筑波大学の医学生を対象とした地域医療実習において、健康の社会的決定要因(健康に影響を及ぼす社会的要因)を学ぶための教育プログラムを導入しました。この取り組みを継続的に改善・充実させた結果、健康と社会との関係をより深く理解できるようになることが分かりました。
人の健康はさまざまな社会的、経済的要因と複雑に絡み合っています。健康に影響を及ぼす社会的要因は健康の社会的決定要因(SDH)と呼ばれ、最近では医学生への教育でも注目されています。SDHは各要素が複雑に影響しあうため、より深く理解するにはリフレクション(省察)が重要となります。しかし、どのような教育により医学生のSDHへの理解を深められるかを継続的に評価した報告はほとんどないのが現状です。
筑波大学医学類では、2018年から医学生を対象に、地域医療実習においてSDH教育プログラムを導入しました。このプログラムは医学5・6年次学生の必修で、4週間にわたり、大学病院や郊外の病院・診療所での実習を行います。初日にSDHに関するレクチャーを受け、4週間の実習中にSDHに関連した事例を見つけて最終日に発表するよう指示され、実習終了後にレポートを提出します。プログラムは随時、内容の充実を図り、指導する教員に対してもSDH教育への理解を深める取り組みを行っています。
本研究では、2018年から3年間の学生レポートを分析し、SDHへの理解のレベルを評価しました。その結果、プログラム導入当初よりもSDHをより深く理解している学生の割合が増加し、SDHのさまざまな要素に注目できるようになったことが分かりました。
医学生へのSDH教育プログラムは、今後より注目されることが期待されており、さらなる発展のためには、現在よりもさらに医学と社会科学とを統合させる教育が必要だと考えられます。
研究代表者
筑波大学医学医療系
小曽根早知子 講師
春田淳志客員准教授/慶應義塾大学医学部医学教育統轄センター教授
研究の背景
人の健康はさまざまな社会的、経済的要因と複雑に絡み合っています。健康に影響を及ぼす社会的要因は健康の社会的決定要因(SDH)注1)と呼ばれ、世界保健機関は「The Solid Facts」注2)として、SDHに関与する10個の要素(幼少期、社会的排除・支援、食品、交通など)を発表しています。SDHが人々の健康に与える影響は非常に大きいため、医療従事者もSDHについて学び、健康への悪影響を低減する活動をすることが求められており、近年、医学生に向けた教育においてもSDHは注目されるようになっています。しかし、社会的、経済的要因はそれぞれが複雑に絡み合って健康に影響することから、SDHを医学生に教育するための方法論は定まっておらず、また、その教育効果の評価方法も模索段階にあるのが現状です。
研究内容と成果
本研究では、2018年より筑波大学医学類の5・6年生を対象に、地域医療実習においてSDH教育プログラムを導入し、3年間にわたり継続的にプログラムを改善・充実させるとともに、学生の学習度を分析しました。その結果、学生のSDHに対する理解が深まってきたことが明らかになりました。
このプログラムは4週間の必修プログラムで、大学病院総合診療科と、茨城県郊外の一般病院、診療所などで実習を行います。実習初日にSDHやThe Solid Factsに関するレクチャーを受け、実習期間中の経験からSDHに関連した事例を選択して考察し、最終日にグループ発表会を行います。その上で、実習での経験を踏まえて、医学生・医療者がSDHを学ぶ意義や、医療者が患者や社会に対して担う役割についてレポートを作成します。プログラムは、より学生が実習での経験と関連付けてSDHを学べるように、随時改善を加えました。また、教員に対しては、SDHプログラムの目標設定について議論する場を定期的に設け、グループ発表会でのファシリテーターとしての役割も明確化させました。
学生から提出されたレポートを、SDHに関する記述のリフレクション(省察)レベルについてアカデミック・ライティングスタイルの分類注3)を参考に分類するとともに、The Solid Factsの10の要素の出現頻度を分析したところ、3年間で、より多くの学生がSDHについて深く記載できるようになり(図1)、注目する要素も増える傾向がみられました(図2)。この背景には、SDHプログラムの改善・充実やプログラムを提供する教員側のスキルが向上したことがあると考えられます。
今後の展開
医学生へのSDH教育方法や教育プログラムの評価に関する知見が未だ限られる中で、本研究を通して、地域医療実習に組み込んだSDH教育プログラムの改善・充実の過程に加えて、プログラム評価の方法の一例を示すことができたことは、今後のSDH教育プログラムの発展に寄与すると考えられます。学生がSDHについてより省察的に理解できるようになるためには、さらに医学と社会科学とを統合する教育が必要だと考えられます。
参考図
図1学生レポートのSDHに関する省察レベル
2018年から3年間の学生レポートでの健康の社会的決定要因(SDH)に関する記述の省察レベルを分析した。SDHについて記述的、分析的に記述できている者の割合は年を追うごとに増加し、評価不能(SDHについて記述できていない)の者は減少した。SDHについて省察的(分析的に記述するだけでなく、自身の考えを省察的に記述できる)な記載をした学生の割合は少なかった。
図2学生レポートのSDH要素の出現頻度
2018年から3年間の学生レポートに出現したSDH要素(The Solid Facts)の割合を分析した。年を追うごとにレポートに出現する要素の総数は増加した。社会的支援、ストレス、社会的排除(貧困など)、食事、交通などは多く出現した一方、社会格差、失業、幼少期などは出現頻度が低かった。
用語解説
注1)健康の社会的決定要因(Social determinants of health; SDH)
人の健康は生物学的な要因のみで決まるわけではなく、社会的、経済的要因によっても大きく影響される。人が生まれ育つ環境、教育、労働、経済状況、差別、医療や社会制度などの違いは健康格差の原因となり、このような、生物学的要因以外のさまざまな要因を健康の社会的決定要因という。
注2)The Solid Facts
世界保健機関(WorldHealth Organization;WHO)が健康の社会的決定要因に関連する要因をまとめたのものが「Social Determinants of Health. The Solid Facts」で、社会格差、ストレス、幼少期、社会的排除、労働、失業、社会的支援、薬物依存、食事、交通の10項目が挙げられている。現在は第2版が公開されており、日本語版(健康の社会的決定要因確かな事実の探求第二版)もある。
注3)アカデミック・ライティングスタイルの分類
University ofReadingではアカデミック・ライティングを記述的、分析的、省察的の3つのスタイルに分類している。記述的な文章は「いつ」「誰が」「何を」に、分析的な文章は「なぜ」「どうやって」に答え、省察的な文章はさらに「次は何か」といった将来の改善にも焦点を当てる。
研究資金
本研究は、科研費による研究プロジェクト(19K10527)の一環として実施されました。
掲載論文
【題名】Three-year evaluation of a program teaching social determinants of health in community-based medical education: a general inductive approach forqualitative data analysis
(地域基盤型医学教育における健康の社会的決定要因教育プログラムの3年間の評価)
【著者名】S.Ozone,J. Haruta,A. Takayashiki, T.Maeno, and T.Maeno
【掲載誌】BMCMedical Education
【掲載日】2023年5月12日
【DOI】10.1186/s12909-023-04320-2
詳細▶︎https://www.tsukuba.ac.jp/journal/medicine-health/20230519140000.html
注)プレスリリースで紹介している論文の多くは、単純論文による最新の実験や分析等の成果報告に過ぎました。 、さらに研究や実験を進める必要があります。十分に配慮するようにしてください。