば、筋肉の炎症や神経障害、精神的ストレスなどが混在して引き起こされる複雑なものもあります。
(注 2)非盲検のランダム化並行群間試験
非盲検とは被検者がどの治療群に属するかを被検者自身や実施する医師らが把握して行う試験法です。ランダム化並行群間試験は、被検者を目的治療群(目的とする治療薬などを投与する群)と対象群(対象薬や偽薬などを投与する群)に無作為に振り分け、目的治療群に割り振られた被検者と対象群に割り振られた別の被検者の試験結果から導かれる各群間の差をみる試験法です。
(注 3)モバイルガイドサービス「se・ca・ide」
国内特許取得済みの対話型チャットボットによるセルフケアの習慣化を促すサービス。LINEを活用するため、煩わしいアプリのダウンロードや WEB サイトへのアクセスは不要で、Q Rコードなどから「友だち追加」するだけで開始できる(https://www.secaide.me)。
添付資料:
図 1 モバイルアプリによる運動療法の一例(上)と運動メニュー(下)
上図は、本研究で使用した AI でプログラムされた対話型チャットボットによる運動の流れを順に示したモバイルアプリの画面:①教育動画の視聴 ②復習 ③本日のメニュー図解解説④動画解説 ⑤再解説 を順番に提供することで利用の継続を促す。下図は、本研究で提供した 6 種の運動メニュー。腰痛予防・改善のエビデンスがある「これだけ体操」をはじめ、本研究グループが臨床で有用性が高いと判断し選定した 6 種からなる運動療法。
図 2 運動療法の実施状況
運動状況は所定の期間内での se・ca・ide へのアクセスログで評価した。
※実施した割合(%)=(アクセス日数/観察期間)×100 で示す
※要約統計量、カテゴリ集計:0-25%(青色)25-50%(橙色)50-75%(灰色)75%以上(黄色)
表1 12 週時における運動療法コンプライアンスごとのベースラインからの労働生産性、慢性腰痛および、QOL の変化量(事後解析)
労働生産性、慢性腰痛、QOL の変化量は、QQ 法、NRS、RDQ から導き出した。
※QQ 法(Quantity and Quality method) 健康問題の症状がある時とない時で仕事の量と質を比較することで損失の程度を測定する尺度
※NRS(Numerical Rating Scale) 患者さんの感じる痛みを 11 段階の数値(0~10)で評価する方法
※RDQ(Roland-Morris Disability Questionnaire)日常の生活行動(立つ、歩く、など)が腰痛によって障害されているかどうかを 24 項目回答してもらい腰痛による日常生活の障害を評価する尺度
詳細▶︎https://www.h.u-tokyo.ac.jp/press/20220517.html
注)プレスリリースで紹介している論文の多くは、単に論文による最新の実験や分析等の成果報告に過ぎません。論文で報告された新たな知見が社会へ実装されるには、多くの場合、さらに研究や実証を進める必要があります。最新の研究成果の利用に際しては、専門家の指導を受けるなど十分配慮するようにしてください。